【歌舞伎役者】市川海老蔵はどこへ行くのか? 團十郎襲名のその先へ!
令和四年(2022)11月と12月に、コロナ禍で延期されていた市川海老蔵の十三代目市川團十郎白猿の襲名披露公演が行われます。
歌舞伎界にとってもファンにとっても待ちに待った襲名披露ですが、当事者である海老蔵は週刊誌やワイドショーでたびたび世間を騒がせており、本当に「市川團十郎」という名跡を継がせるべきなのか心配になるところです。
ここでは、市川海老蔵の歌舞伎役者としてのプロフィールや、世間を騒がすスキャンダルについて、コロナ禍での心境の変化や様々な歌舞伎以外での取り組みなどについて紹介し、市川海老蔵が何を目指しているのかを考察してみたいと思います。
目 次
歌舞伎役者 市川海老蔵とは?
歌舞伎役者・十一代目市川海老蔵は、現在の歌舞伎界でもっとも有名で人気のある役者の一人です。歌舞伎界の宗家と呼ばれる市川團十郎家の御曹司として子供の時から注目され、2022年11・12月には大名跡「市川團十郎」を襲名することになっています。そんな海老蔵の歌舞伎の経歴について以下に紹介します。
市川海老蔵のプロフィール
十一代目市川海老蔵のプロフィールを以下に紹介します。十一代目 市川海老蔵(いちかわ えびぞう) |
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生年月日 |
昭和52年(1977)年12月6日 |
本名 |
堀越 寶世(ほりこし たかとし) |
屋号 |
成田屋(なりたや) |
家紋 |
【定紋】三升(みます) |
初お目見得 |
昭和58年(1983)5月 歌舞伎座 「源氏物語」の春宮で堀越孝俊の名で初お目見得 |
初舞台 |
昭和60年(1985)5月 歌舞伎座 「外郎売」の貴甘坊で七代目市川新之助を名のり初舞台 |
襲名歴 |
昭和60年(1985)5月 七代目市川新之助 平成16年(2004)5月 十一代目市川海老蔵 令和4年(2022)11・12月 十三代目市川團十郎白猿(予定) |
主な歌舞伎の役 |
「源氏物語」春宮・光君 「外郎売」貴甘坊・曽我五郎 「勧進帳」弁慶・富樫 「雪暮夜入谷畦道」片岡直次郎 「鳴神」鳴神上人 「助六由縁江戸桜」花川戸助六 「鏡獅子」小姓弥生後に獅子の精 「暫」鎌倉権五郎 「義経千本桜」忠信・知盛・権太 「源平布引滝」義賢・実盛 「海神別荘」公子 「天守物語」図書之助 「紅葉狩」更科姫 「鈴ヶ森」幡随院長兵衛 「白浪五人男」弁天小僧 「毛抜」粂寺弾正 「夏祭浪花鑑」団七 「STAR WARS歌舞伎」魁煉之介 「プペル」プペル |
受賞歴など |
平成7年 真山青果新人賞受賞 平成7年 松竹会長賞受賞 平成9年 松竹会長賞受賞 平成12年 第7回読売演劇大賞 杉村春子賞受賞 平成13年 松尾芸能賞新人賞・芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞 平成19年 フランス芸術文化勲章(L’Ordre des Arts et des lettre)のシュヴァリエ(Chevalier)受章 |
公式サイト・SNS |
成田屋 市川團十郎・市川海老蔵公式ウェブサイト ABKAI市川海老蔵オフィシャルブログ EBIZO ICHIKAWA XI Facebook 市川海老蔵インスタグラム EBIZO TIMES(リンク集) |
十一代目市川海老蔵は昭和52年(1977)東京で十二代目市川團十郎(当時:十代目海老蔵)の長男として生まれました。
大名跡である市川團十郎の御曹司として子供のときから注目され、5歳で初お目見得、7歳で市川新之助を襲名して初舞台を踏みます。
少年時代は團十郎という大名跡を継がなければならないという重責から思い悩むこともありましたが、16歳のときに自らの祖父・十一代目團十郎が「勧進帳」で弁慶を演じる映像を見て感動し、祖父を目標として稽古に励むようになります。
鋭い眼光と鼻筋の通った男らしい容貌だけでなく、その芸の大きさから超人的なオーラも感じさせる迫力があり、歌舞伎だけでなくテレビなどでも人気を集めますが、若さゆえか女性関係などでのスキャンダルも多く、ときにそのふるまいが「わがまま」「傲慢」だと批判されることも多々ありました。
