【片岡愛之助】歌舞伎・松嶋屋の家系図と妻・藤原紀香との出会いも紹介!

【片岡愛之助】歌舞伎・松嶋屋の家系図と妻・藤原紀香との出会いも紹介!

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歌舞伎役者・片岡愛之助かたおかあいのすけは、一般家庭から歌舞伎界に入り、デビュー後は関西の上方歌舞伎のホープと呼ばれ、今では次代の歌舞伎界を担う役者とまで呼ばれるようになりました。

テレビやミュージカルなどでの活躍も目覚ましく、特にテレビドラマ「半沢直樹」ではオネエ役の演技で一躍有名になり、2022年放送のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には北条宗時役で出演しました。

そして、なんと言っても女優・藤原紀香と結婚したことで、歌舞伎を知らない人でもその顔と名前を知ってる人は多いと思います。

ここでは、歌舞伎役者・片岡愛之助家系図から、その役者としての経歴や、2021年5月に惜しまれて亡くなった養父・片岡秀太郎との絆、妻・藤原紀香とどのように出会ったのかについても紹介していきます。

妻・藤原紀香との出会いは運命?

片岡愛之助と妻・藤原紀香

片岡愛之助は平成28年(2016年)9月に女優・藤原紀香と結婚します。上方歌舞伎のホープでテレビドラマ出演でも人気急上昇中の歌舞伎役者と、スタイル抜群の有名女優との美男美女の結婚は世間でも大きな話題になりました。

もともと愛之助自身は、他の女性と交際報道がされることもありましたが、結婚について愛之助の著書「愛之助日和」には以下のように書かれています。

僕は、「一生結婚しないだろうな」と長らく思っていました。結婚願望がまったくなかったですし、これまでお付き合いをした方に、「結婚しよう」と言ったこともありませんでした。僕が未熟だからでしょうけど、自分のことだけで精一杯で、妻になった人を色々とフォローする余裕が、自分にはないと思っていたからです。結婚すると、「心配事が増えるんじゃないか」というような感覚がどこかにありました。<span class="su-quote-cite">片岡愛之助 坂東亜矢子編「愛之助日和」より</span>

愛之助が言う「心配事」が何なのかは書かれていませんが、やはり梨園(歌舞伎界)の妻には、世間一般とちがう様々な苦労があることを気にしていたのかもしれません。

藤原紀香とは、2011年に彼女が主演した舞台を観劇したときに初めて出会い、その後一緒にボランティア活動をするなどしていましたが、その2、3年後に再会してからは気の合う友人として一緒に食事やカラオケに行ったりしていました。

ところが、2015年にNHKのプレミアムドラマ「ある日、アヒルバス」で共演した頃、二人の関係がマスコミで騒がれるようになり、藤原紀香の所属事務所から「付き合っていないなら会わないでほしい」ということを言われてしまいます。

このことが愛之助の心にぽっかりと穴を開けられたような気分にさせ、「この人は、自分にとって大事な人なんじゃないか」と真剣に考え始めることになります。

それから二人は正式に交際を始めることになり、7ヶ月の交際期間を経てゴールインすることになるのです。

愛之助は妻・紀香のことを、価値観が同じで自分の立場を説明しなくても理解してくれるし、同じ関西出身なので大阪弁で話せて一緒にいてホッとできる人だと言っています。

結婚してからは、妻・紀香が夜遅くても食事を作ってくれ、楽屋でも食べられるようにお弁当を作ってくれるそうで、バランスの取れた食生活へと大きく変わったそうです。

紀香は愛之助が座頭を務める公演では、宣伝だけでなくチケットもかなりの枚数を売ってくれたり、お客様へのお礼状を書くために書道を習ったり、出し物にちなんだ帯や着物を作ったりと、裏方の役目をしっかりと果たしてくれるそうです。

愛之助の舞台についても客観的な感想を言ってくれるので、妻・紀香はとてもありがたい存在となっています。

お互いに40歳を過ぎてからの結婚ですが、理想的な結婚相手に巡り会えたようですね。理想の妻を得た片岡愛之助が、歌舞伎役者としてますます飛躍していくことが期待されます。

