坂東彌十郎の家系図紹介!歌舞伎界一の大男のチャーミングな素顔とは?

歌舞伎役者・初代坂東彌十郎は、幅広い役を演じ分ける唯一無二の役者で、歌舞伎界一の大男としても知られています。
歌舞伎の名門・大和屋に生まれながらも、若いときは役がつかずに苦労した彌十郎ですが、家族や先輩たちに支えられながら現在の歌舞伎界にはなくてはならない役者となっています。
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、そのチャーミングな演技が注目を集め一躍時の人となりました。さらに2026年には、NHK連続テレビ小説「風、薫る」にも出演し、改めて注目を集めています。この記事では、歌舞伎役者・坂東彌十郎の歌舞伎家系図や、これまでのプロフィール、家族構成、これからの夢、出演する上演情報などについて紹介していきます。
歌舞伎役者「坂東彌十郎」の家系図
初代・坂東彌十郎を中心とした歌舞伎家系図を以下に紹介します。

初代・坂東彌十郎の家系は、江戸時代の芝居小屋・守田座の座主だった守田勘弥に連なります。現在活躍している五代目坂東玉三郎や二代目坂東巳之助もこの家系です。
彌十郎の父は銀幕のスターとしても活躍した初代坂東好太郎で母は女優の飯塚敏子。19歳年上の兄・二代目坂東吉弥も歌舞伎役者として活躍しましたが、平成16年(2004)に66歳で亡くなっています。
歌舞伎役者「坂東彌十郎」プロフィール
坂東彌十郎のプロフィールを以下に紹介します。
| 名跡 | 初代 坂東彌十郎(ばんどう やじゅうろう) |
|---|---|
| 生年月日 | 昭和31年(1956)年5月10日 |
| 本名 | 本間 寿夫(ほんま ひさお) |
| 屋号 | 大和屋(やまとや) |
| 家紋 | 【定紋】三ツ大(みつだい) 【替紋】花勝見(はなかつみ) |
| 初舞台 | 昭和48年(1973)5月 歌舞伎座 「奴道成寺」の所化観念坊で初代坂東彌十郎を名乗り初舞台 |
| 主な歌舞伎の役 |
『修善寺物語』夜叉王 『心霊矢口渡』頓兵衛 『身替座禅』奥方玉の井 『与話情浮名横櫛』蝙蝠安 『毛谷村』京極内匠 『河内山』高木小左衛門 『車引』藤原時平 『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』熊襲兄タケル 『コクーン歌舞伎 三人吉三』土左衛門伝吉 『月光露針路日本』水主九衛門 『人間万事金世中』辺見勢左衛門 『水戸黄門』水戸光圀 |
| 受賞歴 |
昭和53年(1978) 名題昇進 昭和59年(1986) 歌舞伎座優秀賞 平成10年(1998) 歌舞伎座賞 平成10年(1998) 眞山青果賞奨励賞 |
| 趣味 | 演劇鑑賞・旅行・山歩き |
| 公式サイト |
坂東彌十郎・坂東新悟公式サイト 坂東彌十郎公式ブログ |

坂東彌十郎は、歌舞伎界一の大男(身長183cm)として知られており、舞台上でもその存在感には目をみはるものがあります。
37年住み続けている東京の板橋区の観光大使となっており、「自然が多く物価も安い」と気に入っているようです。
>>令和3年8月30日 観光大使に歌舞伎俳優・坂東彌十郎氏を任命!