2010年にフリーアナウンサーの小林麻央と結婚し、その後長女・麗禾(現・市川ぼたん)と長男・勸玄が生まれ、歌舞伎役者としてだけでなく家庭的にも恵まれますが、2013年に父・十二代目團十郎が白血病で亡くなり、妻の麻央も2017年に乳がんで亡くなるという悲劇に見舞われます。
しかし、歌舞伎役者としての活動は留まることなく、お家芸である歌舞伎十八番の復活上演や新作歌舞伎を次々と披露し、新型コロナウイルスの影響で延期になっていた十三代目市川團十郎白猿襲名も2022年11・12月に行われることになりました。
プライベートでは二人の子どもたちの良きパパとして奮闘する様子をSNSで公開したり、環境問題に取り組むための植樹活動のABMORI(えびもり)を主催しながら環境保全のためのNPO法人Earth&Humanを立ち上げ、日本の伝統芸能を伝えるためのオンラインカルチャースクールZENを企画するなど、歌舞伎以外での活動の幅を大きく広げています。
現在の歌舞伎界きっての花形役者で良くも悪くも世間の話題になる十一代目海老蔵は、江戸歌舞伎からの大名跡・市川團十郎を受け継ぐことで、さらなる活躍が期待されます。
海老蔵は問題児なのか?
市川海老蔵と言えば、若いころからたびたび週刊誌やワイドショーを賑わせてきたので、歌舞伎を知らない人にとってはあまり良いイメージがないかもしれません。子供が生まれてからはあまり世間を騒がすことは少なくなったように思えましたが、実際のところはどうなのでしょうか。
海老蔵のスキャンダルとは?
市川海老蔵と言えば歌舞伎界のスーパースターであり、そのルックスの良さからも女性との噂には事欠きませんが、歌舞伎界ではそれ自体はあまり珍しいことではありませんでした。
しかし、小林麻央との結婚が大きな話題となった2010年の年末、六本木のバーで元暴走族のグループとトラブルになり顔面を骨折する大怪我を負うという事件が起きました。
海老蔵自身は被害者でもありますが、マスコミは連日海老蔵の素行の悪さを取り上げて報道し、ついには海老蔵の舞台は無期限で自粛という事態にまで発展します。
裁判で事件の決着がついたのと、海老蔵本人が深く反省していることから2011年7月にようやく舞台に復帰しますが、世間的には「市川海老蔵」のイメージは悪くなってしまいました。
しかし、その後の海老蔵は二人の子供の誕生や、妻・小林麻央と父・十二代目團十郎を相次いで亡くすなど、悲喜こもごもの人生を送りながらも、暴行事件というスキャンダルを払拭して人気歌舞伎役者としての地位を着々と確立していきます。
SNS上では二人の子どもたちとの日常を面白おかしく配信しており、イクメンパパとしての活躍ぶりも話題になっていました。
ところが、團十郎襲名がコロナ禍で延期となっていた2021年10月に地方公演で二人の女性と密会していたことや、2022年4月にはSNS上で知り合った複数の女性と交際していることが週刊誌などで報じられたり、小林麻央の姉の小林麻耶がSNS上で痛烈に海老蔵への批判を繰り返すなど、再び海老蔵の人間性に疑問符がつくような状況になってしまいます。
あくまで週刊誌報道や小林麻耶と海老蔵の個人的な話でもあるので、全てを鵜呑みに信じる話でもありませんが、2022年11・12月に行われることがようやく決まった團十郎襲名披露公演を前にちょっと心配になるところです。
他の歌舞伎役者や松竹との関係は?
現在の歌舞伎役者は松竹との専属契約を交わしており、それによって歌舞伎役者としての地位を約束されているわけですが、人気役者の海老蔵と言えどその立場であることは言うまでもありません。
しかし、松竹と海老蔵の確執は度々報じられています。
近年の例を挙げれば、
【2020年7月】 コロナ禍に苦しむ歌舞伎役者の救済を求め松竹の社長に直訴したが無視される
【2020年8月】 8月に再開する歌舞伎座公演に松竹から出演依頼があったが結局その後連絡はない
【2020年11月】 市川海老蔵特別公演の取材会に主役の海老蔵が欠席
【2022年1月】 新作歌舞伎プペルの主催・制作から松竹が外れる
【2022年】 團十郎襲名公演が3ヶ月から2ヶ月に縮小される
などなど、これらの出来事から様々な確執の噂や憶測が取り沙汰されていますが、実際の所はよくわかりません。
それでは、他の役者との関係はどうなのでしょうか?
