市川團子の家系図を紹介!「天翔ける心」を受け継ぐ澤瀉屋の若きホープとは?

市川團子の家系図を紹介!「天翔ける心」を受け継ぐ澤瀉屋の若きホープとは?

五代目 市川團子いちかわだんこは、いま歌舞伎界で最も注目を集める若手歌舞伎役者の一人です。

祖父に二代目 市川猿翁いちかわえんおう、父に九代目 市川中車いちかわちゅうしゃを持つ澤瀉屋の若きホープです。幼い頃から祖父・猿翁の舞台に憧れ、映像や芸談を繰り返し研究しながら歌舞伎への理解を深めてきました。2023年の澤瀉屋の大きな試練を乗り越え、いまやスーパー歌舞伎を受け継ぐ次代の中心として、大きな期待を集めています。

この記事では、五代目 市川團子を中心とした家系図プロフィールこれまでの歩み歌舞伎への思い、戦友と呼ぶ市川染五郎や尾上辰之助との関係、そして家族や人物像などを、詳しく解説します。

「市川團子」を中心とした家系図――市川猿之助家

五代目 市川團子を中心とした歌舞伎家系図を以下に紹介します。

澤瀉屋・五代目 市川團子を中心とした歌舞伎家系図
澤瀉屋・五代目 市川團子を中心とした歌舞伎家系図

五代目 市川團子の家系は、歌舞伎界で独自の芸を受け継ぐ澤瀉屋(おもだかや)に連なります。祖父はスーパー歌舞伎を創始した二代目 市川猿翁いちかわえんおう、父は九代目 市川中車いちかわちゅうしゃ、そして従叔父には四代目 市川猿之助いちかわえんのすけがいます。

2012年には、祖父・二代目 市川猿翁、父・九代目 市川中車、従叔父・四代目 市川猿之助とともに三代四人同時襲名を行い、團子は8歳で五代目 市川團子を襲名しました。




歌舞伎役者「五代目 市川團子」プロフィール

📜 名跡 五代目 市川團子(いちかわ だんこ)
🎂 生年月日 平成16年(2004)1月16日
満 22 歳
🖊️ 本名 香川 政明(かがわ まさあき)
📏 身長 179cm
♑ 星座 やぎ座
🩸 血液型 AB型
🏮 屋号 澤瀉屋(おもだかや)
🎴 家紋 【定紋】八重澤瀉(やえおもだか)
👶 初舞台 平成24年(2012)6・7月 新橋演舞場
ヤマトタケルやまとたける』のワカタケルで五代目 市川團子を名のり初舞台
👑 襲名歴 平成24年(2012)6月 五代目 市川團子いちかわだんこ
🎭 主な歌舞伎の役 『ヤマトタケル』ワカタケル/小碓命後にヤマトタケル/大碓命
『義経千本桜』佐藤忠信実は源九郎狐/佐藤四郎兵衛忠信
『連獅子』狂言師左近後に仔獅子の精
『三社祭』善玉
『新・三国志 関羽篇』関平
『新・水滸伝』彭玘
『東海道中膝栗毛』五代政之助
『傾城反魂香』狩野雅楽之助
『火の鳥』ウミヒコ
『天守物語』姫川図書之助
『蝶の道行』小槙
『新説 小栗判官』小栗判官/浪七
『獨道中五十三驛』十三役早替わり
『もののけ姫』アシタカ/シシ神
🏅 受賞歴・資格など 平成25年(2013) 国立劇場特別賞
🎯 特技 正座
🎧 趣味 K-POP鑑賞
🌐 公式サイト キノシ・オフィス公式サイト




市川團子の歌舞伎人生|

五代目 市川團子が、どのような環境で育ち、澤瀉屋の四人同時襲名を経て歌舞伎役者となったのかを紹介します。

誕生〜歌舞伎との出会い

五代目 市川團子は、2004年1月16日生まれ。本名は香川政明(かがわ まさあき)。父はテレビや映画で活躍する俳優・香川照之(後の九代目 市川中車)、祖父はスーパー歌舞伎を創始し、現代歌舞伎に大きな革命をもたらした二代目 市川猿翁です。