趣味の山歩きは、市川猿翁(当時・三代目猿之助)のヨーロッパ公演に同行したときに見たスイスのアルプスに感動したのをきっかけに大好きになり、これまでスイスには21回も行っているとか。
歌舞伎の名門・大和屋に生まれる
初代坂東彌十郎は、昭和31年(1956)に歌舞伎の名門・大和屋の初代坂東好太郎の三男として東京で生まれます。
昭和48年(1973)、17歳のときに「初代・坂東彌十郎」を名乗り歌舞伎座で初舞台を踏みますが、その後はなかなか役がつかず食べていくのにも苦労していました。
そんなときに父・好太郎が病で倒れ、入院後半年で亡くなってしまいます。
父という後ろ盾を失ったことは、単に身内を亡くした悲しみだけでなく役者としても大きな痛手になるところでしたが、その父が亡くなる前に三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)に彌十郎を弟子にしてほしいと頼んでくれていたことから、三代目猿之助のもとで修行することになります。
猿翁・勘三郎のもとで修行
三代目猿之助のもとでは、スーパー歌舞伎の初演時から出演したり、ヨーロッパ公演に同行し演出助手を勤めるなど様々な経験を積んでいきます。
特に彌十郎27歳のときのヨーロッパ公演では、現地の観客が日本の歌舞伎に対してスタンディングオベーションで大きな喝采を贈ってくれる姿に感動し、自分もヨーロッパで自主公演をしたいと強く意識するようになっていきました。
そして40歳のときに、「ヨーロッパで自主公演をするために猿翁のもとを離れる」という一大決心をします。すでに妻と子供二人がいる中で、役者として食べていけなくなるかもしれないという驚きの決断でした。
当時、これを聞いた猿翁は猛反対しますが、彌十郎の妻・容子さんも「夫のやりたいようにさせてほしい」と言う姿を見て、「じゃあもう二度と顔も見たくない、出ていけ!」と言い、なかば破門のような形で彌十郎は猿翁の元を離れることになるのです。
ヨーロッパでの自主公演
猿翁の元を離れてからは、やはり役者としての仕事は少なくなってしまいましたが、そんな彌十郎に救いの手を差し伸べてくれたのが十八代目中村勘三郎です。
彌十郎は、今度は勘三郎の元でコクーン歌舞伎や平成中村座などに出演し芸を磨いていきます。
そして平成26年(2014)には「やごの会」を長男の坂東新悟と立ち上げ、2年後の平成28年(2016)、ついにヨーロッパでの歌舞伎自主公演「やごの会 欧州公演」を実現し、息子とともにフランス、スイス、スペインをまわって大喝采を浴びることになるのです。
ヨーロッパ公演を成功させた彌十郎は、かつての師匠である猿翁の元へ報告に行きます。
すると猿翁は一言、「やっとだね」と言葉をかけてくれました。
猿翁の付き人が言うには、彌十郎が自分の元を離れた後も、猿翁はずっと気にして舞台中継などがあればいつも見ていたそうです。
そのことを知った彌十郎は感動してボロ泣きしたと語っています。
歌舞伎界一の大男は大河ドラマで大ブレイク

坂東彌十郎は身長が183センチあり、これは現在の歌舞伎界ではもっとも長身として知られています。
舞台映えのする大柄な体格は、今では迫力のある悪役などで重宝される存在ですが、若いころのあまりいい役がつかないときは、かえって背の高さが邪魔になって怒られることもあったとか。
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、初の連続ドラマレギュラー出演を果たすことになり、主人公・北条義時(小栗旬)の父親で、後に鎌倉幕府の初代執権となって権力を奮った北条時政を演じています。
彌十郎が演じる時政は、田舎の豪族としての豪快さを持ちながらも、若い後妻にデレデレしたり、息子たちの前で駄々っ子のようにすねてみたりと、ダメおやじぶりをいかんなく発揮しています。
