松本幸四郎家の家系図を紹介!弟の中村吉右衛門は歌舞伎界最大のライバル関係

松本幸四郎家の家系図を紹介!弟の中村吉右衛門は歌舞伎界最大のライバル関係

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松本幸四郎家(屋号・高麗屋こうらいや)は、歌舞伎界の宗家と呼ばれる市川團十郎家とも縁が深く、家系図からも歌舞伎のキーマンの位置を占めていると言われる名門一家です。

現在、二代目松本白鸚はくおう(九代目松本幸四郎)と、息子の十代目松本幸四郎、孫の八代目市川染五郎が歌舞伎役者として活躍し、娘の松本紀保きお松たか子も女優として舞台に立っています。

松本白鸚は、令和三年に惜しまれて亡くなった中村吉右衛門とは実の兄弟であり、それぞれが歌舞伎界の一線で活躍するライバル関係でもありました。

歌舞伎界でも最も華麗な一族とも言われる松本幸四郎家の家系図から、その秘密を歌舞伎初心者の方にもわかりやすく解説していきます。

松本幸四郎家の家系図はこれ

松本幸四郎家の家系図

松本幸四郎家の家系図

屋号の「高麗屋」の由来は初代幸四郎が丁稚奉公でっちぼうこう(江戸時代に子供が商人の家などで住み込みで働くこと)していた神田の「高麗屋」が由来です。五代目幸四郎はその鼻の高い顔立ちから「鼻高幸四郎」と呼ばれていました。現代の幸四郎家は七代目幸四郎からつながる血筋になっています。

四代目松本幸四郎

四代目松本幸四郎

松本白鸚の実の弟・中村吉右衛門との関係は?

松本白鸚と中村吉右衛門はライバル!?

同じ歌舞伎の名優で、歌舞伎の一線で活躍してきた二代目松本白鸚(高麗屋)と二代目中村吉右衛門(播磨屋)は、初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)を父に持つ2つちがいの実の兄弟であり、若いときから何かとライバルとして比較されてきました。

上掲の家系図を見ればわかりますが、二人の母親は初代中村吉右衛門の一人娘です。初代吉右衛門は本当は娘に婿養子を取りたかったのですが、八代目松本幸四郎に嫁ぐことになったので、男の子が二人生まれたら一人を養子にもらうことを約束させました。約束どおりに八代目幸四郎の次男として生まれた男の子は、初代吉右衛門の養子となり二代目中村吉右衛門になったのです。

二人の経歴を見てみると同じような足跡を辿っているのがよくわかります。幼少のときから初舞台を踏み、十代のときは市川團子(後の二代目市川猿翁)を入れた三人で「十代歌舞伎」とよばれて人気を博しました。年代はちがいますが暁星高校卒業から早稲田大学の文学部を中退したのも同じです。昭和36年(1961年)に父の八代目幸四郎とともに二人は松竹を離れ、しばらく東宝に所属しますが、再び松竹に戻っています。兄弟で「木の芽会」という歌舞伎の勉強会をしていたのも東宝に所属していたころです。

二人共、体格がよく口跡も達者なので、力強い立役として定評がありますが、兄・松本白鸚はミュージカル「ラ・マンチャの男」やテレビなどの歌舞伎以外での活躍も多いのに対して、弟・中村吉右衛門は松竹復帰後は、当たり役のテレビ時代劇「鬼平犯科帳」以外では、ほとんど歌舞伎の舞台に専念しています。

残年ながら中村吉右衛門は令和三年に亡くなりましたが、以下に二人の主な経歴や特徴をまとめてみました。

二代目松本白鸚 二代目中村吉右衛門
生年月日 1942年8月19日 1944年5月22日
初舞台 1946年5月 東京劇場
松本金太郎の名で外郎売の倅役
1948年6月 東京劇場
中村萬之助の名で俎板長兵衛まないたちょうべえの長松役
当たり役 勧進帳の弁慶、暫の鎌倉権五郎、熊谷陣屋の熊谷、寺子屋の松王丸、幡随院長兵衛の長兵衛など 仮名手本忠臣蔵の由良之助、勧進帳の弁慶、義経千本桜の平知盛、籠釣瓶の佐野次郎左衛門、河内山の河内山宗俊など
歌舞伎以外の代表作 「ラ・マンチャの男」 「鬼平犯科帳」
主な受賞歴 2005年 紫綬褒章
2012年 文化功労者
2015年 文化庁芸術祭賞大賞
2011年 重要無形文化財(人間国宝)
2017年 文化功労者
特技など 作詞・作曲・歌唱、ギター、絵画 歌舞伎脚本家、絵画

