2026年3月 歌舞伎座「三月大歌舞伎」昼の部 観劇記 〜シュールな骨寄せと、揺らぐ「忠義」の形〜

2026年3月「三月大歌舞伎」千穐楽の歌舞伎座前
2026年3月「三月大歌舞伎」千穐楽の歌舞伎座前

2026年3月26日、🎭歌舞伎座で開催された『三月大歌舞伎』の千穐楽を昼夜通しで観劇してまいりました✨

今月の演目は、昼夜ともに長時間にわたる重厚な「通し狂言」。せっかくの春休みシーズンですが、「タイパ」を重視する若者世代には少しハードルが高く感じられるラインナップかもしれません。果たして、どのような舞台が待っているのでしょうか?

まずは「昼の部」から、三月の歌舞伎座観劇記を綴っていきます🖋️
どうぞ最後まで、ごゆっくりお付き合いください🍵


今回の公演の詳細については「歌舞伎美人」をご確認ください👇
➡️ 令和8年3月歌舞伎座「三月大歌舞伎」

三月の千穐楽は雨模様 ― 雨の歌舞伎座、しっとり開幕 ―

観劇当日は、朝からあいにくの雨模様となりました☔

「東京の雨不足も、これで少しは解消されるかな」などと思いを巡らせながら電車を乗り継ぎ、歌舞伎座へ到着。

今月の歌舞伎座は、昼の部が『加賀見山再岩藤かがみやまごにちのいわふじ』、夜の部が『三人吉三巴白浪さんにんきちさともえのしらなみ』。いずれも重厚な通し狂言での上演です。

冒頭でも触れた通り、通し狂言をすべて観るにはかなりの上演時間が必要です。「春休みに歌舞伎でも」と考えた大学生には敬遠されてしまうかな?などと思いましたが、新橋演舞場では新作歌舞伎『流白浪燦星るぱんさんせい』も上演中。若い世代が観るなら、きっとあちらに流れるのでしょうね。

「やはり今の歌舞伎は、大人のたしなみなんですよ」と自分に言い聞かせつつ、まずは筋書きを購入。続いて、“まるる”こと中村莟玉の舞台写真をじっくり吟味してゲットしました。開演までは木挽町広場のタリーズで筋書きを読み込み、予習もバッチリです。

いざ、歌舞伎座の中へ!
おっと、歌舞伎座神社への参拝も忘れてはいけません⛩️ 千穐楽が無事に幕を下ろせるよう、しっかり祈願しておきました🙏




昼の部『加賀見山再岩藤』 ― 後日譚か、パロディか ―

今月の歌舞伎座昼の部は、通し上演の『加賀見山再岩藤』です。

通称『骨寄せの岩藤こつよせのいわふじ』(1860年初演)と呼ばれる演目ですが、もともとは1782年の人形浄瑠璃から翌年に歌舞伎化された『鏡山旧錦絵かがみやまこきょうのにしきえ』の後日譚にあたります。ただ、観た印象としては「正当な続編」というより、どこか「パロディ」に近い味わいを感じさせる内容でした。

今年1月には、新国立劇場で菊五郎劇団による『鏡山旧錦絵』の通し上演がありましたが、今回の企画もその流れを汲んでいるのでしょうか。実際、お隣の席の方は「1月の新国立を観たので、続きを観に来た」と仰っていました。また、公演直前の3月2日にはNHK BSでその1月公演の様子が放送されていたので、私も事前におさらいしておきました。前作の物語を確認したうえで今作を観られるのは、実にありがたいですね📺

さて、今回の主軸となる亡霊の岩藤鳥居又助の二役。Aプロは坂東巳之助、Bプロは尾上松緑による交互出演となっており、千穐楽の今日はBプロ・松緑さんの舞台です。

昨今の歌舞伎ではABプロでの上演が目立ちますが、それだけ「芸の継承」を急いでいるということなのかもしれません。とはいえ、観る側にとっても選択肢が増えるのは喜ばしいこと。

期待を胸に、いざ開演です✨

発端・序幕 ― お家騒動のはじまり ―

『加賀見山再岩藤』第一幕の絵看板
『加賀見山再岩藤』第一幕の絵看板

発端から序幕にかけては、今回のお家騒動の全容が明らかになる展開です。

中村芝翫演じる望月弾正と、その妹(実は妻)である中村扇雀演じるおりゅうの方がお家乗っ取りを画策。そこに加担するのが、蟹江兄弟を演じる坂東亀蔵中村歌之助です。

まずはこの4人が共謀し、正室・梅の方(坂東新悟)の悪い噂を腰元たちを利用して広めていくのですが……このやり口、現代のネット社会の誹謗中傷と全く変わりません。いつの時代も、人間のやることは同じなのだと悲しくなりますね。