猿翁の孫であれば、本来なら歌舞伎の家の御曹司として育てられるはずですが、團子の場合はそうではありませんでした。

祖父・猿翁は、照之が生まれて間もなく妻・浜木綿子と離婚します。照之は母のもとで育ち、歌舞伎とは縁のない環境で成長しました。

しかし、照之は歌舞伎とは無縁の人生を歩むことになったにもかかわらず、息子が生まれると「この子は歌舞伎をやるために生まれてきた」と確信します。祖父・猿翁(本名・政彦)の名前から一文字を取り「政明」と名付け、物心がつく前から歌舞伎の舞台を観に連れて行き、本物の歌舞伎に触れさせていました。

政明少年は、最初のうちは舞台の途中でぐずったり騒いだりして最後まで観劇できなかったそうですが、成長するにつれて最後まで舞台を見られるようになり、父に演目や役について質問するまでになっていきます。

さらに5歳からは、歌舞伎舞踊の基礎を身につけるため、映画での共演で出会った市川團十郎(当時・十一代目 海老蔵)の勧めで、團十郎の妹で日本舞踊家の市川ぼたん(現・市川翠扇)のもとで日本舞踊を学び始めました。

そんな頃、照之は祖母の月命日に墓参りを訪れた際、墓前でいとこの四代目 市川猿之助(当時・亀治郎)と初めて対面します。この思いがけない出会いをきっかけに交流が始まり、疎遠だった澤瀉屋とのつながりも少しずつ深まっていきました。

そして2012年6月、歴史的な三代四人同時襲名が実現します。

香川照之が九代目 市川中車を襲名するとともに、8歳の政明も五代目 市川團子を襲名。祖父・二代目 市川猿翁、従叔父・四代目 市川猿之助とともに、澤瀉屋にとって大きな節目となる襲名披露が行われました。

團子の初舞台となったスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』では、主人公・ヤマトタケルの少年時代であるワカタケルを勤めます。舞台には祖父・猿翁、父・中車、従叔父・猿之助も出演し、四人そろって新たな門出を迎えました。

8歳〜祖父と迎えた初舞台

2012年6・7月、新橋演舞場で上演されたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で、政明は五代目 市川團子として初舞台を踏み、歌舞伎役者としての新たな人生が始まりました。

團子にとって、この舞台は憧れだった祖父・猿翁と初めて同じ舞台に立つ特別な公演でもありました。それまで祖父の舞台は映像でしか見たことがなく、約8年ぶりに復帰した猿翁の舞台での姿も初めて目にすることになります。

このとき團子は8歳。他の歌舞伎の御曹司たちと比べるとやや遅い歌舞伎役者としてのスタートとなります。

しかし、襲名公演が終わって普通の小学生に戻った後も、團子は週末になると劇場へ通い、黒衣に着替えて舞台袖から芝居を見学するようになります。歌舞伎役者の子どもたちが幼い頃から自然に身につけていく劇場の空気を、團子も少しずつ吸収していきました。

その後は着実に実績を積み重ねていきます。翌2013年10月には、国立劇場『春興鏡獅子しゅんきょうかがみじし』で同世代の八代目 市川染五郎(当時・松本金太郎)と初共演。そしてこの舞台で国立劇場特別賞を受賞し、若手歌舞伎役者として注目を集めるようになりました。

2015年には、坂東玉三郎主演の『女暫おんなしばらく』で歌舞伎座へ初出演。さらに2016年からは、市川猿之助と松本幸四郎による人気シリーズ『東海道中膝栗毛』に、市川染五郎演じる若君・梵太郎の従者・政之助として出演します。