松嶋屋・片岡愛之助の家系図はこれ

松嶋屋・片岡愛之助を中心にした家系図は以下のようになっています。

片岡愛之助の家系図

愛之助は平成4年(1992年)に片岡秀太郎の養子になり六代目片岡愛之助を襲名。平成28年(2016年)に女優・藤原紀香と結婚しました。実父・実母はすでに亡くなっており、養父の秀太郎も令和3年(2021年)5月に病気で亡くなりました。

松嶋屋・片岡仁左衛門家の詳しい家系図は以下の記事を御覧ください。




歌舞伎役者・片岡愛之助の経歴


生年月日
昭和47年(1972年)3月4日
本名
片岡 寛之かたおか ひろゆき
出生名・山元 寛之
屋号
松嶋屋
家紋(定紋)
追っかけ五枚銀杏おっかけごまいいちょう
初舞台
昭和56年(1981年)12月 南座「勧進帳かんじんちょう」太刀持ち役
片岡千代丸かたおかちよまるを名乗り初舞台
襲名歴
昭和56年(1981年)12月 片岡千代丸かたおかちよまる
平成4年(1992年)1月 片岡愛之助かたおかあいのすけ(六代目)
平成20年(2008年)12月 楳茂都扇性うめもとせんしょう(三代目)を襲名し上方舞楳茂都流四代目家元を継承
主な役
大江山酒呑童子おおえやましゅてんどうじ」濯ぎ女・なでしこ
「勧進帳」 駿河次郎するがじろう
契情廓鑑山けいせいさとかがみ」 初菊
狐静化粧鏡きつねしずかけしょうかがみ」 笛売り柴作、榛沢六郎
夏姿浪花暦なつすがたなにわごよみ」 お蝶、浪人貞九郎
「源氏物語」 夕顔
小栗判官譚おぐりはんがんものがたり照手姫てるてひめ
籠釣瓶花街酔醒かごつるべさとのえいざめ」 兵庫屋七越
「新八犬伝」 崇徳院、扇谷定正、網干左母次郎、犬飼現八
「新・油地獄ー大坂純情伝ー」 河内屋与兵衛かわちやよへえ
「義経と知盛」 平知盛
女殺油地獄おんなごろしあぶらのじごく」 与兵衛
「鳴神」 鳴神上人
夏祭浪花鑑なつまつりなにわのかがみ」 団七九郎兵衛
菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ」 松王丸
伊勢音頭恋寝刃いせおんどこいのねたば」 福岡貢
恋飛脚大和往来こいのたよりやまとおうらい」 忠兵衛
与話情浮名横櫛よわなさけうきなのよこぐし」 与三郎
義賢最期よしかたさいご」 木曽先生義賢
湧昇水鯉滝わきのぼるみずこいたき 鯉つかみ」 滝窓志賀之助
「GOEMON 石川五右衛門」 石川五右衛門
「新作歌舞伎 ナルト」 うちはマダラ
月光露針路日本つきあかりめざすふるさと風雲児たち」 新蔵
「日本怪談歌舞伎(Jホラーかぶき)」 浅山鉄山
「新作歌舞伎 流白浪燦星」 ルパン三世

片岡愛之助は、昭和47年(1972年)に歌舞伎の家ではない一般家庭の長男・山元寛之として生まれます。家は大阪の堺でスクリューを作る会社を営んでおり、敷地内の工場に大きなトラックが出入りするような環境でした。両親は危ないので子供を家から出さないようにしていましたが、同世代の子供と触れ合う場を作る必要があると考えて、寛之に松竹芸能の子役オーディションを受けさせます。

オーディションに合格した寛之少年は、週に一回の稽古に通うようになり、役者としての基本的な挨拶の仕方や発声練習などを、同じ年頃の子供達と楽しみながら習っていました。

その後、7歳のとき子役として初めてテレビ(NHK銀河テレビ小説「欲しがりません勝つまでは」)に出演し、8歳のときに道頓堀にあった中座の六月大歌舞伎「与話情浮名横櫛」の丁稚三太で、後に叔父となる十五代目片岡仁左衛門(当時・片岡孝夫)の後について出たのが初めての歌舞伎体験でした。