どちらも錚々たる経歴の持ち主なので、甲乙つけがたいものがありますね。

歌舞伎の歴史において屈指の活躍を見せる松本白鸚と中村吉右衛門の兄弟は、歌舞伎界の重鎮として若手役者の手本となりながら、現代の歌舞伎界に大きな足跡を残しています。

【達人メモ】
十八代目中村勘三郎の姉・波乃久里子は小学校時代に松本白鸚・中村吉右衛門兄弟と同じ電車で通学していたそうですが、二人はものすごく素敵でキラキラ輝いて見えて、通学のたびにドキドキしていたと、著書「鯛女のお姉ちゃん」に書いています。これほどの役者になると、やはり子供の時からちがうものなのですね。

父・松本白鸚の息子が松本幸四郎、娘は松たか子

三世代が活躍する松本幸四郎家

現在の松本幸四郎家は、二代目松本白鸚の息子の十代目松本幸四郎、孫の八代目市川染五郎の三代が目覚ましい活躍を見せており、娘の松本紀保松たか子も女優です。歌舞伎の枠に留まらない一家の活躍ぶりは、歌舞伎界でも最も華麗な名門一家と言っていいかもしれません。

現在活躍する松本幸四郎家の三代の歌舞伎役者は、平成30年(2018年)1月に三人同時に襲名披露を行い大きな話題になりました。三人の役者の横顔を以下に紹介します。

二代目松本白鸚(九代目松本幸四郎)

生年月日 昭和17年(1942年)8月19日
本名 藤間 昭曉ふじま てるあき
初舞台 昭和21年(1946年) 「助六」外郎売の倅役
襲名歴 昭和21年(1946年)5月 松本金太郎(二代目)
昭和24年(1949年)9月 市川染五郎(六代目)
昭和56年(1981年)10月 松本幸四郎(九代目)
平成30年(2018年)1月 松本白鸚(二代目)

二代目松本白鸚は、八代目松本幸四郎の長男として生まれ、昭和21年(1946年)5月に二代目松本金太郎を襲名して初舞台。昭和24年(1949年)9月には六代目市川染五郎を襲名します。

東宝に移籍してからはミュージカルの「王様と私」「ラ・マンチャの男」などでも卓抜したものを見せ、昭和45年(1970年)には単身でアメリカのブロードウェイに乗り込んで「ラ・マンチャの男」を主演し、その中のセルバンテスとドン・キホーテは今でも当たり役となっています。

その一方では、弟・中村吉右衛門と結成した「木の芽会」で歌舞伎の修行も続けていました。松竹に復帰してから昭和56年(1981年)に九代目松本幸四郎を襲名し、このとき演じた勧進帳の弁慶は、現在までに全都道府県での上演を達成し、トータルで一千回を超えるほどの当たり役です。

一般的には、歌舞伎役者よりもミュージカルの舞台俳優「松本幸四郎」のほうが知られているかもしれませんが、現代劇、西欧劇にも通じ、演劇だけでなく歌唱においても才能を見せるなど、これほど多才で華麗な経歴は歌舞伎界では他に見当たらないほどです。


この写真は「市川染五郎の青春〜ブロードウェイのチャレンジ」というタイトルで二代目松本白鸚が市川染五郎時代の1971年に発表した唯一のアルバムでの、若き日の姿です。

現代劇の創作にも意欲的ですが、歌舞伎においても「演劇としての歌舞伎」を目指して「梨園座」を立ち上げ、「夢の仲蔵」「夢の仲蔵千本桜」などを上演しています。

実年齢を感じさせない若々しさが特徴的で、堂々とした体格は実事の大役にぴったりとハマります。令和元年の『天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典』にも出席しお祝いのメッセージを述べており、現代の歌舞伎界を代表する役者であることを改めて世間に知らしめました。



十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)


生年月日 昭和48年(1973年)1月8日
本名 藤間 照薫ふじま てるまさ
初お目見得 昭和53年(1978年)NHK大河ドラマ「黄金の日日」で子役デビュー
初舞台 昭和54年(1979年)3月「侠客春雨傘きょうかくはるさめがさ
襲名歴 昭和54年(1979年)3月 松本金太郎(三代目)
昭和56年(1981年)10月 市川染五郎(七代目)
平成30年(2018年)1月 松本幸四郎(十代目)