『東海道中膝栗毛』は、映像配信の「図夢歌舞伎」を含めると、2022年8月の『弥次喜多流離譚やじきたリターンズ』まで6回続いた人気シリーズです。初登場時は二人とも可愛らしいおぼっちゃんでしたが、公演を重ねるごとに成長し、最後は髪を派手に染めた不良姿に。シリーズとともに成長していく二人の姿も、この作品の見どころの一つとなりました。

また、團子は「いっくん(染五郎)とも『鏡獅子』の胡蝶の精以来の共演が嬉しかったです」(『ほうおう』2022年9月号)と語っており、後にファンから「染團」と呼ばれるようになる二人の絆も、このシリーズを通して少しずつ深まっていったようですね。

2020年1月の歌舞伎座では、市川猿之助と『連獅子』で親子を演じ、その舞台はNHKの歌舞伎生中継でも全国に放送されました。この時16歳の團子のほうが猿之助よりも背丈が高くなっており、少年時代から大きく成長したことがひと目で伝わってきます。仔獅子の精を堂々と勤めた團子は大きな注目を集め、澤瀉屋を担う若手歌舞伎役者として期待はますます高まっていきました。

16歳〜大きな試練

2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大により、歌舞伎界も長期休演を余儀なくされます。團子も舞台に立つ機会を失いますが、同年11月、歌舞伎座『義経千本桜よしつねせんぼんざくら』「川連法眼館」で駿河次郎を勤め、コロナ禍後の舞台へ復帰。この公演では、市川染五郎が源義経を演じています。

2021年8月の歌舞伎座「八月花形歌舞伎」では、『三社祭』で染五郎の悪玉に対し、團子は善玉を勤めて話題となりました。

2022年には青山学院大学へ進学し、学業と歌舞伎を両立することになります。8月には『東海道中膝栗毛』の新作に出演しますが、公演中に染五郎とともに新型コロナウイルス陽性となり、一部公演を休演することになります。

9月には、「市川猿之助 春秋座特別舞踊公演」で、祖父・猿翁が選定した「猿翁十種」の一つ『独楽こま』を初演。さらに11月には市川團十郎襲名披露公演『助六由縁江戸桜』で並び傾城を勤め、12月には襲名披露口上にも顔を並べるなど、着実に経験を積み重ねていきました。

2023年2月の博多座「二月花形歌舞伎」では、『新・三国志 関羽篇』で、猿之助が演じる主人公・関羽の息子・関平を熱演。本水を使った大立廻りにも挑み、大きな存在感を示します。團子はインタビューで、「じいじ(猿翁)と猿之助さんの2人が僕の中で一番の憧れ」と語っており、祖父・猿翁だけでなく、猿之助もまた目標とする存在でした。

しかし、そのわずか3か月後の2023年5月、明治座「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の最中に、猿之助一家の事件が発生。猿之助は一命を取り留めたものの、猿之助の父・段四郎と母が亡くなるという、澤瀉屋にとって大きな悲劇に見舞われます。

公演は代役を立てて再開されます。夜の部は中村隼人が代役を勤め、團子には昼の部『不死鳥よ 波濤を越えてふしちょうよ はとうをこえて』の主役という大役が託されました。事件当日に代役を打診されると、團子は迷うことなくやりますと即答し、突然の大役にも臆することなく、見事に舞台を勤め上げました。

この舞台は、團子が若くして主役を任せられる存在であることを広く印象づける公演となりました。父・市川中車は、「人生に一度か二度あるかないかの奇跡」と振り返り、「近い将来、『ヤマトタケル』を演じられる」と大きな期待を寄せています。

しかし、その希望に満ちた出来事からわずか約4か月後の2023年9月、祖父・二代目 市川猿翁が83歳で死去。團子は、憧れの猿之助が表舞台から離れ、さらに祖父まで失うという悲劇に見舞われ、澤瀉屋にとっても大きな転換期を迎えることになります。

祖父・猿翁、そして憧れ続けた猿之助から受け継ぐはずだった澤瀉屋の芸。しかし、この二つの出来事を境に、團子は「未来の継承者」ではなく、若くして澤瀉屋を支える中心的な存在へと歩み始めることになります。

