尾上菊五郎家の家系図から、歌舞伎界屈指の芸能人一家の秘密を解説!

尾上菊五郎家の家系図から、歌舞伎界屈指の芸能人一家の秘密を解説!

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尾上菊五郎家おのえきくごろうけとは、音羽屋おとわやを屋号とする歌舞伎界でも屈指の名門の一つであり、江戸歌舞伎から市川團十郎家いちかわだんじゅうろうけとともに歌舞伎界の中心的存在で、今でも両家の役者は絶大な人気があります。

現在の尾上菊五郎は七代目にあたります。大女優・藤純子ふじじゅんこ(現・富士純子ふじすみこ)を妻に持ち、息子は歌舞伎役者・尾上菊之助として活躍し、娘・寺島しのぶは世界に認められる女優という芸能一家です。

ここでは尾上菊五郎家の家系図から、現代まで続く歌舞伎界の名門一家の魅力と秘密に迫ります

尾上菊五郎家の家系図はこうなっている

尾上菊五郎家は歌舞伎界でも市川團十郎家、中村歌右衛門家、松本幸四郎家、坂東三津五郎家などと並んで長い歴史を持った名門です。屋号は音羽屋で家紋は重ね扇に抱き柏となっています。

ここでは、代々の「尾上菊五郎」を中心とした家系図を紹介します。

尾上菊五郎家 家系図

尾上菊五郎家 家系図

※音羽屋の屋号は、尾上菊五郎家から別れた尾上松緑家や坂東彦三郎家も持っていますが、ここでは尾上菊五郎家のみに焦点を当てた家系図となっています。

>>「音羽屋」尾上右近の家系図はコチラ
>>「音羽屋」尾上松也の家系図はコチラ

歌舞伎役者・七代目尾上菊五郎とは

重ね扇が尾上菊五郎家の家紋

現在活躍する七代目尾上菊五郎は、昭和17年、六代目菊五郎の息子である七代目尾上梅幸の息子として生まれました。

昭和23年(1948年)に五代目尾上丑之助うしのすけとして初舞台を踏み、昭和40年(1965年)に四代目尾上菊之助を襲名、昭和48年(1973年)に七代目尾上菊五郎を襲名します。

元々女形(女性の役)を中心として活躍していましたが、菊五郎家の伝統である女形も立役(成人男性の役)もこなす「兼ねる役者」としての芸をこなすようになり、今では立役が中心となっています。

五代目・六代目菊五郎の当たり役である、青砥稿花紅彩画あおとぞうしはなのにしきえ(白浪五人男)の「弁天小僧」や魚屋宗五郎の「宗五郎」、神明恵和合取組かみのめぐみわごうのとりくみ(め組の喧嘩)の「辰五郎」などを得意とし、特に世話物での江戸の庶民の味わいを巧みに演じることに定評があります助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくらでの「白酒売の親兵衛」のような、やわらかい和事の役も絶妙です

菊之助時代の昭和40年(1965年)に、NHKの大河ドラマ「源義経」で主役の義経を演じると、その美貌から若い女性ファンが急増し、それまで歌舞伎に興味がなかった女子高生が菊之助見たさに劇場に詰めかけてきたそうです。

また、尾上菊之助市川新之助(後の十二代目市川團十郎)、尾上辰之助(初代・追贈三代目尾上松緑)の3人の若手役者は「三之助」と呼ばれて人気になり、共演すると劇場は若い女性ファンであふれました。

妻は女優・富司純子、娘も女優・寺島しのぶ

昭和47年(1972年)に、大河ドラマ「源義経」で共演した静御前役の女優・藤純子ふじじゅんこ(現・富士純子ふじすみこ)と結婚します。当時、人気絶頂の歌舞伎役者と女優というカップルの誕生はマスコミの注目の的で、日本中で話題になりました。

藤純子は結婚当時、東映の任侠映画の大スターだったので、菊之助よりもネームバリューは上でした。しかし、菊之助の「女性は半歩下がって夫にかしづくのがいい」という主義に従ったのか、結婚してからは梨園(歌舞伎の世界)の妻としての立場で夫・菊五郎を支え続けています

