市川猿之助の家系図紹介!香川照之も連なる歌舞伎界の革命児一門に迫る

市川猿之助の家系図紹介!香川照之も連なる歌舞伎界の革命児一門に迫る

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市川猿之助いちかわえんのすけは「澤瀉屋おもだかや」を屋号に持ち、歌舞伎界の伝統を覆すような舞台を見せて「歌舞伎界の革命児」と呼ばれた三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁いちかわえんおう)を生み出すようなパイオニア的な家系です。

現在も、三代目の精神を受け継ぎ次々と新しいことに挑戦する四代目市川猿之助を筆頭に、一般家庭から国立劇場研修を経た多くの役者が一門で活躍しています。

そして、三代目猿之助の実子で東大卒の映画俳優として人気がある香川照之九代目市川中車いちかわちゅうしゃを襲名し、息子の五代目市川團子いちかわだんことともに歌舞伎役者として加わるなど、歌舞伎界に新たな風を吹き込み続けています。

そんな歌舞伎界の異端児とも言える市川猿之助家の家系図と、活躍する役者の経歴と素顔を歌舞伎初心者にもわかりやすく紹介します。

※「澤瀉屋」の”瀉”は本当はウ冠ではなくワ冠の字を使いますが、web上で表示できないので”瀉”の字で代用させていただきます。

市川猿之助の家系図はこれ

市川猿之助家 家系図

市川猿之助家 家系図

市川猿之助という名跡(芸名)は、江戸時代にも名乗っていた役者はいましたが、特別目立つ実績がなかったことなどから、現在は上の家系図での喜熨斗亀次郎きのしかめじろう初代市川猿之助ということになっています。

三代目猿之助(二代目猿翁)は、最初の妻である宝塚女優・浜木綿子はまゆうことの間に男子・香川照之を設けますが、三年で離婚し息子照之は母親に引き取られました。その後、日本舞踊家・藤間紫ふじまむらさきと再婚しています。

初代市川猿之助と市川團十郎との確執とは?

市川猿之助家と市川團十郎家の確執
市川猿之助家は、明治時代から始まっている家系で、歌舞伎界では比較的新しいと言えますが、初代が「市川猿之助」を名乗ってから130年以上(猿之助としては140年以上)に渡って一度も途切れることなく続いています。

同じ市川姓の市川團十郎家は、歌舞伎界の宗家と呼ばれる格の高い家系ですが、初代市川猿之助は、「劇聖」と呼ばれた九代目市川團十郎弟子筋に当たります。

ところが、市川猿之助家と市川團十郎家の間では、これまで何かとトラブルが起こっているのです。ここでは猿之助と團十郎との確執の歴史について解説します。

初代猿之助「勧進帳」上演で破門される

初代猿之助の初舞台は、万延元年(1860年)6歳のとき市村座で、九代目團十郎演じる幡随院長兵衛の子役でした。当時の名前は坂東羽太作といいます。

その後も父親の三太郎とともにあちらこちらの芝居に出ていましたが、明治四年(1871年)17歳のときの森田座での芝居を見た九代目團十郎に気に入られ、門弟として山崎猿之助を名乗るようになりました。

その後、小芝居の中島座に出ているころから松尾猿之助と名を変え、「澤瀉屋おもだかや」の屋号を使うようになります。

ここで事件が起きます。明治7年(1874年)初代猿之助が出ていた中島座から、人気の演目歌舞伎十八番の一つ「勧進帳」をやってほしいと依頼がありました。しかし、当時は勧進帳は市川團十郎家のお家芸であり、團十郎の許可なく演じることが許されない演目だったのです。

ところが、そのとき二十歳だった初代猿之助は、若気の至りか團十郎側に断り無く勧進帳を上演してしまい、九代目團十郎の怒りを買って市川家を破門されてしまうのです。

それからは、江戸三座などの大きな芝居に出ることはできず、小さな芝居小屋や地方を転々としていました。破門が解けるのは、16年後の明治23年(1890年)まで待つことになり、それと同時に市川猿之助と市川姓を名乗るようになっています。

九代目團十郎に許された初代猿之助ですが、その後もあまり團十郎とは同じ舞台に立つことはなく、主役になれる小芝居に出ることのほうが多かったようです。

当時の九代目團十郎が目指した、それまでの荒唐無稽な芝居ではない「活歴」と呼ばれる歴史の事実に即した芝居が庶民に人気がなかったことも、初代猿之助が九代目團十郎から離れた理由かもしれません。