しかし、その様子が「とてもチャーミング」だと視聴者や共演者にも好感を持たれており、歌舞伎役者・坂東彌十郎の名を一躍世間に知らしめることになっています。
他の出演者から大河ドラマでの彌十郎に対するコメントを紹介します。
小栗旬(時政の息子・義時役)
「最初のころの父上はいつも緊張して現場に来ていて、それがとても可愛らしかったですね。NGを出したときの反省の仕方がスゴイ、『すいません、ごめんなさい』って、すごく尾を引くような反省だった。その姿も僕らなんかから見ると素敵だなと思っていた。」
— NHK 土曜スタジオパーク 2022/2/26放送)
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「最初のころの父上はいつも緊張して現場に来ていて、それがとても可愛らしかったですね。NGを出したときの反省の仕方がスゴイ、『すいません、ごめんなさい』って、すごく尾を引くような反省だった。その姿も僕らなんかから見ると素敵だなと思っていた。」(NHK 土曜スタジオパーク 2022/2/26放送)
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小池栄子(時政の娘・政子役)
「大ベテランなのに『あー緊張した〜』とか口に出して言うんですよ。『えー大丈夫だった〜』『教えてね〜』とかそんな素直に言います?大先輩ですよ。こんな後輩に言うんだとびっくりしました。なんか小学校3年生みたい、それぐらいかわいらしい」(NHK サンドのお風呂いただきます お正月スペシャル 2022/1/2放送)「女優とからむのがはずかしいと言っている。なんてかわいらしい父親なんだ、とてもチャーミングで感動しました。」
— NHK 土曜スタジオパーク 2022/2/26放送)
宮沢りえ(時政の妻・りく役)
「和服での所作や時代的所作で戸惑ったときは彌十郎さんにお尋ねすると的確におしえてくださるのでたいへん心強いです。役柄同様本当にお優しいのでみんなの癒やしキャラだと思います」— NHK 土曜スタジオパーク 2022/2/26放送)
といったように、彌十郎は大河ドラマの共演者からも、「かわいらしい」「チャーミング」「癒やしキャラ」などと、その人柄が実に愛されているのがわかりますね。
ちなみに、「鎌倉殿の13人」に出演したきっかけは、以前歌舞伎の舞台で脚本と演出を担当した三谷幸喜に、「彌十郎さんは映像はやらないの?」と言われ、「やりたいですけどチャンスがね・・・」「いつかやりましょう」と言ってそのまま終わっていた話があり、それが今回の三谷幸喜から「大河ドラマに出てほしい」というオファーにつながったようです。
大河ドラマにレギュラーで出ることになると、歌舞伎の舞台には一年数ヶ月出られなくなるので彌十郎は一瞬迷いますが、「65歳になって新しい経験ができることはそうないだろう」と思ってすぐに出演を決断したとか。こういうチャレンジ精神と決断の早さも彌十郎の魅力につながっているのでしょうね。
大河ブレイク後の活躍と広がる舞台・映像の世界
大河ドラマ出演によって知名度を大きく高めた彌十郎は、その勢いをそのまま舞台へとつなげていきます。
翌2023年には、歌舞伎座で1月の『人間万事金世中』、10月の『水戸黄門』で二度にわたり主役を務めることとなります。歌舞伎座での主演は実に6年ぶりとなり、大河ドラマでのブレイクによって、その存在感と注目度が一気に高まったことを感じさせます。
その後はテレビドラマへの出演も増え、活動の幅はさらに広がりを見せています。2026年にはNHK連続テレビ小説「風、薫る」で朝ドラ初出演を果たすなど、映像の分野での活躍もまだまだ衰えを見せません。
歌舞伎の舞台では円熟味を増した演技で存在感を強く印象づけ、映像メディアでもますます活躍ぶりが広がる坂東彌十郎は、これからも目が離せない存在ですね。
坂東彌十郎の家族は?