同年に長女の忍(現・寺島しのぶ)が生まれ、昭和52年(1977年)には長男の和康(現・尾上菊之助)が生まれます。

長女・忍は子供のときから父と同じ歌舞伎役者になるつもりでしたが、女性は歌舞伎役者になれないと知って辛い時期を過ごしたときもありました。しかし、女優になって舞台に立つという思いを捨てきれず、ほぼ自力で女優としての道を切り開き、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞や世界三大映画祭の一つ、ベルリン国際映画祭の銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞するなど、世界に認められる女優になっています。

息子・尾上菊之助の嫁は中村吉右衛門の娘

尾上菊之助と瓔子さんの結婚で音羽屋と播磨屋が姻戚関係に

長男の和康は6歳で初舞台を踏み、18歳のときに五代目尾上菊之助を襲名します。その後も着実に歌舞伎役者としてのキャリアを積み、名門・尾上菊五郎家の跡取りとしての地位を固めていきます。

端正な顔立ちでやさしい性格から女形がよく似合いますが、立役もしっかりこなせます。まさに尾上菊五郎家の芸風である、立役も女形もこなす「兼ねる役者」として申し分ない逸材です。

近年は新作歌舞伎の「マハーバーラタ戦記」や「風の谷のナウシカ」に出演するなど、新しい歌舞伎の魅力を広げる役者としても注目されています

そんな名門・尾上菊五郎家の跡継ぎとして期待の尾上菊之助の奥様は、これまた名門中村吉右衛門家の四女・瓔子ようこさんです。二人は平成25年(2013年)に神田明神で結婚式を上げ、このとき多くの歌舞伎ファンが詰めかけました。

この婚姻によって、音羽屋の尾上菊五郎家と播磨屋の中村吉右衛門家が姻戚関係となり、今後の歌舞伎界の発展にも大きな影響を与えることが期待されます。

【達人メモ その1】
尾上菊之助は音羽屋ではあまりやらない「渡海屋・大物浦」の平知盛や「大蔵譚」の大蔵卿を演じるとき、その役を得意とする中村吉右衛門から指導を受けています。播磨屋と姻戚関係になったことは、実際に彼の芸域を広げることにも繋がっているようですね。

尾上菊之助とそのお嫁さんである瓔子さんについて詳しくは次の記事も御覧ください。

孫の和史くん、眞秀(まほろ)くんも歌舞伎役者デビュー

尾上菊之助・瓔子夫婦のもとに、平成25年(2013年)に長男・和史かずふみくんが生まれました。和史くんは2歳5ヶ月のとき本名で初お目見えを果たしますが、このときは恥ずかしがって一人で舞台に立てず、父親の菊之助に抱かれての初お目見えとなりました。

それから5年後の平成29年(2018年)3月に「髪結新三」の丁稚長松の役で初舞台を踏み、6月には祖父の中村吉右衛門と共演を果たしています。そして平成30年(2019年)の5月、歌舞伎座の團菊祭五月大歌舞伎では「絵本牛若丸」の牛若丸役で七代目尾上丑之助を襲名しました。

そして、和史くんより一足先に生まれたのが、寺島しのぶの長男・眞秀まほろくんです。平成28年(2017年)5月の團菊祭五月大歌舞伎「魚屋宗五郎」の丁稚役で初お目見えで初舞台を踏み、その後も平成30年(2019年)3月に「盛綱陣屋」の小三郎役、4月に「実盛物語」の太郎吉役と舞台を立派に務めました。父親はフランス人のローラン・グナシアさんなので、このまま歌舞伎役者になれば、珍しいハーフの役者となります。

尾上菊五郎の血を受け継ぐ二人が、今後どういう役者として成長していくのかも楽しみですね。

人間国宝にも選ばれています

人間国宝とは重要無形文化財として個別に認定された保持者のことです。人間国宝に認定されるということは、日本の伝統芸能の高度な技を体得し、後世に伝えることのできる第一人者の証と言えます。歌舞伎役者としてはこれまで26人が認定されています。

現在の七代目尾上菊五郎は平成15(2003)年に人間国宝に認定されました。また、菊五郎の父親の七代目尾上梅幸は昭和43年(1968年)に女形として認定されており、親子二代で人間国宝に認定されるという快挙を成し遂げています