次代の澤瀉屋を背負い、スーパー歌舞伎の新たな顔へ

2023年6月以降、猿之助が出演予定だった公演は、中村壱太郎なかむらかずたろう、中村隼人、父・市川中車らが代役を務め、澤瀉屋の舞台は仲間たちによって支えられました。團子も大学生活と両立しながら、一つひとつ与えられた役を誠実に勤め、着実に経験を積み重ねていきます。

そして2024年、團子はついにスーパー歌舞伎 三代猿之助四十八撰の内『ヤマトタケル』で初主演。新橋演舞場、御園座、大阪松竹座、博多座の4劇場で上演され、新橋演舞場と博多座では中村隼人とのダブルキャスト、御園座と大阪松竹座では単独主演という大役を任されました。2月の新橋演舞場では体調不良により一部休演もありましたが、猿翁の代名詞ともいえる代表作を演じ切ったことで、團子は一気に澤瀉屋を担う中心的な存在となります。

さらに、この『ヤマトタケル』を観劇した坂東玉三郎から声を掛けられ、同年12月の歌舞伎座『天守物語てんしゅものがたり』では、玉三郎演じる富姫の相手役・姫川図書之助に抜擢されることに。

2025年は、7月歌舞伎座『蝶の道行ちょうのみちゆき』で染五郎と共演。8月には坂東玉三郎による新作歌舞伎『火の鳥』で、染五郎演じるヤマヒコとともにウミヒコを熱演しました。この公演は全席満席となるほどの、大きな話題となりました。

さらに10月には、『義経千本桜』通し上演で、祖父・猿翁が宙乗りを復活させたことで知られる「四の切」の源九郎狐を勤めます。猿翁最大の当たり役の一つであり、自身も幼い頃から憧れ続けてきた大役を、松竹創業130周年を記念した「歌舞伎三大名作一挙上演」のラストを飾る舞台で演じることになったのです。

2026年3月に青山学院大学を卒業すると、5月にはTHEATER MILANO-Za『三代猿之助四十八撰の内 獨道中五十三驛ひとりたびごじゅうさんつぎ』で13役早替わりという難役に挑戦。7・8月には、スーパー歌舞伎では久々の新作となる『もののけ姫』で主人公・アシタカを熱演し、スーパー歌舞伎誕生40周年という節目の年に2か月連続で主演公演を務めます。

歌舞伎役者の家で育ったわけではありませんでしたが、幼い頃から父・中車に連れられて歌舞伎に親しみ、8歳で歌舞伎の世界へ飛び込んだ團子。憧れの祖父・猿翁、そして猿之助の背中を追い続けた少年は、数々の試練を乗り越え、いまや澤瀉屋の未来を託される存在へと成長しました。偉大な祖父・二代目 市川猿翁の精神を受け継ぎながら、新たな時代の澤瀉屋をどのように築いていくのか――その歩みからますます目が離せません。




歌舞伎役者・市川團子の魅力とは!

市川團子とは、どのような歌舞伎役者なのでしょうか。ここでは、その人物像を3つのポイントから解説します。

團子の原点は祖父・猿翁

市川團子の歌舞伎役者としての原点をたどると、そこには祖父・二代目 市川猿翁への強い憧れがあります。

團子が幼い頃、自宅では父・香川照之(後に市川中車)が、猿翁の出演した歌舞伎の映像を日常的に流していました。

その中でも團子の心を強く惹きつけたのが、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』や、歌舞伎三大名作の一つ『義経千本桜』の「四の切」、そして澤瀉屋の芸である『黒塚』です。

宙乗りや立廻り、早替りといったダイナミックな演出に夢中になり、特に『ヤマトタケル』では、自宅で母親に抱きかかえてもらいながら宙乗りごっこをして遊んでいたほどだったそうです。