しかし、不思議なことに九代目團十郎の臨終のときには茅ヶ崎の別荘で立ち会った数少ない門弟の一人でした。

三代目猿之助襲名披露の口上を十一代目團十郎がキャンセル

昭和38年(1963年)5月の歌舞伎座で市川猿之助一門の襲名披露公演が行われました。このとき、二代目猿之助が初代猿翁、その孫の三代目團子が三代目猿之助、團子の弟である初代亀治郎が四代目團子を襲名していますが、ここでも事件が起こります。

市川一門の襲名のときは市川宗家である十一代目團十郎に話を通すのが筋ですが、猿之助側がこれをやらずに市川宗家の墓の前で襲名認証式をしたり、「猿翁」という名前を決めるときに十一代目團十郎を呼ばなかったり、襲名の挨拶状に市川團十郎の名前が入っていないなどのことが重なり、怒った十一代目團十郎は、猿之助一門の襲名披露の口上に出ないことになってしまいました

その後も十一代目團十郎は、ことあるごとに猿之助側に難癖をつけてきます。

昭和39年(1964年)1月に日生劇場で「勧進帳」を演じましたが、團十郎側は本来の型とちがうので「歌舞伎十八番の内」という文言を外すように要求し、同じ年の2月御園座での襲名披露公演のときは、團十郎側から市川宗家の三升の紋付き柿色の裃とマサカリのもとどりをつけて口上をやるなと言ってきました。

昭和40年(1965年)の8月に新橋演舞場での「素襖落すおうおとし」を澤瀉屋の型でやるとのニュースが出ると、團十郎側は新歌舞伎十八番の演目だから許可できないと言ってきました。このときは三代目猿之助が團十郎宅を訪ねて了解を得ることができていますが、猿之助家と團十郎家の確執は深くなっていきます。

そして、三代目猿之助の襲名披露からまもなく、祖父の初代猿翁、父親の三代目段四郎が相次いで亡くなってしまうという悲劇に見舞われます。

市川一門からは疎まれ、後ろ盾になるはずの祖父と父を失った三代目猿之助ですが、窮地に陥っても生来の反骨精神は失われず、その後の「スーパー歌舞伎」などの革新的な道を開いて行くことになるのです。

十一代目市川海老蔵と三代目市川猿之助の関係

確執が続いていた市川團十郎家と市川猿之助家ですが、近年はその関係にも変化が現れているようです。

平成22年(2010年)に十一代目市川海老蔵が「伊達の十役」で早替わりを演じたときに指導したのが、上演が途絶えていたこの演目を復活させ、早変わりを得意としていた三代目猿之助です。

海老蔵は「義経千本桜」の宙乗りでも猿之助型を学んでいますが、もともと猿之助という家系は團十郎の弟子筋に当たるので、師匠筋に当たる團十郎家の跡取りが猿之助家から指導を受けるというのは歌舞伎界の序列からは考えにくいことです。家柄や門閥にこだわらない猿之助の考え方に、海老蔵も共感しているのかもしれません。

市川宗家のお家芸「歌舞伎十八番」や「新歌舞伎十八番」の公演では、猿之助一門の役者が多く共演するようにもなっています。四代目猿之助が市川一門を離れているときには、立役(主役の男性)の海老蔵の相手女形として舞台に立つこともありました。

そして、平成24年(2012年)の澤瀉屋三代四人(二代目猿翁、四代目猿之助、九代目中車、五代目團子)の襲名披露公演には、十二代目市川團十郎と海老蔵が出演しました。

かつて十一代目團十郎が襲名の口上を拒否したときと比べると、過去にいろいろと因縁がある両家ですが、現代ではその関係は決して悪くはないようですね。



歌舞伎界の革命児と呼ばれる理由

歌舞伎界の革命児

市川猿之助澤瀉屋は、歌舞伎界において次々と新しいことを始めるなど、古典芸能として古臭く感じられる歌舞伎の世界に、新風を吹き込むパイオニア的存在でありながら、古典歌舞伎にもしっかりとした演技を見せ、舞踊も得意としており、多くの歌舞伎ファンを魅了しています

そんな市川猿之助家の歌舞伎はどのようにして生まれてきたのでしょうか?