また、平成27(2015)年には文化功労者に選出され、令和3(2021)年には文化の発達に関し特に優れた功績を納めた個人に授与される文化勲章を受賞しました。

文化勲章の受賞コメントでは、「いつまでも色気を追求し、『モテたいな、褒められたいな』という煩悩を持ちつづけ、役者を勤め続けていきたいです」などとユーモアを交えたコメントをしており、まだまだ現役で活躍し続けそうですね。



歴代の尾上菊五郎とは

五代目尾上菊五郎の像

五代目尾上菊五郎の像

歌舞伎の名門として江戸時代から続く尾上菊五郎家ですが、初代から六代目までがどのような役者だったのかを紹介します。

初代 尾上菊五郎
享保2年(1717年)、京都に生まれる。父親の名は音羽屋半兵衛といい芝居小屋の出方(案内係)をしていた。屋号の音羽屋はここからきている。子供のときに尾上左門という役者に弟子入りし歌舞伎の世界へ。尾上菊五郎としての初舞台は若衆方(美少年)だったが、その美貌から後に女形に転向し上方で活躍する。二代目團十郎が上方で「鳴神」を演じた時に雲の絶間姫くものたえまひめに抜擢されことから團菊両家の関わりが始まる。團十郎に誘われて江戸に上がった菊五郎は立役に転向して大人気になる。初代坂東彦三郎の娘婿になったことで、音羽屋の屋号は菊五郎家と彦三郎家の系統に使われるようになった。一つの芝居の中で立役が女形を兼ねた最初の役者でもある。50歳からは江戸と上方の両方で活躍したが、67歳の時に大阪で亡くなった。
二代目 尾上菊五郎
明和6年(1769年)、初代菊五郎の後妻(二世大谷広次の娘)との間に生まれた子供で幼名は丑之助。初代が亡くなってから二代目菊五郎を襲名するが、歌舞伎役者としては目立った活躍をする前に18歳で亡くなっている。
三代目 尾上菊五郎
二代目菊之助には子がなかったので、初代尾上菊五郎の弟子・尾上松助(初代松緑)の養子栄三郎が、三代目菊五郎を継ぐことになる。「俺ってなんていい男なんだ」と言ったらまわりも納得したほどの美貌で、女性に絶大な人気があり、立役、女形、実悪などあらゆる種類の役柄をこなしていた。怪談物を得意とし、「四谷怪談」のお岩さんは当たり役。喧嘩っ早い性格で、金主(スポンサー)と喧嘩して江戸歌舞伎に出られなくなったり、七代目團十郎が助六を演じた時に、対抗して助六を演じて團十郎を怒らせたりしている。白浪五人男で弁天小僧が「祖父さんに似ぬ声色で・・」と言うときの祖父さんはこの三代目菊五郎のこと。よほど舞台が忘れられなかったのか、二度引退して二度とも現役復帰しているが、大阪での興行中に病気になり江戸へ帰る途中で死去。享年66歳。
四代目 尾上菊五郎
三代目菊五郎には三人の息子がいたが、いずれも早世したので長女の娘婿として初代中村歌六の門人だった歌蝶という役者を選び跡を継がせた。歌蝶は尾上菊枝、尾上栄三郎、尾上梅幸と芸名を変えていき、三代目が亡くなった四年後に四代目菊五郎となる。世話物よりも時代物の女形を得意として、おっとりとした品位を出していたと言われるが、菊五郎という名前に相応しいといえるほどの評判を残してはいない。53歳で死去するが、妻も同じ日に亡くなっている。
五代目 尾上菊五郎
弘化元年(1844年)浅草猿若町で市村座の座元・十二世市村羽左衛門の次男として生まれる。母親は三代目菊五郎の次女おとは。6歳で初舞台を踏み、9歳で十三代目市村羽左衛門と座元の地位を継ぐ。「鼠小僧」の三吉役でブレイクし、「青砥稿花紅彩画」が初演されたときに弁天小僧を演じたのが大当たりとなる。明治元年に市村座の座元を弟に譲り、五代目菊五郎を名乗ることになる。「團菊」と称される九代目團十郎とのコンビは特に有名で、良きライバルとして明治の新しい歌舞伎を牽引し、天覧歌舞伎でも共演している。團十郎家の歌舞伎十八番に対抗して「新古演劇十種」という怪異談を中心とした菊五郎家のお家芸を選定する。明治36年に60歳で亡くなるが、葬儀には4千人の会葬者が詰めかけ、その様子は映画に収められた。
六代目 尾上菊五郎
明治18年(1885年)に五代目菊五郎の妾の子として生まれたが、実子がいなかったためにすぐに本宅に引き取られる。7歳で尾上丑之助を名乗り九代目團十郎と共演。13歳のときに團十郎に師事して舞踊を仕込まれるなど團十郎とのつながりが深く、丑之助が19歳のときに五代目菊五郎が亡くなると、團十郎が後見となって六代目菊五郎を襲名する。父・五代目菊五郎と九代目團十郎の芸を受けついだ上に、芸に対する追求心が強く、型や役柄を徹底的に研究してリアリズムを表現した演技が特徴。初代中村吉右衛門とはよきライバルであり、「菊吉」と称されている。日本俳優学校を創設して後進の育成にも務めた。昭和24年に63歳で病没。歌舞伎で「六代目」とだけ呼ばれるときは、この六代目尾上菊五郎のことを指す。
【達人メモ その2】
「新古演劇十種」とは、五代目尾上菊五郎が家の芸として9種まで制定し、六代目菊五郎が最後の一つを加えて完成しました。市川團十郎のお家芸「歌舞伎十八番」に対抗したもので、内容は五代目が選んだ「土蜘」「茨木」「一つ家」「戻橋」「菊慈童」「羽衣」「刑部姫」「羅漢」「古寺の猫」と、六代目が加えた「身替座禅」です。菊五郎得意の怪異談を中心に選ばれているのは、幽霊や妖怪变化などの仕掛け物を家の芸として確立するためでした。ここで「怪談」ではなく「怪異談」と書いたのは、戸板康二著「尾上菊五郎」の記述を参考にさせていただきました。