團子にとって猿翁は、血のつながった祖父というだけではありません。映像の中で誰よりも輝き、観客を熱狂させる憧れの歌舞伎役者でした。

そして、その猿翁が生み出した『ヤマトタケル』は、團子にとって単なる好きな演目ではなく、彼にとっては役者としてのアイデンティティそのものと言えるほど特別な作品になっていきます。

初舞台のおよそ1年前、7歳の頃に父から「歌舞伎をやりたい?」と尋ねられた團子は、迷うことなく「やりたい!」と答えました。

祖父に憧れていたので、“じいじと同じ舞台に立てるんだ! 嬉しい!”と、子供心にもそう思っていました。その思いは今も変わってないです(笑)。
― 「kabukabu」インタビュー

幼い頃から憧れ続けた祖父と同じ舞台に立ちたい――その純粋な思いこそが、團子が歌舞伎役者を志した原点であり、その後も一貫して歩み続ける原動力となっています。

團子流の歌舞伎の学び方

團子の歌舞伎に対する姿勢で特筆すべきことの一つが、その研究熱心さと強いこだわりです。

その一例が、祖父の舞台映像芸談を照らし合わせながら研究するという学び方です。

芸談を読んでから映像を見ると、数年前には見落としていた祖父の工夫を発見するんです。祖父が創ったものは「温故知新」の塊。新しいことをやっているように見えて、その根底には古典の確固たる手法があります。
― 「KABUKI HOPE」より

例えば『ヤマトタケル』では、熊襲を平定する場面の見得が『博多小女郎波枕はかたこじょろうなみまくら』の「汐見の見得」を応用したものだったり、弟橘姫が海へ身を投げる場面が『平家女護島へいけにょごのしま』の俊寛を参考にしていたりと、新作の中にも古典歌舞伎の技法が数多く取り入れられていることを発見したと語っています。

さらに團子は、舞台で得た気づきを決してそのままにしません。

台本解釈を家でやったりして、舞台に立つことで「あ、こうだったんだ」と気づきを得ることがあります。でも終演すると忘れちゃうんです。なので、そこは逃さずに書くようにしています。
― フジテレビ「ノンストップ!」(2026年6月1日放送)

その書き込み量の多さは、共演した中村壱太郎が「ロゼッタストーンみたいで読めない(笑)」と驚くほど。團子は舞台で得た発見を、一つひとつ自分だけの教科書へと積み重ねているのです。

また2024年の『天守物語』では、坂東玉三郎から役の解釈や台詞回し、視線、所作まで細かな指導を受け、映像では得られない多くのことを教わったそうです。

玉三郎の教えは、多くの若手歌舞伎役者たちに大きな影響を与えています。尾上辰之助や市川染五郎も、玉三郎から受けた指導が役者人生の大きな糧になったと語っており、二人とともに「染團辰」と呼ばれる團子も、いわば“玉三郎塾”の一員となったようですね。

祖父・猿翁の映像を研究し、芸談を読み込み、舞台での気づきを台本へ書き留め、さらに坂東玉三郎をはじめとする名優たちから受けた教えを一つひとつ自分の芸へと落とし込む──。團子は、こうした地道な積み重ねによって、自らの歌舞伎を磨き続けているのです。

澤瀉屋を背負う若き存在へ

團子が若くして澤瀉屋の中心的存在と呼ばれるようになった理由は、名門に生まれたからだけではありません。

祖父・猿翁の芸を映像や芸談から学び、舞台で得た気づきを積み重ねながら、自らの芸を磨き続けてきた努力が、少しずつ周囲の信頼へとつながっていきました。

その大きな転機となったのが、2023年5月の猿之助の休演です。團子は急きょスーパー歌舞伎『不死鳥よ 波濤を越えて』で主人公・平知盛の代役を務めることとなり、大きなプレッシャーの中で舞台を成功へ導きました。

彼が代役で(不死鳥の役を)演じきった時、人生に一度か二度あるかないかのすごい奇跡が起きたと思いました。終演して、みんなで抱き合ってワンワン泣いていた時、團子が戻ってきてケロッとした顔で「できたねー」って。その時僕は『ヤマトタケル』のラストで彼が白鳥になって宙乗りする姿が見えた。「近い将来にできるね」と、一門の人たちとも話しました。
― 市川中車