ここで気になったのが、 “赤っ面”の歌之助。
最近どこかで見た記憶が……と思ったら、昨年11月の三谷歌舞伎『歌舞伎絶対続魂しょうますとごーおん』!橋之助と兄弟二人で同じ“赤っ面”の亀井六郎を演じて爆笑をさらっていましたが、それを思い出してまた吹き出しそうになりました😆 兄貴役の亀蔵さんとのコンビネーションも抜群です。

亀蔵さんといえば、これまでは「坂東か片岡、どちらの亀蔵さんだったかな?」と一瞬考えるのが常でしたが、片岡亀蔵さんが亡くなられてからはその必要もなくなってしまい、改めて寂しさを感じます。ちなみに私の中では、「キリッとした坂東亀蔵さん」と「あくどい役の片岡亀蔵さん」という独自の区別がありましたね。

場面は変わり、弾正にまんまと騙された尾上松緑演じる又助が、梅の方を刺殺して川へ逃走!
……これ、完全に現代でいうテロ行為ですよね。現代でもこうした不条理な事件が起こる現実に、なんとも複雑な気分になります。

首尾よく逃げ切ったものの、刀の鞘(さや)を失くしたことに気づいて動揺する又助。この時の松緑さんの表情は、まさに迫真の演技でした。この動揺が、その後に鞘を拾った中村又五郎演じる安田帯刀の「ハッと何かに気づき、とっさに提灯を消す」という不可解な行動へとつながっていきます。

提灯を消したのは、誰にも見られないようにするためか?それとも重大な事実に気づいた動揺の表れか?セリフではなく、細かな演技で観客に想像させる演出が実に心憎いと感じました。

二幕目 ― 骨寄せと”ふわふわ”の岩藤 ―

『加賀見山再岩藤』第二幕、第三幕の絵看板
『加賀見山再岩藤』第二幕、第三幕の絵看板

続いての二幕目ですが……ここが今公演、最高に面白い幕となりました。

幕開けは、通称『骨寄せの岩藤』の由来となった名場面。土手に散らばる骨が集まって骸骨となり、そこから亡霊の岩藤が姿を現します。前作からの因縁である二代目尾上(中村萬壽)との再会という、実に緊迫したシチュエーションです。

舞台が暗転し、散らばった白骨が青白く怪しく輝きはじめます。ドクロが宙に浮かび、胴体、腕、足と次々に吸い寄せられ、一つの骸骨へと組み上がっていくのですが……。
ここで、最後の左足が「あれ、落っこちた?」と思えばまた浮かび上がり、「あ、また落ちた?」と何度かリトライ。ようやくガッチャンコと一つに繋がりました。

これは裏方のミス? それともこういう演出?🤔
真相はよくわかりませんが、舞台上では“だんまり”の中での探り合いが続きます。ここで花房求女(中村萬太郎)も合流し、いわゆる“役者が揃った”状態になりました。
(まあ、個人的にはまるるがまだなので、私の中では揃っていませんが!笑)

一旦緞帳が降り、再び上がると一転して五重塔に桜が咲き乱れる春爛漫の景色。
すると、先ほど亡霊として復活したはずの岩藤が、今度は艶やかな衣裳をまとい、傘をさして宙を舞っているではありませんか!

一体、何を見せられているのか(笑)
直前までの緊迫感はどこへやら。これぞ黙阿弥流のシュールなギャグなのか?

しばらく考え込んでしまいましたが、私なりに辿り着いた答えは「これは岩藤が本来ありたかった心象風景ではないか」ということ。
前作では極悪人として描かれ、埋葬すら許されなかった岩藤。正直「そこまでしなくても……」と思っていましたが、楽しそうに宙を舞う姿を見ると、悪人の心の中にもこうした美しい世界があるのだと黙阿弥は伝えたかったのかもしれません。

それにしても、あの傘一本でどうやって空中でバランスを保っているのでしょう。体を直接釣るワイヤーも見当たらず、不思議ですね〜。




三幕目 ― 草履打ちと大向うの珍事 ―

三幕目は、前作のオマージュとも言うべき「草履打ち」の場面です!

