歌舞伎の演目「勧進帳」のあらすじと魅力を解説!弁慶の飛び六方は必見
歌舞伎の演目で特に人気があるものの一つが「勧進帳」です。歌舞伎を知らなくても名前だけは聞いたことがある人も多いほど有名な演目ですが、なぜそれほど有名で人気があるのでしょうか?
ここでは、勧進帳を見たことがない初めての人にも、できるだけわかりやすく、あらすじや見どころを解説し、その魅力と人気の秘密に迫ります。
実際に勧進帳を見た感想も紹介しているので、ぜひ参考にしてくださいね。
目 次
勧進帳のあらすじを簡単に解説
【勧進帳の主な登場人物】
武蔵坊弁慶 |
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源義経の一番の家来。知・勇・仁を兼ね備えた忠義の人。義経を逃がすために山伏の姿に変装して東北へ向かっている。 |
源義経 |
源氏の英雄だったが、兄・頼朝に謀反を疑われ追われる身に。山伏一行の荷物持ちである強力(ごうりき)に変装している。別名・判官(ほうがん)とも呼ばれる。 |
富樫左衛門 |
加賀の国の豪族で、義経一行を捕らえるために設けられた「安宅の関(あたかのせき)」の関守。一行が山伏に変装しているとの情報を掴んで待ち受ける。 |
義経の四天王 |
亀井六郎、片岡八郎、駿河次郎、常陸坊海尊の四人の忠臣。義経のためなら生命も捨てる覚悟で従う。 |
【あらすじ】
兄の源頼朝から謀反の疑いを掛けられて追われる身となった源義経一行は、山伏姿に変装して、奥州藤原氏を頼って東北へ落ち延びようとしていました。
義経を捕らえるために設けられた安宅の関(現在の石川県小松市)の関守・富樫左衛門は、一行が山伏に変装しているという情報を掴んでいたので、関を通ろうとしていた義経一行を疑い、山伏なら持っているはずの勧進帳(東大寺再建のための寄付を募った巻物)を読むように命じます。
弁慶はとっさに何も書いてない巻物を取り出し、あたかも勧進帳の内容が書かれているかのように朗々と読み上げます。なおも疑う富樫は、山伏の心得や装束、いわれ、秘呪などを次々と問いただしますが、弁慶はよどみなく答えて見せるのです。
これを聞いた富樫は怪しみながらも通行を許可し、ほっとした一行は関を通過しようとします。ところが富樫の部下の一人が、「強力」が義経に似ていることに気が付き、その部下の注進を聞いた富樫はとっさに一行を呼び止めます。
「その強力が義経に似ている」と言う富樫に対して、弁慶は強力に化けている義経を、「お前のせいで疑われた」と怒りをあらわにして金剛杖で打ち据えます。それでも疑いが晴れないので、もはやこれまでと義経配下の四天王は刀に手を掛けます。富樫と部下たちも身構えて一触即発の状況になりますが、弁慶が必死に四天王を押し止めます。
これを見た富樫は、主君である義経を叩いてまでもあくまで強力だと言い張り、なおかつ切り合いになって義経に危害が及ぶのを必死で防ごうとする弁慶の忠義の心にうたれ、改めて通過を許可するのです。
富樫が去った後、弁慶は主君である義経を打ったことを涙を流して侘びます。義経は弁慶の労をねぎらい、四天王も弁慶の機転を褒め称えます。
そこに再び富樫が現れ、先ほどの無礼のお詫びに酒を振る舞おうと言うのです。富樫の意図は、酒を飲んでいる間に義経と共に逃げろという意味だと悟った弁慶は、延年の舞を豪快に踊り、義経を先に逃してから富樫に感謝して後を追うのでした。
勧進帳の魅力と人気の秘密
勧進帳は歌舞伎の演目の中でも屈指の人気を誇り、何度も上演されています。その人気と魅力を以下の5つのポイントで解説します。