なんと、中車が思い描いたこの未来は、わずか1年後に現実となります。2024年、團子は祖父・猿翁が生み出したスーパー歌舞伎の代表作『ヤマトタケル』で主人公に抜擢され、新橋演舞場を皮切りに、御園座、松竹座、博多座と全国4都市で主演。スーパー歌舞伎を受け継ぐ新たな担い手として、大きな一歩を踏み出しました。

そして2026年には、スーパー歌舞伎誕生40周年の節目を飾る久々の完全新作『もののけ姫』で主人公・アシタカ役で主演。澤瀉屋にとっても、新たな歴史を刻む大きな挑戦となります。

我々は本当にこの父の意思を継いで、この2026年の7月8月の公演を伝説にしなければならない、そういう気持ちがしております。
― 市川中車

この言葉からは、猿翁が築き上げたスーパー歌舞伎を次の世代へ受け継ごうとする、澤瀉屋の強い覚悟が伝わってきます。その中心に立つのが、主人公・アシタカを演じる團子です。

祖父への純粋な憧れから歌舞伎の道を歩み始め、映像や芸談、そして名優たちからの教えを糧に、一歩ずつ芸を磨いてきた團子。今や澤瀉屋だけでなく、歌舞伎の未来を担う若き中心として、大きな期待を背負う存在へと成長しています。




令和歌舞伎を担う「染團辰」――戦友とともに歩む團子

「染團辰」と呼ばれる染五郎・團子・辰之助の三人
「染團辰」と呼ばれる染五郎・團子・辰之助の三人

市川團子を語る上で欠かせないのが、市川染五郎尾上辰之助の存在です。

ほぼ同世代の三人は、染團辰(そめだんたつ)」の愛称で親しまれ、令和の歌舞伎界を担う若手として大きな期待を集めています。

團子と染五郎の初共演は2013年10月、国立劇場『春興鏡獅子』でした。その後も『東海道中膝栗毛』シリーズや『三社祭』『蝶の道行』『火の鳥』など数々の舞台で共演し、息の合ったコンビとして人気を集めています。

染五郎は團子について「戦友」「太陽のような存在」と語り、團子も染五郎を「戦友」と表現しています。また、「小学4年生で初共演して以来、何度も共演させていただいています。いつまでも同じ関係性のまま一緒に舞台を勤めていきたいです」と話しており、お互いに深い信頼を寄せていることがうかがえます。

2026年5月には尾上左近が三代目 辰之助を襲名し、それまで「染團左(そめだんさ)」と呼ばれることもあった三人の愛称は「染團辰」へと進化。辰之助は團子を「絵に描いたような好青年」「素直でマメで、見ていてまぶしい太陽のような人」と評し、「その表の顔をいつかはがしてみたい(笑)」と冗談を飛ばすなど、仲の良さが伝わってきます。團子も辰之助について「同じく戦友。今まで共演の機会があまりなかったのですが、これから一緒に切磋琢磨していきたいです」と語っています。

三人はそれぞれ歩む道こそ異なりますが、三人はこれからの歌舞伎の未来を担う存在として、お互いを刺激し合いながら成長を続けています。ライバルであると同時に戦友でもある「染團辰」の活躍から、これからも目が離せません。

🔰 「染團」や「染團辰」の由来は?🎯:
歌舞伎界では古くから、一時代を築くほど絶大な人気を誇る名コンビやトリオの頭文字を組み合わせて呼ぶ伝統があります。かつて一世を風靡した「團菊」や「團菊左」「菊吉」「孝玉」といった伝説のペア・トリオにならったものです。現在の「染團」や「染團辰」という呼び方は、それだけ「彼らに次代の歌舞伎界を背負ってほしい」という大きな期待が込められた愛称と言えます。




市川團子の家族は?