子役として舞台を楽しんでいた寛之少年ですが、学校を休まなければならないことが多くなると勉強についていけなくなってきます。両親はもともと役者にするつもりではなかったので、松竹芸能をやめさせることにしますが、そのとき声をかけてきたのが二代目片岡秀太郎です。

寛之少年の「歌舞伎をやりたい」という意思を確認した秀太郎は、自らの父・十三代目片岡仁左衛門の部屋子になることを提案します。この提案には寛之少年の両親も恐縮し、「そんなありがたい話はないです、お願いします」ということになり、寛之少年は片岡千代丸の名で歌舞伎の世界に入ることになりました。

昭和56年(1981年)12月に勧進帳太刀持ち歌舞伎役者としての初舞台を踏み、その後も十三代目仁左衛門と師匠の秀太郎のもとで、子役だけでなく女形などで着実に役者としての経験を積んでいきますが、名門の子息たちのように主役をすることはないと思っていました。

転機が訪れたのは高校を卒業するときです。大学に行きながら歌舞伎役者をやるか、歌舞伎をやめて父の会社を継ぐか、大学に行かずに歌舞伎役者になるかという三つの選択肢の中から、迷うことなく大学に行かず歌舞伎役者になる道を選びます。

そのとき、十三代目仁左衛門の勧めで六代目片岡愛之助の襲名と、片岡秀太郎の養子になることも決まり、本格的に上方の名門松嶋屋の歌舞伎役者・片岡愛之助としての歩みがスタートしたのです。

生まれついての上方役者で、端正な顔立ち爽やかな口跡が特徴で、個性的なキャラクターサービス精神も豊富で多くのファンの心を掴んだ愛之助は、今では歌舞伎界の新たなリーダーの1人と目され、歌舞伎以外でも活躍する花形役者となりました。

上方歌舞伎の古典「夏祭浪花鑑なつまつりなにわのかがみ」団七役や「鯉つかみ」での本物の水を使った本水ほんみずの仕掛けで十数役早替り、「封印切」の忠兵衛、「廓文章」の伊左衛門などの上方和事の二枚目から、「鳴神」の鳴神上人や「対面」の曾我五郎といった江戸歌舞伎の荒事など多くの代表作があります。

さらに、システィーナ歌舞伎「GOEMON」では赤毛でフラメンコを踊る石川五右衛門を演じ、「新作歌舞伎ナルト」や三谷幸喜が脚本を書いた三谷かぶき「月光露針路日本つきあかりめざすふるさと 風雲児たち」など、新作への出演にも意欲的です。

2022年には映画「リング」とのコラボとなる「日本怪談歌舞伎(Jホラーかぶき)」に主演し、2023年には漫画「ルパン三世」を歌舞伎化した「流白浪燦星」でルパン三世を勤めます。

2013年に放送されたテレビドラマ「半沢直樹」では、オネエ役の黒崎駿一を怪演し一躍有名になりました。ミュージカルにも出演を果たし、活躍の場を広げる愛之助は、自らを育ててくれた十三代目仁左衛門や父・片岡秀太郎が常々言っていた、「日々探求を続けること、日々進化することが大事」という言葉を胸に、目の前にあることに全力で取り組みながら、歌舞伎の未来を切り開いて行こうとしているのです。

【達人メモ】
2020年に新シリーズが7年ぶりに放送された「半沢直樹」ですが、愛之助以外にも香川照之(市川中車)、市川猿之助、尾上松也と四人も歌舞伎役者が重要な役で登場することになり、愛之助は「まるで歌舞伎の楽屋のようだ」とテレビでコメントしています。また、最初にオネエ役を打診されたときは、「それはちょっと・・・」と断っていましたが、どうしてもと頼まれて原作を読んでみたら面白かったので引き受けることにしたそうです。実際にオネエ役を演じているとだんだんハマっていき、ついには「もうちょっと押さえて」と言われるほどになったとか。ちなみに黒崎を演じるために弟子の片岡愛一郎の物腰の柔らかさをモデルにしたそうです。




片岡愛之助「身長」172センチは本当か?