様式美に溢れた男たちの絆のドラマ
歌舞伎は長い間に洗練され、独特の表現やスタイルという様式を持つようになりました。その様式を守ることで表現される美しさが様式美です。
わかりやすいものでは、ストップモーションのようにポーズをとる「見得」や、独特の歩行法である「六方」などの歌舞伎ならではの演技があり、特に勧進帳では多く見られます。
弁慶・義経・富樫の三人による「天地人の見得」、不動明王の姿の「不動の見得」、問答を終えたときの「元禄見得」、弁慶が昔を懐かしんで舞うときの「石投げの見得」、そしてラストで弁慶が花道で見せる「飛び六方」など、まさに歌舞伎の様式美のオンパレードなのです。
そして、この演目の特徴として「女形」が一切出てこないということがあります。つまり勧進帳は「男たちのドラマ」なのです。
主君である義経に対する弁慶の忠義心の強さと、その弁慶を信頼してすべてを委ねる義経の覚悟、正体を知りつつも弁慶の忠義に打たれて関所の通過を許す富樫の情の厚さ。
現代社会では忘れられつつありながら、日本人の心の中に脈々と受け継がれる男たちの魂の物語。それが勧進帳の魅力なのです。
能の舞台を歌舞伎で再現
もともと勧進帳の内容は初代市川團十郎が演じていましたが、台本が残っていなく、どんな内容なのかわからなくなっていました。
現在の勧進帳は、当時は武家階級しか見られなかった能の「安宅」をもとに七代目團十郎が作り直したものです。大きな松の模様の松羽目と呼ばれる背景画は能舞台を真似たところから来ています。
能との違いは、富樫が弁慶を追求する「山伏問答」が加えられたことや、力づくで関所を通過していたのを、富樫が弁慶の忠義心に打たれて通過を許すという内容に変えられているところなどがあります。
初演は天保十一年(1840年)河原崎座でしたが、当時の庶民は能など見たことがなく、松羽目の舞台の意味もわからず人気はさっぱりだったようです。このときの勧進帳を観劇した能の観世流宗家の観世清長は、笑いをこらえていたとの逸話もあります。
しかし、その後改良を加えられて発展してきた勧進帳は、九代目團十郎のときにほぼ完成され、今では歌舞伎で1,2を争う人気演目になりました。
江戸時代は庶民は見ることができなかった「能」の内容を、七代目團十郎はどうして知っていたのでしょうか? 一説には能舞台の縁の下に潜んで盗み見たと言われています。また、観世清長に笑われたのを見た七代目は「もうやらない」と言って楽屋は大騒ぎになり、説得されてやっと舞台に出たそうです。
初の天覧歌舞伎で披露される
明治二十年(1887年)に明治天皇の前で歌舞伎が披露される、いわゆる「天覧歌舞伎」が行われました。このことは、それまで低い身分とされてきた歌舞伎界にとっては考えられない快挙でした。
このときの役者は、劇聖と呼ばれた九代目市川團十郎をはじめ、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次などの名優が揃っています。
勧進帳はこのときの演目の一つとして、政府側からの希望で上演されており、その後の歌舞伎役者の身分の向上に大きな役割を果たしたのです。
激しい台詞の応酬も見どころ
勧進帳のみどころに、台詞回しの見事さがあります。
弁慶が白紙の巻物を勧進帳と偽って朗々と読み上げる場面も見事ですが、富樫が弁慶に次々と山伏に関する質問を投げかけ、それに対して弁慶が即座に応える「山伏問答」は、二人のやりとりが段々とヒートアップしてくる様子がさらに見応え抜群です。