市川團子は、歌舞伎界屈指の名門・澤瀉屋(おもだかや)の血を受け継ぐ歌舞伎役者です。ここでは、團子を支える家族について紹介します。

祖父・二代目 市川猿翁

二代目 市川猿翁(1939〜2023)は、澤瀉屋を代表する名優であり、現代歌舞伎に新たな時代を切り開いた革新者です。

1947年、三代目 市川團子として初舞台を踏み、1963年に三代目 市川猿之助を襲名。『義経千本桜』の狐忠信や『黒塚』の鬼女など古典歌舞伎で高い評価を受ける一方、1986年には宙乗りなど大胆な演出を取り入れた「スーパー歌舞伎」を創始し、『ヤマトタケル』『オグリ』『新・三国志』など数々の話題作を生み出しました。

役者としてだけでなく演出家としても歌舞伎の可能性を広げ、文化功労者、紫綬褒章をはじめ数々の賞を受賞。2000年には宙乗り5000回を達成し、ギネス世界記録にも認定されています。

團子にとって猿翁は、幼い頃から映像を見て憧れ続けた存在であり、歌舞伎の原点ともいえる人物です。現在も團子は『ヤマトタケル』などを通じて、祖父が築いたスーパー歌舞伎の精神を受け継ぎ、その志を未来へつないでいます。

父・九代目 市川中車

九代目 市川中車(香川照之)は、俳優として第一線で活躍した後、2012年、46歳で歌舞伎界入りを果たした異色の歌舞伎役者です。

襲名披露公演では『小栗栖の長兵衛』の長兵衛、『ヤマトタケル』の帝、『将軍江戸を去る』の山岡鉄太郎を勤め、翌2013年には父・二代目 市川猿翁との初共演も実現。その後も『一本刀土俵入』『ぢいさんばあさん』『牡丹燈籠』『芝浜革財布』など、新歌舞伎から世話物まで幅広い役に挑み、着実に歌舞伎役者として実績を積み重ねています。

また、中車は息子・團子を歌舞伎役者へ導いた人物でもあります。團子が生まれたことをきっかけに、自らの血筋や澤瀉屋の伝統を改めて見つめ直し、「息子だけにその道を歩ませるのではなく、自分もともに歩む」という覚悟を決意。46歳という異例の年齢で歌舞伎界へ飛び込みました。

現在も親子で同じ舞台に立ちながら、團子の成長を支え続けています。

📖 團子の歌舞伎人生の原点をもっと知りたい方は、こちらの一冊もおすすめです。市川團子が歌舞伎の世界へ進むことになった経緯や、襲名当時のエピソードが詳しく描かれています。

従叔父・四代目 市川猿之助

四代目 市川猿之助は、團子の従叔父(父の従兄弟)にあたる歌舞伎役者です。

『義経千本桜』の狐忠信や『黒塚』など古典歌舞伎で高い評価を受ける一方、人気漫画を歌舞伎化した新作歌舞伎『ワンピース』の大ヒットは世間をあっと言わせ、その後のアニメ・漫画などの歌舞伎化の先駆けとなっています。また、テレビドラマ『半沢直樹』では従兄弟の香川照之(九代目 市川中車)と共演し、一大ブームを巻き起こすなど、歌舞伎界を代表する人気役者として活躍しました。

團子にとっては、幼い頃から最も身近な目標でもあり、初舞台『ヤマトタケル』ではワカタケル役で共演。その後も多くの舞台をともにしながら、その指導を受けて成長してきました。

そんな人気絶頂だった猿之助でしたが、2023年5月、世間を揺るがす衝撃的な出来事が起こります。両親とともに一家心中を図り、猿之助は自殺ほう助などの罪に問われ有罪判決を受けることに。その後のすべての活動は休止となりました。

この事件は澤瀉屋にも大きな影響を与えましたが、團子は猿之助が主演していた『不死鳥よ 波濤を越えて』で急きょ代役主演を務め、その後も『ヤマトタケル』や『もののけ姫』など澤瀉屋を代表する作品で主演を勤めることになります。現在も猿之助は表に出てくることはありませんが、團子に稽古をつけるなど、裏方として澤瀉屋を支えているといいます。

猿之助の今後がどのようになるのかはわかりませんが、多くのファンが復帰を期待しています。

祖母・浜木綿子、母や妹との関係は?