週刊誌ではかつて中村勘九郎との不仲説(海老蔵本人はブログで否定)や、最近でも尾上菊之助が「同じ舞台に上がりたくない」と発言したなどという記事も出ましたが、あくまでもセンセーショナルに報じる週刊誌ネタにすぎず、信憑性があるとも思えません。
それよりも気になるのは、今の海老蔵が先輩役者たちから教えを受けているのかということです。
歌舞伎学会会員の中村達史氏はその著書「若手歌舞伎」の中で、海老蔵のもつポテンシャルを十分に認めた上で以下のように指摘します。
(中略)
古典は数知れぬ先人たちの叡智の結晶と言っていい。それをしっかりと身につけてこそ、海老蔵はそのポテンシャルを真に発揮できるのだ。
(中略)
センセーショナルな活動で注目を浴びた三代目猿之助(二代目猿翁)にしても十八代目勘三郎にしても、古典の研鑽を充分に積んだ上での活動であったことから、目を逸らしてはならない。今の海老蔵がなすべきことは古典歌舞伎にしっかりと学ぶこと、先輩たちの教えに真摯に耳を傾けることなのである。「若手歌舞伎」中村達史著
たしかに、近年の海老蔵は歌舞伎座以外での自主公演や新作歌舞伎が多く、先輩たちに教えを請うということもあまりないようです。
そういったことが松竹との確執や他の役者との不仲説などにつながっているのかもしれませんが、歌舞伎という古典芸能を継承するには、ぜひもっと先輩たちから教えを受けてほしいところ。
前述の中村達史氏は、「指導を受けるべき立役の先輩が、みな七十を超えている・・・今習わずして、いつ誰に習うのか。」とも述べています。実際に中村吉右衛門という立役の大先輩はすでに亡くなり、海老蔵が他の先輩たちに教えを請うことができる時間も限られてきているのですから。
市川團十郎家は問題児ばかり?
これまで十一代目海老蔵のことについて書いてきましたが、そもそも代々の市川團十郎家にはスキャンダルや悲劇はつきものでした。中川右介氏の著書「悲劇の名門團十郎十二代」によると、代々の團十郎には以下のような出来事がありました。
【初代】 舞台上で刺殺される
【二代目】 妾と弟子が駆け落ち
【三代目】 22歳で病死
【四代目】 美少年売春宿を経営
【五代目】 傲慢な家訓を残す
【六代目】 22歳で病死
【七代目】 豪勢な暮らしで江戸追放
【八代目】 謎の自殺
【九代目】 借金苦に苦しむ
【十代目】 銀行員から役者に転職
【十一代目】 襲名から三年で無念の病死
【十二代目】 壮絶な白血病との闘病
十代目に関しては別にスキャンダルでも悲劇でもありませんが、舞台経験もない銀行員が大名跡をつぐために歌舞伎役者になったということは、歌舞伎界にとっては大きな事件だったとも言えます。(十代目團十郎の名跡は没後に追贈)
スキャンダルや事件が多いと言えば多いのでしょうが、ここで注目したいのは五代目團十郎が遺したという市川團十郎家の「家訓」です。
平成の海老蔵はこれを読んだのであろうか。傲慢さは、家訓なのだ。彼はそれを守った。そして批判された。時代がちがうと言えばそれまでだ。「悲劇の名門團十郎十二代」中川右介著
五代目の家訓と言っても、実際は「市川團十郎乃代々」という1917年に出版された書籍の中に五代目のメモ書きのようなものとして引用されていたものなので、市川團十郎家が代々家訓として伝えているかどうかまではわかりません。
しかし、現在の海老蔵のやや傲慢に見える振る舞いは、市川團十郎という名跡を次ぐ者の中に知らず知らずのうちに受け継がれてきたのかもしれませんね。
代々の市川團十郎家については以下の記事もご覧ください。
コロナ禍での海老蔵の変化
良くも悪くも世間の注目を集める海老蔵ですが、2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大による公演中止が相次ぎ、自身の襲名披露も延期されてしまう中で、いろいろなことを考えるようになったようです。
歌舞伎以外の取り組み
海老蔵はコロナ禍によって空き時間ができたことで、二人の子どもたちと触れ合う時間が多くなります。新たに始めたYoutubeチャンネル「EBIZO TV」では、ほぼ毎日のように子供たちとの様子をアップしており、多くの視聴者を集めました。