愛之助の身長は?

片岡愛之助身長は、公式のプロフィールを見てみると、172センチとなっていますが、どうもこれは違うのではないかという噂が絶えません。

>>片岡愛之助公式プロフィール

なぜそんなことが噂になるかと言うと、妻の藤原紀香の身長が171センチ(公称)にもかかわらず、並んで立ってしまうと、どうしても愛之助が妻より低く見えてしまうからです。

とは言え、藤原紀香の場合は女性なのでヒールを履けば背は高くなるし、実際の身長より低く申告している可能性もないとは言えないので、愛之助の身長が172センチでないとは言い切れないと思います。

そこで、他の男性と比較してみたらはっきりすると考えて、同じぐらいの身長で比較できそうな俳優を探してみました。

すると、ちょうどいいことにドラマ「半沢直樹」で主演する堺雅人172センチのようなので、二人が対峙する場面を比較してみました。

動画配信サービス「Paravi」で放送されている、「半沢直樹(新シリーズ)第二話ダイジェスト&次回予告」動画で、第三話から登場する愛之助扮する黒崎が堺扮する半沢と対峙する場面が8分28秒ごろにあるのですが・・・。

どう見ても愛之助の身長のほうが低く見えます。やはり、愛之助の身長172センチというのは少々盛っているのかもしれません。

しかし、歌舞伎役者の場合は背が高いことは必ずしもいいとは限りません。

なぜなら、ほとんどの歌舞伎役者は女の役を演じる女形もやることになるのですが、背が高すぎると立役(主役の男性)とのバランスも悪くなり、女形としてはあまり見栄えが良くないのです。

稀代の女形・坂東玉三郎でさえ、若い時は173センチという身長が女形としては高すぎると言われ、低く見せるために苦労したと語っています。

愛之助の身長172センチというのは、愛する妻・藤原紀香が夫より背が高いと思われないための愛情表現だということでいいのではないでしょうか。

養父・片岡秀太郎は歌舞伎脇役の人間国宝

片岡愛之助と養父・片岡秀太郎の松嶋屋は上方歌舞伎の名門

片岡愛之助の養父・二代目片岡秀太郎は、上方歌舞伎の名門・松嶋屋の名優・十三代目片岡仁左衛門(故人)の次男で、兄は片岡我當、弟は当代の十五代目片岡仁左衛門です。

昭和31年(1956年)3月、大阪歌舞伎座で行われた「河内山」の浪路役で二代目片岡秀太郎を襲名し、上方の柔らかみのある女形の演技で活躍します。

父である十三代目仁左衛門のもとで、踊りや義太夫、鳴物などの歌舞伎役者として必要な要素を叩き込まれ、数々の古典の立女形たておやまを演じてきました。

「封印切」のおえんなどの花車方かしゃがた(茶屋の女房)の役や、時代物の老女役などを演じることが多く、役の性根と格を演じ分けることに定評があります。

一度は歌舞伎をやめようとしていた愛之助を、十三代目仁左衛門の部屋子にすることを提案して再び歌舞伎の世界に引き戻し、養子にすることで更に大きな役者になる道を開いていきます。

上方の歌舞伎の発展に尽力し、「関西歌舞伎中之芝居」という上方狂言を復活させる公演を続け、平成9年(1997年)に「上方歌舞伎塾」を開き、「平成若衆歌舞伎」という若手の公演を立ち上げるなど、指導者として次代の役者育成にも貢献しています。

愛之助も父・秀太郎が立ち上げたこれらの公演を通して、上方の歌舞伎について多くを学ぶことができ、若いうちから大役を演じる貴重な機会を得ています。

令和元年(2019年)に歌舞伎脇役として人間国宝に認定され、片岡仁左衛門の家系では、父・十三代目仁左衛門、弟・十五代目仁左衛門に続いて3人目となりました。

早くに実の両親を亡くした愛之助にとっては、師匠であり父である秀太郎との絆はますます強くなっているようですが、令和3年(2021年)5月に病気のため秀太郎も亡くなってしまいました。