團子の祖母は、元宝塚歌劇団雪組トップ娘役として活躍し、退団後も舞台やテレビドラマで長く人気を集めた女優・浜木綿子です。二代目 市川猿翁と結婚しましたが、香川照之が幼い頃に離婚しています。

團子の母は、元キャビンアテンダントの女性です。1995年に香川照之(九代目 市川中車)と結婚し、團子と妹の一男一女をもうけましたが、2016年に離婚しました。離婚理由について中車は明かしていません。團子の親権は中車が持ちましたが、團子自身は母のもとにも自由に行き来していたといい、離婚後も母との交流は続いているようです。

妹とも仲が良く、2024年に主演を務めた『ヤマトタケル』について、妹から「お兄ちゃんのお舞台の中で一番好きな演目!」と言われたことが、とても嬉しかったと團子は語っています。

その後、中車は2022年に一般女性と再婚し、男の子が誕生しました。團子にとっては、年の離れた異母弟にあたります。




市川團子の出演情報

市川團子、市川中車の出演情報を紹介します。

2026年7月 歌舞伎出演情報

2026年7月の【新橋演舞場】に市川團子と市川中車が出演します。 詳しくは以下の記事をご覧ください。

【2026年7月】歌舞伎公演情報|歌舞伎座・もののけ姫・菊五郎襲名巡業など注目公演まとめ
【2026年7月】歌舞伎公演情報|歌舞伎座・もののけ姫・菊五郎襲名巡業など注目公演まとめ

2026年8月 歌舞伎出演情報

2026年8月の【新橋演舞場】に市川團子と市川中車が出演します。 詳しくは以下の記事をご覧ください。

【2026年8月】歌舞伎公演情報|八月納涼歌舞伎・もののけ姫・アリーナ歌舞伎まで夏の注目公演!
【2026年8月】歌舞伎公演情報|八月納涼歌舞伎・もののけ姫・アリーナ歌舞伎まで夏の注目公演!

市川團子ら若手歌舞伎俳優が集結!『KABUKI HOPE』発売中!

歌舞伎の未来を担う若手俳優たちを特集したムック『KABUKI HOPE』が、2026年6月29日に発売されました。本書には、市川團子の他に、尾上松也中村壱太郎尾上右近中村隼人中村莟玉市川染五郎尾上辰之助中村勘太郎らが登場します。セブンネット限定版では、市川團子フォトカード2枚の特典付きです。

「天翔ける心」を胸に――澤瀉屋の未来を切り開く市川團子

市川團子は、祖父・二代目 市川猿翁への強い憧れを原点に、澤瀉屋の芸とスーパー歌舞伎の精神を受け継ぐ若手歌舞伎役者です。

幼い頃から猿翁の舞台映像や芸談を繰り返し研究し、舞台で得た気づきを一つひとつ積み重ねながら成長してきました。2023年の大きな試練を乗り越え、『ヤマトタケル』や『獨道中五十三驛』『もののけ姫』などで主演を務め、いまや澤瀉屋の中心を担う存在となっています。

染五郎、辰之助とともに「染團辰」の一翼を担い、祖父が切り開いた道を受け継ぎながら、これからどのような新しい歌舞伎を見せてくれるのか。市川團子の今後の活躍から目が離せません。




参考資料

【書籍📚】
かぶき手帖
「ほうおう 2026年1月号他」
市川中車 46歳の新参者

【ウェブサイト🌐】
歌舞伎美人
歌舞伎オンザウェブ

※本記事の制作について
一部AIを用いたライティング・画像編集支援を行っていますが、最終的な編集・事実確認・表現調整はすべて人の手で行っております。