十代目松本幸四郎は、端正な二枚目の高麗屋のプリンスとして女性ファンも多く、舞台に立てば立役はもとより女形も演じれば、悪に徹する敵役の実悪や、二枚目だが性根が悪人の色悪まで勤めることができる、歌舞伎界の次世代のリーダー格として大きな期待をされている役者です。

平成8年(1996年)、まだ20代のときに自主公演の「市川染五郎の会」を始めたのは、自分にプレッシャーをかけて早く歌舞伎座の舞台を勤めることができるようになるためであり、上方歌舞伎を上演するために片岡仁左衛門や坂田藤十郎などの上方の先輩歌舞伎役者から教えを乞うなど、芸に対する並々ならぬ熱意を持っています。

松本幸四郎家のお家芸とも言える「勧進帳」の弁慶・富樫や、「伽羅先代萩」の仁木弾正、「寺子屋」の松王丸など時代物や歌舞伎十八番の役だけでなく、上方芝居の「恋飛脚大和往来こいのたよりやまとおうらい」の忠兵衛や、「女殺油の地獄」の与兵衛などにも次々と挑戦して高評価を得ています。

父の二代目松本白鸚同様、歌舞伎以外の分野での活躍もめざましく、「ハムレット」のタイトルロールを14歳で勤め、「アマデウス」ではモーツァルトを演じ、父の主催する演劇企画集団シアターナインスで「バイ・マイセルフ」など現代劇を演じています。他にも劇団☆新感線とのコラボレーションや、映画・テレビ出演なども数多くあります。

平成7年(1995年)には日本舞踊松本流三世家元・松本錦升を襲名するなど舞踊でも存在感を見せ、長男の八代目市川染五郎と「連獅子」で息の合った見事な舞踊を見せています。

歌舞伎を一部のファンだけのものではなく、多くの人の生活の中に入り込んでいける芝居を目指したいという思いが強く、舞台だけでなく著作でも歌舞伎の魅力を広めるなど、幅広い活動を展開しながら歌舞伎道を追求する役者です。

八代目市川染五郎


生年月日 平成17年(2005年)3月27日
本名 藤間 齋ふじま いつき
初お目見得 平成19年(2007年)6月「侠客春雨傘きょうかくはるさめがさ」 高麗屋齋吉役
初舞台 平成21年(2009年)6月「門出祝寿連獅子かどんでいおうことぶきれんじし」孫獅子役
襲名歴 平成21年(2009年)6月 松本金太郎(四代目)
平成30年(2018年)1月 市川染五郎(八代目)

八代目市川染五郎は、4歳のとき松本金太郎の名で初舞台を踏みますが、祖父、父とともに演じた連獅子で堂々と毛振りを見せる姿は観客を大いに沸かせました。

その後も、「筆屋幸兵衛」のお霜、「紅葉狩」の山神、「大石最後の一日」の細川内記などの大役を演じ、そのさわやかで確かな演技力が光りました。

2021年7月公開予定のアニメ映画「サイダーのように言葉が湧き上がる」で主役の声優を勤めており、祖父や父の遺伝子を受け継いで早くも歌舞伎役者以外での活躍も見せています。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、染五郎は木曽義仲の息子で、源頼朝に人質となって悲運の最期を遂げた若者・源義高を演じました。作中でもその美形ぶりを褒め称えられる役として登場し大きな話題になりました。

また、同年6月には「信康」で歌舞伎座初の主役を演じるなど、着実に名門歌舞伎役者としての実績を積んでいます。

まだ10代ですが、すでに高麗屋の華麗な系譜を受け継ぐ一面を見せている市川染五郎に注目ですね。

高麗屋の三代同時襲名が話題に

平成30年(2018年)1月。歌舞伎座の130年記念でもある壽初春大歌舞伎において、高麗屋の三代同時襲名披露公演が行われました。

大きな襲名披露口上では、幹部役者が舞台上にずらりと並ぶことも多いのですが、このときは襲名の三人以外は上方歌舞伎を代表して、坂田藤十郎、片岡仁左衛門の二人が並ぶ五人だけの口上でした。しかし、それがむしろ松本幸四郎家の三人を際立たせ、かえって格の高さを強調するものになっています。

このとき上演された松本幸四郎家のお家芸とも言える「勧進帳」では、史上初の三代による、弁慶、富樫、義経という夢のような組み合わせになり、詰めかけたファンを大いに沸かせています。