残年ながらこのYoutubeチャンネルは現在ほとんどが非公開となっていますが、ブログは相変わらず毎日のように更新を続けており、EBIZO TIMESという海老蔵が自身に関するウェブメディアを集めたサイトでは、成田屋の公式サイトとファンクラブのサンダーパーティー、他にもツイッター、インスタグラム、フェイスブック、TikTok、などなどありとあらゆる海老蔵に関連するメディアが紹介されており、その力の入れようたるや並々ならぬものを感じます。
また、以前から長野県での植樹活動「ABMORI(エビモリ)」などで環境問題に取り組んできた海老蔵ですが、ついに自身でNPO法人「Earth&Human」を設立してさらに本格的に取り組むようになったり、オンラインカルチャースクールZENでは日本の伝統文化を広めて行くなど、歌舞伎役者をやりながら本当にこんな多くのことをやっていけるのかと心配になるほどいろいろなことに取り組んでいますが、その理由をテレビ番組の中で次のように話しています。
あまり手を広げすぎるとやっていけるのか心配にもなりますが、バイタリティーあふれる海老蔵の世界は歌舞伎役者に留まらないでどこまで広がっていくのか楽しみでもありますね。
新作歌舞伎「プペル」が訴えるもの
原作となった絵本「えんとつ町のプペル」
海老蔵は2022年1月に新作歌舞伎「プペル~天明の護美人間~」を新橋演舞場で上演しました。絵本「えんとつ町のプペル」に感動した海老蔵が、原作者の西野亮廣に連絡して実現した演目であり、海老蔵の二人の子どもたちがダブルキャストで登場するのも話題になりました。
しかし、現実の公演では通常より高額に設定したチケットが売れ残ったり、千穐楽が関係者の体調不良によって中止になったりとなかなか厳しいものがあったようです。
ネット上でも批判的な意見が多く見られ、「コロナ禍の時期に冒険的な興行を打つのが間違い」というような意見もありました。
しかし、海老蔵自身はあえてこの時期に「プペル」を歌舞伎にしたことについて次のように語っています。
というように、海老蔵にとっての「プペル」はあえて冒険的なことをやってでも今の日本社会に訴えたい内容だったようです。
それでも公演自体が失敗だとしたらやはりだめなのではと思いますが、海老蔵自身は以下のように語っています。
反対されるようなことでも自分が信じることにあえて挑戦し、もし失敗してもそこから何かを掴んで次につなげていく・・・今の海老蔵はそれだけの覚悟と実行力を持って突き進んでいるようです。
子どもたちの成長を期待! 再婚は?
海老蔵の新しいことに次々と挑戦していく行動力はどこから出てきているのかと考えたとき、麗禾ちゃんと勸玄くんという二人の子どもたちの存在が大きいのではないでしょうか。
Youtubeチャンネルで見せていた二人の子どもたちとの楽しげなやり取りは、海老蔵にとっての大きな生きがいとなっています。歌舞伎をやりたくないならOKと言いながらも、ちゃんと役者になるための道は準備しているなど、あくまでも本人たちが自分から役者になりたいと思わせるのが理想のようですね。
では、海老蔵の再婚の可能性はどうなのでしょうか?
と、なんだか遊びで付き合うならいいけど結婚まではするつもりはないともとれる発言ですね。
しかし、亡くなった妻・麻央さんのことについて聞かれると神妙な面持ちで以下のように答えています。
海老蔵にとっての麻央さんの存在は他に変えられないものになっているようです。「再婚は麗禾が許さないだろう」とも語っており、当分の間は再婚はないのかもしれませんね。
まとめ:海老蔵から團十郎へ何が変わる?
十一代目市川海老蔵は、歌舞伎界の宗家・成田屋の御曹司として生まれ、これからの歌舞伎界を担う花形役者として活躍してきました。
週刊誌を賑わす数々のスキャンダルや松竹との確執なども囁かれながら、挑戦することをためらわないという自らの信念を貫ぬく姿は賛否両論ありますが、歌舞伎界にとってなくてはならない存在であることは間違いありません。
十三代目市川團十郎白猿を襲名することによって、海老蔵自身の信念が変わることはないでしょうが、偉大な名跡を襲名することでその芸にさらに磨きがかかってくることを期待したいものですね。