劇聖と呼ばれた九代目市川團十郎に師事した初代と二代目の猿之助は、古典歌舞伎において團十郎譲りの骨太な演技を受け継いできました。

二代目猿之助は勧進帳を無断で上演したことで一時期、九代目團十郎に破門されてしまいますが、そのことで小芝居や地方を回りながら、真に観客を喜ばせるのに必要なものが何かを身につけてきました。さらに、欧米に留学して演劇を学び、ロシア舞踊などを取り入れた新しい作品を生み出しています。

そして、歌舞伎の革命児と呼ばれた三代目猿之助(二代目猿翁)は、早替わり宙乗りなどの「ケレン」(見た目の奇抜さを狙った仕掛けや演出)を得意とし、その演出は観客を大いに沸かせました。

例えば、役者がワイヤーに吊られて空中を移動する演出の「宙乗り」は、江戸時代から行われていたものの、近代になってからはあまりやらなくなっていました。しかし、三代目猿之助が「義経千本桜・四の切」の狐忠信きつねただのぶで宙乗りをやるようになると大人気になり、その後は他の歌舞伎役者もやるようになったほどです。三代目猿之助の宙乗りは代名詞となり、生涯でなんと5,000回を達成し、ギネスブックにも登録されています。

さらに、三代目猿之助は既存の歌舞伎を打ち破るべく、現代語の台詞と最新の技術を用いた「スーパー歌舞伎」を創設します。ブロードウェイと見紛う衝撃的でスピード感のある演出とドラマティックなストーリー展開は、まさに歌舞伎界に革命を起こしました。評論家の中には「これは歌舞伎ではない」という意見もありましたが、それまで歌舞伎に興味のなかった若者に受け入れられ、多くの新しいファンを獲得しています

また、三代目猿之助は初代猿翁が創演した舞踊の中から、「猿翁十種えんおうじゅっしゅ」という10の演目(悪太郎、黒塚、高野物狂、小鍛冶、独楽、二人三番叟、蚤取男、花見奴、酔奴、吉野山道行)を家の芸として選定しました。

市川團十郎家のお家芸「歌舞伎十八番」は、荒々しい演技の荒事から選ばれており、尾上菊五郎家のお家芸「新古演劇十種」は怪談物を中心としているなど、それぞれの家の得意芸を中心に選ばれています。市川猿之助家の「猿翁十種」が舞踊なのも、猿之助家が踊りを得意としてそれを継承していくことを表しています。

伝統的な古典歌舞伎を骨太な演技でこなしつつも、古い決まりや格式にとらわれない。そして既存の舞台に飽き足らない進取の気概を持って、現代風で派手な演出で観客を魅了する。・・・それが市川猿之助が歌舞伎界の革命児と言われる理由なのです。

現在活躍する澤瀉屋の歌舞伎役者

狐忠信

スーパー歌舞伎の創設者として一世を風靡した三代目市川猿之助(現・二代目猿翁)ですが、現在は体調を崩して舞台に出ることはなくなっています。その三代目猿之助の精神を受け継いで、歌舞伎界のパイオニアとして活躍する澤瀉屋の役者の中から特に注目の三人を紹介します。

平成24年(2012年)には四人(二代目猿翁、四代目猿之助、九代目中車、五代目團子)で襲名披露を行い大きな話題になりました。

四代目 市川猿之助

生年月日 昭和50年(1975年)11月26日
本名 喜熨斗 孝彦きのし たかひこ
初お目見得 昭和55年(1980年)7月 「義経千本桜」安徳帝役
初舞台 昭和58年(1983年)7月 「御目見得太功記」禿かむろたより役
襲名歴 昭和58年(1983年)7月 市川亀治郎(二代目)
平成24年(2012年)6・7月 市川猿之助(四代目)

前名の亀治郎時代から歌舞伎の花形役者として第一線で活躍していた四代目市川猿之助。叔父に当たる三代目猿之助の名跡だけでなく、その進取の精神も受け継いでいます。立役、女形、時代物、世話物、和事などあらゆる役柄をこなし、名実ともに澤瀉屋のトップに立つ役者です。

叔父の演じる「義経千本桜」の狐忠信の宙乗りや、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」に強烈な憧れを持ち、自身の四代目猿之助襲名披露の演目にも選びました。

そんな彼も、平成15年(2003年)には父・四代目市川段四郎とともに、一時期猿之助一門を出て活動を開始します。そして若手役者の登竜門である浅草歌舞伎や平成14年(2002年)から自身が主催する自主公演「亀治郎の会」などを経て役者として大きく成長し、再び猿之助一門へと戻ってきました。