弁慶の衣装にも注目
勧進帳の弁慶の衣装は時代とともに変わり、現在の衣装は九代目團十郎によってほぼ完成しています。
上着は黒字の水衣で、金の梵字(※1)がデザインされており、これは不動明王を意味しています。市川團十郎家が成田不動と関係が深いことの証です。
水衣の下の着付けは白地に黒、茶、萌黄色で太い線の格子の中に、細い線の格子を多くいれた翁格子と呼ばれる柄です。袴は宝具の一つである輪宝の模様が付けられた大口袴が使われます。
また、頭にかぶる兜巾や、首からかける梵天(大きな白いボンボン)のついた篠懸などが、いかにも山伏らしさを演出しています。
勧進帳と言えば「飛び六方」と「延年の舞」
勧進帳の演技でもっとも有名なのが「飛び六方」です。六方とは右手と右足、左手と左足を同時に出して飛ぶように歩く歌舞伎特有の歩行法で、天地東西南北の六方向に鳴り響くというところから六方と呼ばれ、主に花道を引っ込むときに行われます。
本舞台の幕が引かれ、花道に一人残った弁慶が見逃してくれた富樫に一礼し、続いて天に一礼してから、先に行った義経を追って、ダイナミックな飛び六方で花道を引っ込むラストは見事に芝居を引き締めます。
そして、もう一つの見どころの演技が「延年の舞」です。勧進帳は舞踊劇に分類されますが、あまり踊りはありません。義経に許された弁慶が昔を懐かしんで舞を踊るところと、戻ってきた富樫に酒を振る舞われたときに踊る延年の舞ぐらいです。
延年の舞とは、寺院で僧侶や稚児(少年修行僧のこと)が舞ったものですが、弁慶が比叡山で修行時代に舞ったことがあるという設定になっています。
勧進帳は歌舞伎の芝居では珍しく、笑いをとるような場面が一切ない、最初から最後までシリアスなお話です。しかし、延年の舞のときだけは、酒を飲み干して酔っ払ったふりをした弁慶が、実におおらかな舞を披露する様子を見せ、それまでの緊張感をほぐして、ほっと一息つかせる場面となっています。
歌舞伎十八番に選ばれた理由
勧進帳は七代目市川團十郎によって歌舞伎十八番に選ばれていますが、他の17演目は歴代の團十郎が演じたものなのに、なぜか勧進帳だけは能の安宅をもとにして、全く新しく作られたものになっています。
その理由として、演劇評論家の赤坂治績氏は、著書「團十郎とは何者か」の中で、七代目團十郎が初代の勧進帳の内容がわからないので、その後にできた「芋洗勧進帳」をやってみたが気に入らないので、原点の能の安宅に戻って歌舞伎化しようとしたからだと指摘します。
また、下の身分と見られていた歌舞伎役者が、武家の嗜みである能を直接歌舞伎化することはタブーだったのにかかわらず、能に憧れを持ちながら、傲岸不遜な性格だった七代目だからこそ、強引に歌舞伎化することができたとも指摘しています。
七代目團十郎にとっては、歌舞伎十八番はお家芸として伝わる演目を選ぶことでありながら、自分が新しく作り出した作品も入れておきたい思いもあったのでしょうね。
歌舞伎十八番について詳しくは以下を御覧ください。
勧進帳の音楽「長唄」は歌舞伎屈指の名曲
勧進帳の舞台を見ると、松羽目の背景の前に浄瑠璃や三味線などの長唄連中と呼ばれる音楽の担当者が、二十数人もずらりと並んでいます。
歌舞伎でも屈指の名曲と言われる勧進帳の長唄は、七代目團十郎が友人の杵屋六三郎に依頼して作曲してもらったものです。
三味線以外でも、小鼓、大鼓、大太鼓、笛の演奏も入り、登場人物の心の内を表現した聞かせどころも満載です。
勧進帳を1600回も演じた歌舞伎役者は?
