坂東巳之助の家系図紹介!SNSを使わず歌舞伎で勝負する男意気がスゴイ
歌舞伎役者・二代目坂東巳之助は、現在の歌舞伎界で注目の若手役者の一人です。
踊りの名手と言われた名優・十代目坂東三津五郎の長男として生まれましたが、その父を早く亡くすなど苦労しながらも、人気アニメを歌舞伎化した「ワンピース」や「NARUTO」で注目され、他のメディアでの活躍も増えています。
また、坂東巳之助はSNSで情報発信するのが当たり前な現代において、そういうものを使わないで純粋に舞台での演技で勝負するという男意気を持った、今どきの若手には珍しい役者でもあります。
この記事では、坂東巳之助の歌舞伎家系図や家族構成、プロフィール、歌舞伎への思い、出演する上演情報などについて紹介していきます。
目 次
歌舞伎俳優「坂東巳之助」の家系図とプロフィール
二代目坂東巳之助の坂東三津五郎家は、江戸時代から続く由緒ある家系からつながっています。巳之助を中心とした歌舞伎家系図と家族構成、プロフィールなどを以下に紹介します。
二代目坂東巳之助を中心とした家系図
坂東巳之助の系譜は、江戸時代に幕府に芝居小屋を許された三座の一つである森(守)田座の座元からつながっています。
芝居小屋を新富座と改めた十二代目守田勘弥から、現在の五代目坂東玉三郎や初代坂東彌十郎の「守田勘弥家」、五代目坂東秀調の「坂東秀調家」、そして二代目坂東巳之助の「坂東三津五郎家」が続いています。
巳之助の父・十代目坂東三津五郎は“踊りの名手”と呼ばれた名優でしたが、2015年に59歳という若さで惜しまれて世を去りました。母は元宝塚歌劇団女優の寿ひずる(後に離婚)。女優の守田菜生と舞踊家の守田幸奈という二人の姉がいます。妻は元タレントの水越彩で、すでに二人の男の子に恵まれています。
二代目坂東巳之助のプロフィール
坂東巳之助のプロフィールは以下のようになっています。かつてはバンドを組んでドラマーをやっていたこともあるそうですよ。
二代目 坂東巳之助(ばんどう みのすけ) |
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生年月日 |
平成元(1989)年9月16日 |
本名 |
守田 光寿(もりた みつひさ) |
屋号 |
大和屋(やまとや) |
家紋 |
【定紋】三つ大(みつだい) 【替紋】花かつみ(はなかつみ) |
初お目見得 |
平成3(1991)年9月 歌舞伎座 守田光寿の名で「傀儡師」の唐子役 |
初舞台 |
平成7(1995)年11月 歌舞伎座 「壽靱猿」の小猿、「蘭平物狂」の繁蔵で二代目坂東巳之助を名乗り初舞台 |
主な歌舞伎の役 |
「菅原伝授手習鑑 車引」杉王丸・梅王丸 「棒しばり」次郎冠者・太郎冠者 「スーパー歌舞伎II ワンピース」ゾロ/ボンクレー/スクアード 「毛抜」粂寺弾正 「傾城反魂香」浮世又平 「神楽諷雲井曲毬」荷持どんつく 「歌舞伎座捕物帖」瀬之川伊之助 「京人形」彫物師甚五郎 「NARUTO」うずまきナルト 「三人吉三巴白浪」お坊吉三・和尚吉三 「芋掘長者」芋掘藤五郎 「乗合船惠方萬歳」萬歳 「伽羅先代萩」荒獅子男之助 「風の谷のナウシカ」ミラルパ/ナムリス 「茶壺」熊鷹太郎 「仮名手本忠臣蔵」寺岡平右衛門 「流星」流星 「加賀見山再岩藤」鳥居又助 「天竺徳兵衛新噺」馬士多九郎 「寿曽我対面」曽我五郎時致 |
歌舞伎以外の出演作 |
《舞台》 「江戸の青空 弐」徳三郎役(2011年) 「母をたずねて膝栗毛」手代銀二役(2014年) 「ラヴ・レターズ」アンディ役(2016年) 《テレビ》 テレ朝「椿山課長の七日間」卓人役(2009年) 日テレ「心ゆさぶれ! 先輩ROCK YOU」準レギュラー(2010年) テレ朝「仮面ライダーオーズ/OOO」坂田浩介役(2011年) 《映画》 「桜田門外ノ変」有村次左衛門役(2010年) 「清須会議」 織田信孝役(2013年) 「東京喰種トーキョーグール」ウタ役(2017年) 「東京喰種トーキョーグールS」ウタ役(2019年) 「燃えよ剣」孝明天皇役(2021年) |
その他・経歴 |
平成25(2013)年 名題昇進 平成27(2015)年 日本舞踊坂東流家元 平成30(2018)年 伝統歌舞伎保存会会員 |
趣味 |
ドラム・ギター |
二代目坂東巳之助は、平成元年(1989年)に十代目坂東三津五郎の長男として生まれます。2歳になるときに歌舞伎座で初お目見得を果たし、6歳のとき二代目坂東巳之助を襲名し初舞台を踏みます。
歌舞伎の家に生まれた子供らしく3歳のときから踊りの稽古に通っていましたが、稽古事は大嫌いだったので少年時代はよくさぼって父・三津五郎と喧嘩になっていました。
