【市川團十郎】家系図に隠された歌舞伎界宗家の格の秘密とは?

【市川團十郎】家系図に隠された歌舞伎界宗家の格の秘密とは?

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市川團十郎家は「歌舞伎界の宗家そうけ」と言われるほど格の高い家ですが、実はその秘密は家系図から読み解くことができるのです。

そして、今年5月には12代続いた市川團十郎の名跡を市川海老蔵が受け継ぐ襲名披露しゅうめいひろうが行われますが、これは歌舞伎界にとっての歴史的な出来事となるのは間違いありません。

なぜ市川團十郎家は歌舞伎界でもっともの高い「宗家」と呼ばれるのか? その襲名披露がどれほど大きなイベントなのかを、市川團十郎家の家系図を通して、歌舞伎の初心者の方にもわかりやすく解説していきます。

市川團十郎家の家系図を読み解く

市川團十郎家の家系図はこのようになっています。

市川團十郎家の家系図

市川團十郎家の家系図

長い間、市川團十郎家のルーツは謎とされてきましたが、昭和七年(1932年)に山梨県で市川團十郎の本名である堀越家の家系図「堀越系図」が発見されました。その堀越系図を元に、市川團十郎家のルーツは、甲州(今の山梨県)武田家の能掛かり「堀越十郎ほりこしじゅうろう」だったとされています。

歴代の市川團十郎の足跡

写楽作「市川鰕蔵(五代目團十郎)の竹村定之進」

写楽作「市川鰕蔵(五代目團十郎)の竹村定之進」

家系図には歴代の市川團十郎の名跡を持った役者は12人います。今度、市川團十郎を襲名する予定の市川海老蔵を入れて13人の、歌舞伎界に残した大きな足跡を紹介します。

初代 市川團十郎
江戸歌舞伎の荒事を創始して一躍江戸のスターに。成田山新勝寺を信仰するところから、「成田屋」という最初の屋号を付けた人物。舞台上で他の役者に刺殺される。
二代目 市川團十郎
抜群の台詞回しで、江戸歌舞伎での市川團十郎を大名跡にした千両役者。「成田不動の申し子」、「役者の氏神」と呼ばれる。
三代目 市川團十郎
二代目の養子として将来を期待され三代目を襲名するが、21歳の若さで病没。娘は五代目團十郎に嫁ぐ。
四代目 市川團十郎
二代目松本幸四郎だったが、二代目團十郎の養子となり早死した三代目に代わって四代目を襲名。実事(写実的な心理の演技)を得意として新しい團十郎像を切り開いた実力者
五代目 市川團十郎
舞踊は歴代の團十郎でナンバー1。先祖伝来の甲府で團十郎初の地方公演を行う。芝居よりも狂歌や俳句などを好んだ文化人。
六代目 市川團十郎
江戸娘に絶大な人気を誇った美貌の役者。三代目と同じ21歳の若さで病没。
七代目 市川團十郎
お家芸として「歌舞伎十八番」を制定し、市川團十郎家の権威を高める。
八代目 市川團十郎
美形の花形役者として江戸娘を夢中にさせるが、31歳の若さで謎の自殺を遂げる。
九代目 市川團十郎
江戸から明治へ時代が替わるときに、今までと違う新しい歌舞伎を打ち出す。天覧歌舞伎で歌舞伎役者の地位向上に貢献。「劇聖」と呼ばれる。
十代目 市川團十郎(追贈)
九代目の婿養子となった銀行員。突如、役者を目指すことに。芝居よりも市川團十郎家のルーツを発見したことが最大の功績。
十一代目 市川團十郎
松本幸四郎家からの養子。市川海老蔵時代に一大ブームを巻き起こし、「海老さま」の愛称で絶大な人気を誇った美貌の役者。十一代目團十郎襲名の三年後にガンで他界。
十二代目 市川團十郎
若くして父であり師匠でもある十一代目を失うが、努力と忍耐を重ね、難のあった口跡も克服して人気役者に歌舞伎界初の海外襲名披露公演を行う。白血病で三度入院する壮絶な闘病生活の末に他界。
十三代目 市川團十郎(予定)
幼いときからマスコミの注目を浴びてきた「歌舞伎界の御曹司」。持ち前の美貌と演技力でテレビや映画でも活躍する。人気絶頂を誇っていたが、不祥事で無期限謹慎に。復帰してからは、父・十二代目團十郎と最愛の妻を相次いで亡くすという悲劇に見舞われるが、2020年5月に十三代目市川團十郎白猿はくえんを襲名予定
【達人メモ その1】
歌舞伎の名門、市川團十郎家松本幸四郎家は深いつながりがあります。四代目と十一代目の團十郎は幸四郎家からの養子として迎えられています。また、現在の幸四郎家は團十郎家の弟子筋になり、團十郎家に男子の跡取りがいないときは幸四郎家から養子をもらうのが慣例のようです。幸四郎家に市川染五郎という市川姓の名跡があるのも両家のつながりを表しています。

市川團十郎と市川海老蔵の関係は出世魚方式

團十郎」と「海老蔵」という名跡の始まりは、初代團十郎にあります。初代は幼いときの本名が「海老蔵」で、後に芸名として「市川團十郎」を名乗ります。

家系図を見ていただければわかりますが、後代の團十郎は、「海老蔵から團十郎」と替わったり、「團十郎から海老蔵」へ戻ることもあり、特に襲名の順番に決まりがあるわけではありませんでした。しかし、十二代目からは最初に「新之助」を名乗り、「海老蔵」、「團十郎」と出世魚のようにステップアップしていく流れになっているようです。

市川團十郎の襲名はいつ?