勧進帳は人気の演目となって何度も上演されるので、「安宅の関」をもじって「またかの関」と呼ばれるほどになりましたが、なんと生涯に1600回も演じた役者がいます。それは七代目松本幸四郎です。
勧進帳の弁慶役に特に力を入れていたのは、天覧歌舞伎でも弁慶を演じた九代目市川團十郎でした。明治時代の歌舞伎ファンは、「勧進帳といえば九代目」と言うほどだったそうですが、その弟子だったのが七代目幸四郎です。
九代目團十郎の後を受け継いだ七代目幸四郎は、全国を回って、映画館や銭湯などあらゆるところで勧進帳を演じました。その結果、「歌舞伎は勧進帳なら見たことがある」という人が大勢いるようになり、市川團十郎家のお家芸でありながら、松本幸四郎家のお家芸ともなっています。
ちなみに、勧進帳を新しく作った七代目團十郎は生涯に3回しか演じておらず、九代目團十郎ですら19回に過ぎません。今の勧進帳人気は七代目幸四郎が作ったと言っていいかもしれませんね。
勧進帳を見た感想
勧進帳には、派手な隈取顔や豪華な衣装の花魁は出てきませんが、何度見ても不思議と飽きがこない演目です。3人の男の熱いドラマは、二度三度と見ることで、ますます深くそれぞれの思いが伝わってくるようです。
勧進帳を見ていて気になるのは、「富樫はいつ義経と気がついたか?」というところです。勧進帳を語る時にはよく言われる話ですが、私は最初から気づいていたのではないか?と思っています。
その理由としては、富樫はもともと義経に同情的で、関守の役目があるので追求はするが、弁慶がすべて答えたのでそのまま行かせようとした。しかし部下が騒ぐのでやむを得ず捕らえようとするが、弁慶の忠義を見て自分が腹を切る覚悟で通すことにしたのでは・・・という感じです。でも、演じる役者や舞台が違えば見方が変わるかもしれません。
もう一つ私が見ていて少し不思議に感じるところが、山伏問答のときになぜ富樫は二度「兜巾」について尋ねるのか?というところです。そしてそれに対する弁慶の答えはまったく同じではありません。答えは自分なりにゆっくり考えてみたいところですね。
勧進帳の上演情報
歌舞伎十八番の人気演目「勧進帳」の上演情報をお知らせします。
2024年2月 御園座
2024年2月の御園座「二月御園座大歌舞伎」で「勧進帳」が上演され、御園座での襲名披露となる十三代目市川團十郎白猿が弁慶を演じ、尾上菊之助が富樫を演じます。
勧進帳のDVD
歌舞伎十八番の名作「勧進帳」をいつでも見られるDVDを紹介します。
歌舞伎名作撰 勧進帳 [DVD]
平成9年(1998年)2月に歌舞伎座で上演されたもので、十二代目市川團十郎が弁慶、五代目中村富十郎が富樫、尾上菊五郎が義経を演じ、四天王には尾上辰之助(現・松緑)、尾上菊之助、市川新之助(現・海老蔵)の新・三之介に市川左團次という豪華な配役が見ものです。
歌舞伎名作撰 勧進帳 [DVD]
こちらは昭和18年に歌舞伎座で撮影されたもので、白黒映像になりますが、生涯に1,600回も勧進帳を演じたという七代目松本幸四郎が弁慶を演じる貴重な映像です。富樫は十五代目市村羽左衛門、義経は六代目尾上菊五郎と伝説的な名優がそろった、まさに歴史的なDVDです。
まとめ
これまで、歌舞伎屈指の人気演目である勧進帳のあらすじや見どころ、そして人気の秘密と魅力について解説してきました。
従来の歌舞伎の演目と違い、能をほぼそのまま取り入れた内容であり、九代目市川團十郎が天覧歌舞伎で演じ、七代目松本幸四郎が全国で1600回も演じることで、その知名度と人気を確立してきました。
「山伏問答」の激しい台詞の応酬や、多くの「見得」や「飛び六方」、「延年の舞」など、歌舞伎ならではの様式美に溢れた「男たちの熱いドラマ」は、現代でも色褪せることなく私達の心に響いてきます。
勧進帳を観劇した一人ひとりが、ぜひとも自分だけの感想を持ち、勧進帳の世界にどっぷり浸ってみてくださいね。