坂東彌十郎は、父と兄は歌舞伎役者で息子も歌舞伎役者になっています。奥様は役者とは関係ない一般家庭の出身ですが、売れない頃から彌十郎を支えてきました。そんな彌十郎の家族を紹介します。
父と兄は銀幕のスターとしても活躍
彌十郎の父、初代・坂東好太郎は、明治44年(1911)生まれで大正11年(1922)に歌舞伎役者として初舞台を踏みます。しかし若い頃は映画スターとして人気を博すことになり、テレビの時代劇などでも渋い脇役として活躍しました。昭和37年(1962)に歌舞伎の舞台に復帰すると貴重な老けの脇役として活躍しますが、晩年は病に倒れ、半年の闘病生活の後に世を去ります。
兄・二代目坂東吉弥は彌十郎の19歳年上になります。昭和27年(1952)に初舞台を踏むと、当初は関西歌舞伎で活躍しますが、父と同じように一時は映像の世界へ転身します。その後、従伯父に当たる八代目坂東三津五郎の襲名を機に東京の歌舞伎に復帰し、特定の一門に所属しないフリーの貴重な脇役として重宝されます。平成16年(2004)に舞台に出演している間に体調を崩して休演し、その興行が終わる前に亡くなります。66歳でした。
長男は涼やかな女形・坂東新悟
彌十郎の長男は、若手女形役者として活躍する坂東新悟です。
平成2年(1990)東京に生まれ、4歳で初舞台を踏みます。父譲りの細面でスラリとした長身で、清涼感のある口跡と慎ましさの中に秘められた強さを感じさせる女形役者です。芸風も広く古典歌舞伎から新作歌舞伎まで様々な役を演じ、立役として舞台に立つこともあります。
父・彌十郎と共に立ち上げた自主公演「やごの会」でヨーロッパ公演を成功させ、四代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎II」などでも重要な女形としてなくてはならない存在となっています。
ヨーロッパ公演という夢を実現させた父に対して、新悟は次のようにコメントしています。
「父は努力家でもあり一度目標を決めたらそれに向けて突き進むタイプです。親子でヨーロッパ公演に向けて取り組む中、是が非でも夢を叶えようとする父の背中からはとても多くの事を学びました」
彌十郎の背中を見ながら育った息子・新悟のこれからの活躍が期待されますね。
彌十郎を支える妻・容子さんとの出会いは?
彌十郎の妻・容子さんは、元CA(キャビンアテンダント)で、彌十郎との出会いは友人の主催するパーティーだそうです。
パーティー会場の隅っこでつまらなさそうにしていた容子さんを見た彌十郎が気になって声をかけたことから交際につながっていきます。
当時は役者として食うや食わずだった彌十郎ですが、優しくて気遣い上手な人柄に容子さんもだんだん惹かれていくようになり、ついには「この人は絶対いい役者になる」と思うようになっていきます。
そして結婚の決め手になったのが、病に倒れた彌十郎の父・好太郎の言葉でした。
当時はまだCAとして世界を飛び回っていた容子さんですが、日本に戻ってくると彌十郎に会うより先に好太郎の病室を訪れ、好太郎の下の世話までするほどかいがいしく尽くしていました。
そんな容子さんの姿を見た好太郎も、この人なら歌舞伎役者としての息子をしっかり支えてくれると思ったのか、「息子を頼む」と容子さんに伝え、容子さん自身もその言葉で、「どんなことがあってもこの人とやっていこう」と彌十郎との結婚を決意したのだそうです。
こうして晴れて夫婦になった彌十郎と容子さんは、長女と長男(新悟)の二人の子供に恵まれ、歌舞伎においては三代目猿之助(現・市川猿翁)の元で徐々に頭角を現していくようになります。
長男の新悟も初舞台を終えて順風満帆に思えた彌十郎一家ですが、彌十郎は突如、「ヨーロッパ自主公演をするために猿之助の元を離れる」と言い出し大騒動になります。
猿之助はいま自分の元を出ていったらどうやって食べていくんだと彌十郎に思いとどまるよう説得しますが、彌十郎はどうしてもあきらめません。そこで猿之助は、容子さんなら思いとどまるように一緒に説得してくれると考え、「妻を呼んでこい」と言って容子さんもその場に呼び出されました。
このとき容子さんは猿之助の元を離れることには不安がありましたが、「今回だけはこの人に思い通りにさせてあげてください」と、夫についていく覚悟を伝えたのです。
これには猿之助も彌十郎も驚きますが、二人の覚悟が固いことを見た猿之助は、「出ていけ」と破門のような形ですが認めざるを得ませんでした。
このときの心境を容子さんは以下のように話しています。
「正直、そのまま三代目猿之助さんのところにいてくれたら楽なのにとは思いました。当時はすでに子どもが二人生まれていて生活の不安もありましたし、歌舞伎俳優として初舞台を踏んでいた6歳の息子の将来も不安でした。それでも夫のやりたいようにやらせたいと思ったのは、夫を信じていたから、夫が悩み苦しむ姿を近くで見てきたので、どうせ苦しむなら好きなことをやってほしいと思った。それに夫の人柄なら周りの人が助けてくれるだろうし、どうにかなるだろうと思った。」
— NHK 土曜スタジオパーク 2022/2/26放送)
その後の彌十郎一家は、十八代目中村勘三郎など多くの人に助けられながら、ついにヨーロッパ自主公演を実現させたのです。
これも容子さんの覚悟がなければ実現しなかったかもしれません。今も容子さんは歌舞伎役者・坂東彌十郎の妻として、そして息子・坂東新悟の母として彌十郎一家を支えているのです。
彌十郎の次の夢は?