最高位の名跡である「市川團十郎」は、十二代目が2013年に亡くなってからは空位のままでしたが、2020年5月、7年ぶりに、この大名跡が復活します

十一代目の襲名披露公演は「1億円興行」と言われ、1962年の4,5月に歌舞伎座で行われました。十二代目はさらに大きな「30億円興行」になり、歌舞伎座での襲名披露公演も、1985年の4,5,6月の三ヶ月続き、海外でも行われています。

そして、2020年の5月には十一代目市川海老蔵十三代目市川團十郎白猿を襲名することになっています。十一代目、十二代目の襲名披露公演は、一大イベントとして盛大に行われましたが、今回はさらに盛り上がることが期待されます!

襲名披露公演では歌舞伎十八番の演目が上演されることが通例です。歌舞伎十八番については以下のページでチェックしてくださいね。

【達人メモ その2】
市川團十郎白猿」の、「白猿って何?」と思われた方も多いでしょう。元々は二代目の俳名(俳句を詠むときの名前)が栢莚(はくえん)(百二十歳まで生き延びるという意味)だったのを、五代目が俳名をつけるときに読みをもらって、毛が三本足りない(猿は毛が三本少ないから人間に及ばないというたとえ)から、白猿としたという謙遜を表す一種の洒落です。十一代目海老蔵もこれにならい「祖父や父にまだ及ばないのでもっと精進しよう」という意味で、白猿をつけたそうです。

歴代の市川團十郎のお墓はどこに?

芝増上寺

それぞれの時代で歌舞伎を引っ張ってきたのが代々の市川團十郎ですが、そんな彼らのお墓はどこにあるのでしょうか?

意外にも信仰していた成田山新勝寺ではなく、七代目までは、現在の東京タワーのそばにある芝増上寺常照院に葬られています。八代目は亡くなったのが大坂だったので、大坂の天王寺にある一心寺に埋葬されました。

九代目は神道を信仰していたので、青山墓地に葬られ、以降の團十郎も青山墓地に埋葬されるようになりました。

意外!?市川團十郎は人間国宝になっていない

日本の伝統芸能の代表格とも言える歌舞伎から、これまで26人人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されていますが、意外にも歌舞伎界の宗家である市川團十郎家からは、まだ受賞者がでていないのです。

現在の制度で認定が始まったのは昭和30年(1955年)なので、受賞する可能性があったのは十一代目以降ですが、なぜ認定されていないのかは、はっきりとはわかりません。年齢が若すぎたという説も見受けられますが、50代前半で認定されている人もいるので、年齢が若いことが原因ではないと思います。

私が思うに、人間国宝は同じ分野なら年齢が高い人かキャリアが長い人を先に選ぶ傾向があるのではないでしょうか、十一代目の時代にも年齢が上の人が先に選ばれ、順番が来る前に十一代目が亡くなってしまったと考えられます。十二代目の場合も、2歳年上の中村吉右衛門が2011年に選ばれたので、その後に選ばれる可能性があったが、その前(2013年)に亡くなってしまったのではないでしょうか。

十三代目團十郎を襲名する十一代目海老蔵は、スキャンダル報道があったので難しいという向きもありますが、役者としての素質は申し分ないので、今後の活動次第で可能性は十分あると思います。

【達人メモ その3】
市川團十郎家の伝統の芸として「にらみ」があります。代々の襲名披露口上でも披露されるのがしきたりになっており、十三代目團十郎の襲名の口上でも披露されるでしょう。「にらみ」には病を治す呪力があると考えられてきたので、2009年に新型インフルエンザが流行したとき、十一代目海老蔵の「にらみ」が披露されました。2020年には新型コロナウイルスが問題になっていますが、果たして十三代目團十郎の「にらみ」の効果はいかがなものでしょうか。

なぜ市川團十郎家は歌舞伎界の宗家なのか?

九代目市川團十郎がモデルの「暫」の像

九代目市川團十郎がモデルの「暫」の像

市川團十郎家の家系図を見てみると、早く亡くなった三代目と六代目を除いてそれぞれの時代で歌舞伎界のリーダーとして活躍してきたことがわかります。それだけでも「歌舞伎界の宗家」と呼ばれるのにふさわしいとも言えますが、決定的な理由となりそうな言葉を十二代目團十郎の著書から引用します。

江島生島えじまいくしま事件は、関係者が何百人も処罰された、当時の大疑獄事件です。江戸四座すべてが取り潰しになるところ、二代目の活躍で、山村座一座の取り潰しのみで中村座、守田座、市村座は助かり、芝居町の灯が消えずにすんだそうです。このことに各座の座元たちが感謝して、團十郎を市川宗家と呼ぼうということになり、以来、そのように言われております。「歌舞伎十八番」十二代目市川團十郎著

江島(絵島)生島事件とは二代目團十郎のときに起きた大奥と歌舞伎界の一大スキャンダル事件です。芝居小屋すべてが取り潰しになりかねないところを二代目が救ったのであれば、たしかに「歌舞伎界の宗家」と呼ばれても不思議ではないかもしれません。

まとめ

市川團十郎家の家系図から、代々の團十郎が歌舞伎の歴史に大きな足跡を残してきたことを見てきました。人間国宝に選ばれていなくても、なぜ歌舞伎界の宗家と呼ばれるほど格が高いのかが、おわかりいただけたのではないでしょうか。

2020年の5月に十一代目市川海老蔵十三代目市川團十郎を襲名するということは、歌舞伎界だけでなく、日本全体にとっても大きな出来事になると思います。

歌舞伎界の宗家」の活躍はこれからも目が離せません。ぜひとも、十三代目團十郎の襲名披露を注目してくださいね

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