歌舞伎役者・市川團十郎との関係は?

歌舞伎役者

尾上菊五郎市川團十郎は、江戸時代から歌舞伎の世界をリードしてきた二大名跡です。両家の歴史的にも深い繋がりを紹介します。

歌舞伎役者としては、初代團十郎の名前は元禄6年(1693年)に登場しており、初代菊五郎の享保2年(1717年)より先なので團十郎が先輩ということになります。

元々は上方の役者だった初代菊五郎を江戸歌舞伎へ抜擢したのが二代目團十郎(当時・海老蔵)です。後に團十郎家の歌舞伎十八番に選ばれる「鳴神」を上方で上演した時に、鳴神上人を二代目團十郎、女形の雲の絶間姫を初代菊五郎が演じたのが團菊の最初の共演です。

安永9年、初代菊五郎が舞台で四代目松本幸四郎と大喧嘩し、なんと刀で斬りかかろうとする騒ぎを起こしたことがありました。その前年には五代目團十郎が四代目幸四郎と大喧嘩して当時出演していた市村座を去るということもあったので、幸四郎側に非があったのかもしれません。

怒りの収まらない初代菊五郎はそのまま京へ帰ろうとしますが、五代目團十郎が、「俺もあんたの気持ちはよくわかるが、戻るならご見物衆に挨拶するべきだ」ととりなしたので、ようやく収まったそうです。

三代目菊五郎七代目團十郎より17歳も年下でしたが、芝居に関しては決して譲らなかったようです。文政2年(1819年)七代目團十郎がお家芸である「助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくら」を演じている時に、三代目菊五郎は張り合って、同じ内容の「助六曲輪菊すけろくくるわのももよぐさ」を團十郎側に断りなく上演しました。これに七代目團十郎は「あいつは礼儀を知らねえ」と怒り、その後三年間お互いに共演することを拒否したそうです。

五代目菊五郎九代目團十郎は、「團菊」という言葉を生み出すほどの一時代を築いた名コンビでした。時にライバルであり、時には良き友人という関係であり、二人が共演する芝居はいつも大盛況でした。