思春期になると歌舞伎以外のことをやりたいと思うようになり、居酒屋でバイトしながら友人と「ゼロクリック」というバンドを組み、ドラムを叩いて作曲やライブに熱中していました。
そんな息子に父の三津五郎はどうにかして歌舞伎をやらせようとして、
「芝居をやらない意味がわからない」(三津五郎)
「芝居をやらせたい意味がわかない」(巳之助)
とお互いに譲らず、時には激しい口論になっていたようです。
ところが、巳之助が17歳くらいから、
「なんでも自由にしていい」(三津五郎)
と言うようになり、そのうち巳之助は「自分でも何でだかわからない」と言いながらも、歌舞伎役者の道へと進んで行くようになります。
2008年に新春浅草歌舞伎に初めて出演し、その後も父・三津五郎と同じ舞台に立つなど着実に経験を積んでいきます。
まだまだ若手の26歳のときに父・三津五郎が亡くなり、後ろ盾を失うことになりますが、その年に初演された「スーパー歌舞伎II(セカンド) ワンピース」での演技が注目を集めることになります。
その後は新春浅草歌舞伎で主要メンバーとして出演し、2018年には新作歌舞伎「NARUTO」で、ダブル主演の中村隼人とともに座頭を務め、2019年初演の新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」に出演するなど、これからの歌舞伎界を担う若手役者の一人として活躍します。
2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で歌舞伎公演も中止を余儀なくされましたが、その期間に始まった歌舞伎公式チャンネル「歌舞伎ましょう」では、尾上松也ら若手俳優たちがそれぞれの自宅で見得をする動画「おうちで見得〜る」が公開され、巳之助は出演するだけでなく動画のBGMも作曲しています。
公演が再開された2020年8月の歌舞伎座にも出演し、かつて父・三津五郎とライバルでありよき友であった十八代目中村勘三郎の二人が演じて人気のあった演目「棒しばり」を、勘三郎の長男・中村勘九郎と演じ、歌舞伎座の再開に花を添えました。
2021年8月、歌舞伎座の「八月花形歌舞伎」第一部で市川猿之助が主演で六役早変わりを演じることになっていましたが、開幕前の新型コロナウイルスのPCR検査で陽性となったため当面休演となりました。そこで急遽代役に指名された巳之助は、わずか4日間の稽古で本番の舞台に臨み六役早変わりという大役を見事に果たします。
2021年11月には十代目坂東三津五郎七回忌追善狂言が行われ、巳之助は父・三津五郎が襲名披露で演じた「寿曽我対面
」の曽我五郎を演じています。
まだまだ荒削りな面もありますが、与えられた役の性根をしっかりとつかむ父親ゆずりの芝居のセンスと、坂東流の家元としての舞踊の腕前で今後の活躍が期待される若手役者の一人なのは間違いありません。
巳之助の父・三津五郎はフジテレビ(当時)の女子アナ・近藤サトとの浮気が原因で1997年に離婚しています。まだ小学生だった巳之助にとってはつらい出来事だったでしょうから、それが父への反発につながった面もあるかもしれません。しかし、父の葬儀で見事な謝辞を述べる姿を見ると、そんな思いを乗り越えて歌舞伎を選んだ芯の強さをもっているのでしょうね。
SNSは使わない!時代に流されない巳之助の男意気
近頃は、SNS(ブログ、ツイッター、インスタグラム、You Tubeなど)を使った情報発信が広がり、歌舞伎界でも市川海老蔵のように積極的に使う役者も増えてきました。
ところが、坂東巳之助はブログを少しやっていた時期もありましたが、今はSNSには手を出さないどころか、出演したテレビ番組で、
と宣言してしまいました。
また、次のようにネット上での匿名での批評に対して批判的な意見も述べています。
巳之助としては、若いファンを獲得するために安易にSNSを利用しようとするのは若い人を馬鹿にした見方であって、本物を見せれば分かる人はわかってもらえるという思いや、ネット上でどこの誰かもわからない人から、さも通ぶった批評を聞かされるのも嫌なのだとか。
巳之助は現代の風潮に安易に流されない、自身の歌舞伎への強い信念とプライドを持っているようですね。
巳之助が以前やっていたブログは「日々是Show人」というタイトルで、2016年7月まで更新されていました。更新は終わっていますが、そのまま残されているので今でも読むことができます。内容は、「基本的にどうでもいい内容」と本人が言っているように、本当にどうでもいいようなことが書かれている感じで・・・ブログは嫌いというよりそもそも向いてないようですね。
巳之助と言えば「ワンピース」なのか?