三代が同時に出世魚のように名跡を受け継ぐ様子は、松本幸四郎家の華やかさと着実な芸の継承を、一段と世間にアピールするものになったのです。



ミュージカルやテレビで活躍

松本幸四郎はアメリカのブロードウェイでも活躍

歌舞伎役者の家に生まれながら、歌舞伎以外での活躍も目立つ松本幸四郎家ですが、その主な活躍ぶりを紹介します。

二代目松本白鸚は、ミュージカルでは「王様と私」「ラ・マンチャの男」「心を繋ぐ6ペンス」「屋根の上のバイオリン弾き」などを演じ、中でも「ラ・マンチャの男」はアメリカ・ブロードウェイでも主演を果たし、50年以上で通算1100回を超える日本での最多上演記録を誇っています。

現代劇では「アマデウス」を35年間演じており、他にも「バイ・マイセルフ」「カエサル」など数多く出演し、映画では「キネマの天地」「良寛」「HERO」「天地明察」などに出演。松たか子主演の「四月物語」では妻の藤間紀子、長女の松本紀保、長男の染五郎(当時)と、なんと親子五人での共演を果たしました。

テレビでは大河ドラマ「黄金の日日」「真田丸」などに出演、フジテレビ「天才柳沢教授の生活」では主演を勤めました。テレビCM出演も多く、「ネスカフェゴールドブレンドバリスタ」のCMでは染五郎(当時)、松たか子と共演しています。

十代目松本幸四郎も、父と同じ「アマデウス」や「バイ・マイセルフ」に出演し、劇団☆新感線とのコラボで「阿修羅城の瞳」「髑髏城の七人〜アオドクロ」に出演したことは、今や伝説として語り継がれています。

映画やテレビ出演も多く、映画「阿修羅城の瞳」「蝉しぐれ」「今度の日曜日に」では主演を勤め、テレビではNHKBSプレミアム「妻は、くノ一」で主演、フジテレビの「鬼平犯科帳スペシャル」では叔父に当たる二代目中村吉右衛門と共演しています。

八代目市川染五郎は、テレビドラマ「妻は、くノ一」で父と共演し、アニメ映画の主演声優や雑誌の表紙を飾るなど、メディアでの露出も多くなりました。

そして2024年1月からは池波正太郎原作の人気時代劇「鬼平犯科帳」の新作が公開され、松本幸四郎が“鬼平”こと長谷川平蔵役で出演し、市川染五郎が若い頃の鬼平役で出演します。

今後も松本幸四郎家のテレビや映画での活躍が楽しみですね。

>>新作「鬼平犯科帳 本所桜屋敷」について詳しくはコチラ

松本幸四郎家のお家芸は?

七代目松本幸四郎

弁慶役者・七代目松本幸四郎

松本幸四郎家のお家芸として真っ先にあげられるのは、なんと言っても歌舞伎十八番の一つ「勧進帳」の弁慶役です。現在の勧進帳は「劇聖」と呼ばれた九代目市川團十郎が確立したものが演じられていますが、その九代目團十郎の高弟だったのが七代目松本幸四郎です。

七代目幸四郎は、九代目團十郎亡き後は「勧進帳」の弁慶役の第一人者として舞台に立ち続け、その数はなんと1600回以上と言われています。現在の二代目松本白鸚も弁慶を演じた回数は1000回以上で、47都道府県全てで上演するという快挙を成し遂げており、十代目松本幸四郎も歌舞伎役者になろうと思ったのは、弁慶がやりたかったからだと述べています。

松本幸四郎家において、「勧進帳」の弁慶は代々受け継がれてきたとても重要な演目となっているのですね。

七代目松本幸四郎が勧進帳で弁慶を演じた貴重な映像が今でも残されています。

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歌舞伎十八番の人気演目「勧進帳」については以下の記事をご覧ください。

松本幸四郎家の出演情報

松本幸四郎家の役者はテレビなどの出演も多いですが、歌舞伎の出演情報を中心に紹介します。

2024年9月 歌舞伎座

2024年9月の歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」に松本白鸚松本幸四郎市川染五郎が出演します。




まとめ:松本幸四郎家は華麗な歌舞伎名門一家

松本幸四郎家の家系図を見てみると、市川團十郎家などの現代の歌舞伎界で重要な役者につながっていることがわかります。

二代目松本白鸚の弟にあたる二代目中村吉右衛門(故人)とは、長年良きライバルとして歌舞伎界を牽引し、娘の松本紀保松たか子も女優になっています。

父の松本白鸚のみならず、次世代のリーダー格の十代目松本幸四郎、新たな時代の若手として期待の八代目市川染五郎も、歌舞伎の枠にとらわれず、ミュージカルや映画、テレビなどでめざましく活躍しています。

歌舞伎界一の華麗な一族から、これからも目が離せそうにありませんね。

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