坂東彌十郎は若いときに三代目猿之助に同行したヨーロッパ公演に感動し、自身もヨーロッパで自主公演を開催するという大きな夢を実現させました。
そして、次の彌十郎の夢は、「ヨーロッパに歌舞伎専用劇場を作る」という、さらに大きなものになっています。
彌十郎が言うには、「若い役者が日本で歌舞伎を広めるためにいろいろとやってくれているけど、浮世絵のように海外で認められてから日本でも評価されるものがあるように海外から攻めるという手もあるのではないか。また、日本にはオペラの専用劇場がたくさんあるけど、海外に歌舞伎の専用劇場は一つもない。だったら一つぐらい歌舞伎専用劇場が作れたらいい。」
ということのようです。
かつて十八代目中村勘三郎は、「平成中村座」の組み立て式芝居小屋を日本からニューヨークに持っていき公演を行いましたが、現地に専用劇場を作るということまではやっていません。
海外に歌舞伎専用劇場を作るというのは、途方も無い夢のようですが、彌十郎の持つ一度決めたことにあきらめずに突き進む熱意と努力で実現させてくれることを期待したいですね。
坂東彌十郎の出演情報
歌舞伎役者・坂東彌十郎と坂東新悟の出演情報を紹介します。
2026年4月 歌舞伎座「四月大歌舞伎」
2026年4月の歌舞伎座「四月大歌舞伎」に坂東彌十郎が出演します。
2026年5月 歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」
2026年5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」に坂東新悟が出演します。
まとめ:苦労を重ねて花開いた、坂東彌十郎の魅力
初代坂東彌十郎は、歌舞伎界一の大男として知られる存在感あふれる役者でありながら、その素顔はチャーミングで人に愛される魅力を持った歌舞伎俳優です。
若いころはなかなか役に恵まれず苦労も重ねましたが、三代目 市川猿之助や十八代目 中村勘三郎との出会い、そして妻・容子さんをはじめとする家族の支えによって、自分の道を切り開いてきました。長年抱いていたヨーロッパ自主公演の夢を実現させた歩みからも、彌十郎の情熱と行動力の強さが伝わってきます。
さらに2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で広く注目を集め、その後は歌舞伎座での主演やテレビドラマ出演など活躍の場をさらに広げています。2026年には連続テレビ小説「風、薫る」にも出演し、歌舞伎の舞台だけでなく映像の分野でも存在感を示しています。
重厚な役から親しみのある人物まで演じ分ける幅広さと、一度決めた夢に向かって進み続ける熱さ――坂東彌十郎は、これからもますます目が離せない役者といえるでしょう。
参考資料
坂東彌十郎の記事に関する内容は、主に以下の資料やウェブサイトを参考にさせていただきました。
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「かぶき手帖」※本記事の制作について
一部AIを用いたライティング・画像編集支援を行っていますが、最終的な編集・事実確認・表現調整はすべて人の手で行っております。