坂東巳之助の名前を歌舞伎を知らなかった人たちに大いに広めたのは、市川猿之助によるスーパー歌舞伎II(セカンド)「ワンピース」への出演でした。
巳之助は2015年に初演時から、ゾロ、ボン・クレー、スクアードと主要な三役を演じており、なかでも“おかま”のボン・クレーの怪演ぶりは大きなインパクトを与えました。
ワンピース歌舞伎は多くの若者を歌舞伎の世界に引き込むことに成功し、主演の猿之助だけでなく、中村隼人、尾上右近など現在テレビなどでも活躍する若手役者たちの存在を大きくアピールするものになりました。
もちろん巳之助もその一人なのですが、本人としては「ワンピース」でのイメージにはいろいろと思うところがあるようです。
巳之助にとっては、誰が演じているのかはわからなくても、役そのものに感動してからそれを演じている役者はすごい!と思われるのが理想のようです。
「ワンピース」で巳之助が演じたボン・クレーはまさにそういう理想的なパターンだったのですが、その役の印象ばかりが残ってしまうという結果になってしまったことは複雑なものがあるようですね。
また、舞台に対して次のようにも語っています。
舞台で演じる以上、そこに立つまでの苦労や努力ではなく、あくまで舞台上での演技で評価される役者を目指していきたい・・・。
坂東巳之助は歌舞伎の舞台への純粋な思いを持った役者なのですね。
父は歌舞伎の求道者 十代目坂東三津五郎
巳之助の父・十代目坂東三津五郎は、昭和31年(1956年)に九代目三津五郎と八代目三津五郎の長女の間に長男として生まれました。
1歳のとき、祖父である七代目三津五郎に抱かれて初お目見得を果たすと、6歳で五代目坂東八十助を襲名し初舞台、平成13年・45歳で十代目坂東三津五郎を襲名します。
22歳でNHKの朝ドラに出演したことで全国的に知名度が上がりますが、歌舞伎では下積みが長く主役を務めたのは30歳と決して早くはありませんでした。
しかし、その後は次々と大役を演じていき、確かな演技力とと切れのある台詞回しで、品格を備えた正統派の役者として頭角を現していきます。
なかでも、同世代の十八代目中村勘三郎とのコンビは有名で、「三社祭」「棒しばり」など数々の名舞台を演じました。明るく天才的なキャラクターの勘三郎と生真面目で知的な三津五郎は絶妙の名コンビであり、良きライバルでもあったのです。
私生活では、女子アナとの不倫の末離婚するということになってしまいますが、子どもたちとの関係は良かったようで、地方公演先で趣味の城見物や食事につれていくなどしていたようです。
巳之助とは歌舞伎をやるかやらないかで喧嘩もしていましたが、結局は歌舞伎をやることになり、二人の娘も舞踊から芸能への道へと進んでいます。
盟友・勘三郎が亡くなったときに「片腕をもがれたようだ」と悲痛な弔事を読んだ三津五郎ですが、本人もそれからわずか三年足らずで病気のため59歳という若さで帰らぬ人となりました。
若いときは「個性がない」と評されることも多かった三津五郎ですが、それがかえってどんな役にもなりきれるという芸域の広さへと繋がります。品格のある正統派の演技は、近年珍しい江戸の風情を感じさせる粋で鯔背(いなせ)な役者だったのです。
坂東巳之助の出演情報
歌舞伎役者・坂東巳之助の出演情報を紹介します。
歌舞伎座 「團菊祭五月大歌舞伎」
2024年5月に歌舞伎座で開催される「團菊祭五月大歌舞伎」に坂東巳之助が出演します。
まとめ:流されない芯の強さを持った坂東巳之助に注目
二代目坂東巳之助は、若くして亡くなった名優・十代目坂東三津五郎の長男として生まれましたが、歌舞伎よりもバンド活動に熱心な青年期を送ります。
それでも、自らの意思で歌舞伎役者への道を選び、父亡き後も新春浅草歌舞伎やスーパー歌舞伎IIワンピース、新作歌舞伎NARUTOなどで注目を集めてきました。
SNS全盛の現代社会にあっても、あえてそういうものを使わないで実際の舞台での演技で勝負する男意気を持った役者でもあります。
生の舞台でしかわからない、坂東巳之助の魅力をぜひ歌舞伎の舞台で感じてみてくださいね。