そして平成23年(2011年)の1月、三代目猿之助から呼び出しを受けた亀治郎は、「140年間1日も絶えること無く続いて来た猿之助の名跡を受け継いでほしい」と伝えられます。それまで自分の名跡に愛着を持っていた亀治郎は、「運命の歯車が動き出した」と、四代目市川猿之助への襲名を決意するのです。

歌舞伎だけでなく平成19年(2007年)には大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役で映像デビューを果たし、ドラマやバラエティにも数多く出演します。蜷川幸雄三谷幸喜など現代劇の演出家と組んだ新しい歌舞伎にも挑戦しました。

そして平成26年(2014年)には叔父・三代目猿之助の精神を受け継いだ「スーパー歌舞伎II(セカンド)」を始動します。第二作となった、超人気漫画を題材にした「ワンピース」では、主役のルフィの演技だけでなく、演出家やプロデューサーとしても高い評価を得ました。

歌舞伎界には珍しく、市川猿之助一家は高学歴で知られており、叔父・三代目猿之助、父・四代目段四郎は慶応大学を卒業しており、四代目猿之助も同じく慶大を卒業。読書家としても知られ、趣味は浮世絵や骨董品の収集という、知性と伝統への愛着を併せ持った歌舞伎界でも稀有の才能を持った存在です

【達人メモ】
骨董品収集で有名な猿之助がテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に自慢の「志野焼の茶碗」を出品したところ、なんと評価額は6千万円にもなりました! 骨董品を見る目も確かなものを持っているようですが、本人はその茶碗で実際にお茶を立てて飲んでいるというところが猿之助らしいですね。

九代目 市川中車(香川照之)

生年月日 昭和40年(1965年)12月7日
本名 香川 照之かがわ てるゆき
初舞台 平成24年(2012年)6月 「ヤマトタケル」すめらみこと役など
襲名歴 平成24年(2012年)6・7月 市川中車(九代目)

映画やテレビで香川照之として様々な役を演じ分け、定評のある演技をみせていた俳優が、46歳にして歌舞伎役者へとなる道を選んだことは世間を騒がせました。

もともと、三代目市川猿之助と女優・浜木綿子の間に生まれながら、両親がすぐに離婚したために母親に引き取られ、歌舞伎界とは関係のない立場で育ちました。

「特にやりたいことがなかったので親の七光りを利用しようと思った」という理由で俳優を志し、NHK大河ドラマ「春日局」の小早川秀秋役でデビュー。NHK大河ドラマ「利家とまつ」の秀吉役でブレイクし、東大卒の俳優としても注目を集めます。

平成16年(2004年)には東京国際映画祭男優賞を受賞します。このとき主演女優賞に輝いたのは尾上菊五郎の長女・寺島しのぶだったので、歌舞伎役者の血を引く二人の受賞は話題になりました。

父親の三代目猿之助とは長らく疎遠でしたが、徐々に関係が修復されていく中で歌舞伎への思いが強くなっていき、長男(政明)の誕生によって歌舞伎役者となることを決意しました。

歌舞伎と映像での俳優業の違いに戸惑いながらも、父親の指導の元、「歌舞伎の家に生まれた自分が、歌舞伎俳優として継いでいくことが、生まれてきた使命だと思う」と力強く表明しています。

従来の「香川照之」名での俳優業も続けながら、三代目猿之助の血を受け継ぐ異色の歌舞伎役者として歌舞伎界に新たな風を吹き込むことが期待されます。

五代目 市川團子

生年月日 平成16年(2004年)1月16日
本名 香川 政明かがわ まさあき
初舞台 平成24年(2012年)6月 「ヤマトタケル」ワカタケル役
襲名歴 平成24年(2012年)6・7月 市川團子(五代目)

8歳のときに、父・九代目市川中車、祖父・二代目市川猿翁、叔父・四代目市川猿之助とともに五代目市川團子を襲名し初舞台に立ちます。

襲名の口上で父が大汗を流すのを横目に、汗一つかかない度胸を見せた子役は、今では叔父・四代目猿之助と息の合った「連獅子」を演じるほどに歌舞伎役者として成長しています。

市川猿之助家の家系らしく、「義経千本桜」で宙乗りを披露する祖父・三代目猿之助(二代目猿翁)の姿がとてもかっこよく、いつかは自分もやってみたいと思っています。

2020年現在高校生なので、父や叔父のように大学進学するのかも気になりますが、将来の澤瀉屋を担う逸材であることは間違いありません。

四代目猿之助と香川照之のいとこ同士の関係は?