印象的なエピソードとしては、五代目菊五郎が息子(後の六代目菊五郎)を九代目團十郎にあずけて芸を仕込んでもらったことと、五代目菊五郎が亡くなった時に九代目團十郎が六代目菊五郎の襲名の後見となって口上を延べたことです。二人の強い信頼と絆を感じさせますね。

現在の七代目菊五郎は、菊之助時代に三代目市川新之助(後の十二代目團十郎)と初代尾上辰之助(追贈・三代目尾上松緑)を入れた三人で「三之助」と呼ばれて人気を博しました。そしてその息子たちも五代目菊之助、四代目新之助(現・十一代目海老蔵)、二代目辰之助(現・四代目松緑)の三人が「平成の三之助」と呼ばれて新たな歌舞伎ブームを起こしています。

令和2年(2020年)5月に海老蔵が十三代目市川團十郎を襲名します。いずれ五代目菊之助が八代目尾上菊五郎を襲名するときには、二人が新たな「團菊」時代を築いていくことでしょう。そして同じくらいの年齢の二人の息子も、それぞれ歌舞伎役者として歩み初めています。さらに次の世代の「團菊」がどういう関係になっていくのかも楽しみです

【達人メモ その3】
五代目菊之助と姉の寺島しのぶは十一代目海老蔵とは子供の時から幼馴染として育ちました。しのぶは活発でプロレス好きな女の子だったので、海老蔵は飛び膝蹴りを食らわせられたことがあるそうです。寺島しのぶの著書にも「弟の友人にジャンピング・ニーパッドを食らわせて鼻血を出させたことを未だに根に持たれている」と、海老蔵とは書いていませんが、それらしき内容の記述があります。今後も両家の子どもたちの間で様々なドラマが展開されるのかもしれませんね。

尾上菊五郎と市川團十郎のお祭り「團菊祭」については以下のページを御覧ください。




尾上菊五郎の歌舞伎を見よう

七代目菊五郎は2023年現在80歳になりますが、今でも歌舞伎の一線で活躍しています。さすがに体力的にはしんどいことも多くなっているようなので、だんだんと七代目の舞台をみられる機会も少なくなっていくでしょう。

ぜひ、今のうちに名門音羽屋の生ける人間国宝・七代目尾上菊五郎の芝居を観劇しておきたいものですね。現在わかっている尾上菊五郎家の出演予定は以下のようになります。

2024年4月 歌舞伎座

2024年4月の歌舞伎座「四月大歌舞伎」に尾上菊之助と菊五郎の孫にあたる尾上眞秀が出演します。

尾上菊五郎が見られるDVD

また、劇場に行けない人はDVDで尾上菊五郎を堪能してはいかがでしょうか。

歌舞伎名作撰 白浪五人男 浜松屋から滑川土橋の場まで [DVD]

弁天小僧を尾上菊五郎、日本駄右衛門を市川左團次、南郷力丸を尾上辰之助(現・松緑)、忠信利平を坂東彦三郎(現・楽善)、赤星十三郎を中村時蔵が演じるという豪華ラインナップです。



まとめ:歌舞伎の名門・尾上菊五郎家のこれからに注目

歌舞伎界を代表する名門・音羽屋の尾上菊五郎家とその家系図について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか。

現在活躍する七代目菊五郎は人間国宝にも選ばれた名優であり、その家族も、妻と娘は女優・富士純子寺島しのぶ、息子は歌舞伎役者の尾上菊之助で、孫の男の子二人も歌舞伎デビューを果たすなど、一家揃って芸能人として活躍する歌舞伎界でも注目の家系です。

歴代の菊五郎も歌舞伎界の宗家・市川團十郎家とともに、歌舞伎の世界を引っ張ってきた名優揃いです。ときにライバルであり、よき友人でもあった2つの名跡は、團菊と呼ばれて今でも称賛されています。

現在の七代目菊五郎は70代を越えた今でも、現役の歌舞伎役者として第一線で活躍しています。息子・菊之助との共演や、2020年5月に誕生する新しい團十郎との共演もまだまだ楽しみですね

あなたも尾上菊五郎の舞台を、ぜひとも一度は生で観劇してみてくださいね。

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