愛之助は、松嶋屋得意の「廓文章」を、父・秀太郎が女形の夕霧、自身が相手役の伊左衛門で演じてみたいという願いがあったそうですが、残念ながら実現できませんでした。

しかし、養父・秀太郎への感謝とともに、「これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」とコメントを寄せています。養父を超える役者へと成長していくことを期待したいですね。

愛之助、秀太郎親子の松嶋屋・片岡仁左衛門家について詳しくはコチラを御覧ください。




片岡愛之助の出演情報

片岡愛之助は歌舞伎以外にもテレビやミュージカルなどにも出演し、メディアへ積極的に出ているのは、歌舞伎の広報マンとしての意識があるからだそうです。そんな愛之助の主な出演情報を紹介します。

2024年2月 大阪松竹座

2024年2月の大阪松竹座「立春歌舞伎特別公演」に片岡愛之助が出演します。

2024年3月 歌舞伎座

2024年3月の歌舞伎座「三月大歌舞伎」に片岡愛之助が出演します。

その他の出演情報

<テレビ>

  • テレビ時代劇「夜桜お染」(2003〜2004)
  • 「名探偵 神津恭介シリーズ」(2014、2015)
  • NHKプレミアムドラマ「ある日、アヒルバス」(2015)
  • 「片岡愛之助の解明!歴史捜査」(2015〜2018)
  • 大河ドラマ「真田丸」(2016)
  • 大河ドラマ「麒麟がくる」(2020)
  • 日曜劇場「半沢直樹」(2013,2020)
  • 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022)
  • テレビ朝日「警視庁アウトサイダー」(2023)

<映画>

  • 「シベリア超特急5」(2005)
  • 「私は貝になりたい」(2008)
  • 「築城せよ!」(2009)
  • 「マザー」(2017)
  • 「七つの会議」(2019)
  • 「仕掛け人 藤枝梅安」(2023)
  • 「翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛を込めて〜」(2023)

<舞台>

  • 「蝉しぐれ」(2007)
  • 「花の武将 前田慶次」(2010)
  • 「酒と涙とジキルとハイド」(2014)
  • 「炎立つ」(2014)
  • ミュージカル「コメディ・トゥナイト! ローマで起こったおかしな出来事〈江戸版〉」(2017)
  • 「日本テレビ開局70周年記念舞台 西遊記」(2023)

歌舞伎役者は間節(ま・ふし)が大事

片岡愛之助自身がパッケージに登場するグルコサミン・サプリメントをご存知でしょうか?

  • あふれるような潤いのお肌がほしい女性
  • 理想的なボディがほしい中高年の男性や女性
  • いつまでも若々しく、元気でスムーズな日常生活を送りたい男性や女性

このような人たちををサポートするために作られた、歌舞伎役者としてハードなスケジュールをこなしながら、元気と若々しさを失わない愛之助のオススメサプリです。愛之助ファンならパッケージを見ただけで欲しくなりそうですね。

キャッチフレーズにある「間節(ま・ふし)」とは、歌舞伎俳優にとって大事な演技の「間」、台詞の「節回し」を指しており、体の「関節」と掛けています。

愛之助のグルコサミン 360粒(60日分)

まとめ:愛妻家・愛之助のこれからの活躍に注目

歌舞伎役者・片岡愛之助は上方歌舞伎のホープに留まらず、現代の歌舞伎界を引っ張る若きリーダーの一人と言っていい存在です。

子供のときから歌舞伎に対する情熱を持ち、十三代目片岡仁左衛門と養父である片岡秀太郎から、演技だけでなく歌舞伎役者としての有るべき姿を学びました。

歌舞伎だけでなくテレビや映画、ミュージカルなど活動の場を広げながら、歌舞伎を広めることにも余念がありません。

妻で女優の藤原紀香は女優業をこなしながら歌舞伎役者の妻としてしっかりと愛之助を支えています。

上方歌舞伎の名門・松嶋屋の片岡愛之助が妻・藤原紀香とともに、歌舞伎の新しい未来に向かって日々進化していく姿に注目ですね。

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