猿之助と香川照之のいとこ関係は?
四代目猿之助と香川照之は父方のいとこ同士になりますが、香川の母が三代目猿之助と離婚したこともあり、子供のときは合ったことはありませんでした。

初めて出会ったのは、お互いの祖母の命日にお墓参りしている香川を猿之助(当時・亀治郎)が偶然見つけたことから付き合いが始まります。

その後、亀治郎が大河ドラマ「風林火山」に出るときに香川がフォローし、亀治郎が香川と父・三代目猿之助の仲を取り持つのに一役買ったりしています。

年齢は香川が10歳年上になりますが、歌舞伎は四代目猿之助が先輩になり、テレビなど映像分野では香川がいろいろと教えたりと二人の仲は良好のようです。

大河ドラマ「龍馬伝」では最後に共演するシーンがありましたが、2020年7月スタートの人気ドラマ「半沢直樹」でも共演することになっています。

歌舞伎でも四代目猿之助と市川中車(香川)は、襲名披露公演以降も何度か共演しており、今後は歌舞伎とテレビで澤瀉屋の活躍を見る機会が多くなりそうですね。



市川猿之助と言えばスーパー歌舞伎

市川猿之助の代名詞とも言えるのが、三代目猿之助が創始した「スーパー歌舞伎」と、その精神を受け継いで新たに四代目猿之助が始めた「スーパー歌舞伎II(セカンド)」です。従来の歌舞伎の枠を超えて、現代的な台詞回しや最新技術を駆使した斬新な演出で新たな歌舞伎ファンを作り出すことに成功しました。

三代目猿之助は、古い歌舞伎をどうすれば新しく見せられるかという観点から、スピード感と見た目の強い印象を与えることを重視してスーパー歌舞伎を創設し、昭和61年(1986年)に第一弾として上演された「ヤマトタケル」は、平成20年(2008年)には観客動員100万人という記録を打ち立てました。

四代目猿之助は、スーパー歌舞伎の新作ではなく、その精神を受け継いだスーパー歌舞伎II(セカンド)を自身の新たな挑戦として始めました。第二作の「ワンピース」は人気漫画の世界観を見事に再現し、膨大な水を使った「本水」の仕掛けや、主人公のルフィがサーフボードで宙乗りする演出など大きな話題になりました。

スーパー歌舞伎は現在まで9作品、スーパー歌舞伎II(セカンド)は3作品が上演されています。以下にその作品名と初演された年を紹介します。

スーパー歌舞伎
1986年 ヤマトタケル
1989年 リュウオー・龍王
1991年 オグリ・小栗判官
1993年 八犬伝
1996年 カグヤ
1997年 オオクニヌシ
1999年 新・三国志
2001年 新・三国志II・孔明篇
2003年 新・三国志III・完結篇
スーパー歌舞伎II(セカンド)
2014年 空ヲ刻ム者―若き仏師の物語―
2015年 ワンピース
2019年 新版オグリ

スーパー歌舞伎について詳しくは以下の記事をご覧ください。

スーパー歌舞伎の記念すべき第一作「ヤマトタケル」はDVDで見ることもできます。


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まとめ:歌舞伎界の革命児・市川猿之助に注目

歌舞伎界の革命児「市川猿之助」一門の家系図から、その異彩を放つ系譜を紹介してきました。

もともと進取の気概を持っていた家系ですが、師匠にあたる歌舞伎界宗家・市川團十郎家との深い確執が続いたことも、独自の芸風をたくましく進化させていくことにつながってきたようです。

三代目市川猿之助は、派手な宙乗りの演出で人気を博し、斬新な演出のスーパー歌舞伎を始めるなど、古い歌舞伎を打ち壊していきました。

その精神を受け継いだ四代目市川猿之助や、映画俳優から歌舞伎俳優になった香川照之こと九代目市川中車、その息子で若手歌舞伎役者として注目を集める五代目市川團子など、独特な個性が歌舞伎界に新風を巻き起こしています。

これからも観客を大いに驚かせる何かを起こしそうな市川猿之助の一門から目が離せませんね。

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