幕が開くと、舞台は多賀家の奥殿。そこには美しい花園姫(市川男寅)と女中たちの姿が……。しかし、ここで予期せぬ出来事が起こりました。客席から飛んだのは「高砂屋!」という大向う。

「えっ?」と思わず配役を確認してしまいました。男寅は「滝野屋」ですよ。今日の大向うさんは熱心なファンが多いのかと思いきや、まさかの見間違い(聞き間違い?)でしょうか。我々観客は笑い話で済みますが、舞台上の役者さんにとっては心中察するに余りあります。

さて、物語は岩藤の亡霊に苛まれる花園姫を救うため、尾上が鬼子母神へ草履を奉納するという展開へ。
鬼子母神と草履にどんな関係が?と思いましたが、調べてみると実際に草履を奉納する習わしがあるのですね。いやはや、歌舞伎を観ていると本当に勉強になります📚

それにしても、鬼子母神といえば「子供を守る神様」のはず。やはりこれは「草履打ち」の場面へ繋げるための、黙阿弥流のこじつけ(?)なのかもしれません。

ともあれ、亡霊・岩藤は前作の怨みを晴らすかのように尾上を草履で打ち据えますが、ここで前作からの特殊アイテム「朝日の弥陀の尊像」が威光を放ちます!めでたく岩藤を消し去ることに成功しました。

こうした信仰や先祖伝来のアイテムが絶対的な効力を発揮する展開は、現代の漫画やゲームの世界観にも通じるものがありますね。そんな共通点も、歌舞伎が今の時代にも愛され続ける理由の一つなのかもしれません。

第四幕 ― まるる登場、そして大団円へ ―

『加賀見山再岩藤』第四幕の絵看板
『加賀見山再岩藤』第四幕の絵看板

ようやく、お待ちかねの“まるる”こと中村莟玉が登場!又助の妹・おつゆ役です。
いやもう、理屈抜きに可愛い……😍

先日「時代劇専門チャンネル」で放送された『応天の門』では実にお間抜けな男を演じていましたが、やはりまるるは可愛らしい女形が真骨頂ですね。この、どこか薄幸な雰囲気を背負っている感じがまた堪りません。

一方、盲目の弟・種太郎くんは、目が見えないことで他の子供たちにいじめられているという設定。今も昔も、人間社会で行われていることは変わらないのだなとまたしても痛感させられます。

さて、又助の家には求女が匿われており、おつゆとは既に良い仲。しかし、兄・又助は自らの罪を悔いて切腹。家族に見守られながら息絶えるのですが……。
この場面、もしかして『すし屋』のパロディでしょうか?

切腹と、親父に刺されるという点は違いますが、「又助=権太」、「おつゆ=お里」、「求女=弥助」という構図で見ると、実によく似ています。特に又助と権太の最期の様子はそっくり!
ただ、『すし屋』が深い悲劇に包まれるのに対し、こちらは又助以外がその後の大団円に向けて幸せになっていくのが大きな違いですね。

そしていよいよ「大詰 多賀屋下館奥庭の場」です。

求女の帰還で情勢は一変。帯刀に悪事の証拠である連判状を突きつけられたお柳の方は、潔く自害します。「女ながらあっぱれ」と称賛する帯刀。彼は又助の切腹も高く評価していますが、この生真面目な実事(じつごと)ぶりが、中村又五郎に本当によく似合います。厳格だけれど信頼できる、まさに理想の上司といった趣です。

最後は黒幕・弾正の大立ち廻り。ようやくお出ましになった領主・多賀大領(七代目 尾上菊五郎)の前で大悪人らしく派手に暴れまわり、最後は復活した求女の槍で討ち取られます。

尾上も駆けつけ、岩藤の亡霊は骨ごと消滅。姫の病も全快し、失われた金鶏の香炉も無事に戻る……。
こうして七代目 尾上菊五郎を中心に、一点の曇りもない大団円を迎え、めでたく幕となりました🎊




🎭 令和8年3月の『三月大歌舞伎』を振り返って ― 忠義の物語、その揺らぎ ―

今回の『加賀見山再岩藤』。前作が「お初の主君への忠義」を一貫したテーマに据えていたのに対し、後日譚である今作は、怪異や市井の人々の悲哀が複雑に絡み合い、より多層的で幅の広い物語に仕上がっていたと感じます。

観る前は、二代目尾上となったお初と、亡霊・岩藤が正面から激しくぶつかり合う展開を想像していました。しかし蓋を開けてみれば、亡霊の執念に対しては尾上も打つ手なし。結局のところ「朝日の弥陀の尊像」という絶対的な威光で解決を見るという、ある種ドライな幕切れでした。

河竹黙阿弥がこの作品を世に送り出したのは、江戸幕府も末期。すでに「主君への絶対的な忠義」という武家社会の美徳が、足元から揺らいでいた時代だったのでしょうか。

忠義を貫こうとした結果、かえって不幸に陥る又助。そして、亡霊となってまで多賀家を呪い続ける岩藤。彼らの姿を通して、「忠義を尽くすこと」の功罪を現代の我々に問いかけている……そんな深いメッセージが込められているような気がしてなりません。

というわけで、通し狂言『骨寄せの岩藤』、存分に堪能させていただきました!

最後までお読みいただき、ありがとうございます🙏
続いては、さらに熱いドラマが待つ『夜の部』のレポートをお届けします!

※本記事内の写真は、すべて劇場にて撮影許可のあった場面、または私的鑑賞記録として撮影したものです。