「中村梅丸」改め「中村莟玉」へ!かわいいだけじゃない歌舞伎若手役者に注目
歌舞伎役者・初代中村莟玉は、中村梅丸を名のっていた時代からかわいらしい笑顔とさわやかな演技で人気上昇中の若手歌舞伎役者です。
女形として可憐で愛らしい姫役を演じるだけでなく、若衆から大人の立役としての芝居もこなすなど、活躍目覚ましい中村莟玉について、家系図やプロフィール、出演情報などを紹介します。
目 次
高砂屋・中村莟玉の家系図
歌舞伎役者・中村莟玉(高砂屋)の歌舞伎家系図は以下のようになっています。
中村莟玉は、昭和の名女形・六代目中村歌右衛門の養子・四代目中村梅玉の部屋子となって中村梅丸を名のっていましたが、令和元年(2019)11月に梅玉の養子となって、初代中村莟玉を襲名しました。
「莟玉」という名前の由来は、六代目中村歌右衛門が若い時に開催していた自主公演「莟会」から「莟」の字と、養父で師匠でもある中村梅玉の「玉」をとってつけられています。
「莟」の字には「まだ開かない花の芽、前途有望だがまだ一人前になる前の若者」という意味があり、将来は梅の花(梅玉)として大きく花開くことを期待されている名前です。
養子になってから養父である梅玉をなんと呼ぶべきなのかと迷っていたら、ちょうど襲名のときに記者が養父(梅玉)にそのことを聞いてくれたそうです。ラッキーと思って養父の話を聞いていたら、「自分は養父(六代目歌右衛門)にパパと呼ぶように言われていたので、パパと呼ばせたい」(梅玉)ということを言われて、かえってハードルが上がってしまって参ったと話しています。実際には「パパさん」と呼んでいるのだとか。
中村梅丸改め中村莟玉(かんぎょく)のプロフィール
現在、歌舞伎の舞台で活躍している初代中村莟玉のプロフィールは以下のようになります。
生年月日 |
---|
平成8年(1996)9月12日 |
本名 |
森正 琢磨 |
屋号 |
高砂屋 |
家紋(定紋) |
祇園銀杏 |
初舞台 |
平成17年(2005)1月 国立劇場「御ひいき勧進帳」富樫の小姓役を本名・森正琢磨の名で初舞台 |
襲名歴 |
平成18年(2006)4月 中村梅丸(初代) 令和元年(2019)11月 中村莟玉(初代) |
主な役 |
「義賢最期」 待宵姫 「加茂堤」 苅屋姫 新作歌舞伎「NARUTO -ナルト-」 春野サクラ 「西郷と豚姫」 舞妓 「乗合船」 子守 「弁天娘女男白浪」 赤星十三郎 「鬼一法眼三略巻」 奴虎蔵実は源牛若丸 「戻駕色相肩」 禿たより 「釣女」 上臈 「越後獅子」 角兵衛獅子 「鈴ヶ森」 白井権八 「神明恵和合取組」 おもちゃの文次 「雪月花三景」 仲章 「菅原伝授手習鑑」 腰元勝野 「人情噺文七元結」 お久 「寿曽我対面」 八幡三郎行氏 「幸希芝居遊」 二朱判吉兵衛 「義経千本桜 四の切」 静御前 「天衣紛上野初花」 腰元浪路 「壽浅草柱建」 化粧坂少将 新作歌舞伎「刀剣乱舞 –月刀剣縁桐-」 髭切 「仮名手本忠臣蔵 衹園一力茶屋の場」 大星力弥 |
好きな動物 |
パンダ(シャンシャン推し) |
所属事務所 |
ANDSTIR(アンドステア) 中村莟玉公式サイト |
令和元年(2019)に中村梅玉の養子となり、同時に中村梅丸から中村莟玉へと名を改めました。
梅丸時代は、丸顔で可愛らしい様子から“まるる”や“まるちゃん”の愛称で親しまれていましたが、莟玉と名が替わってからも同じように呼ばれることが多いようです。
一般家庭から歌舞伎役者の部屋子へ
中村莟玉(本名・森正琢磨)は、平成8年(1996)に東京の歌舞伎の家系ではない一般家庭の子として生まれます。母親が歌舞伎好きだった影響で、一緒にテレビの歌舞伎番組をよく見たり、2歳から歌舞伎座に連れて行ってもらったりしているうちに、母親以上に歌舞伎のことが好きになっていきました。
琢磨少年にとっての歌舞伎はまさに夢の世界でした。特にお気に入りだったのが、「海老様」の愛称で絶大な人気を誇った十一代目市川團十郎(現・團十郎の祖父)が演じる「切られ与三郎」の与三郎を繰り返し何度も見て演技を覚えるほどだったそうで、子供ながらに「歌舞伎をやりたい」と言いだすほどでした。
最初の転機になったのが、小学一年生のときに新橋演舞場で「東をどり」を見に行ったときでした。幕間の時間にロビーで与三郎の演技をやって遊んでいると、年配の女性に「坊や、お芝居好きなの?」と声を掛けられ、「与三郎はこうするのよ」とその場で踊りを教えてもらいます。
この女性こそ、日本舞踊の師匠・花柳福邑(故人)であり、これをきっかけに日本舞踊を習うようになるのです。
中村梅丸として活躍
日本舞踊の稽古場は歌舞伎座の裏手にあったので、歌舞伎大好きの琢磨少年は学校の休みの日にはいつも楽しく通っていました。
この様子を見ていた師匠の花柳福邑が、歌舞伎座の支配人と話をし、なんと四代目中村梅玉に紹介してもらうことになります。
中村梅玉は、当初は琢磨少年のことを「歌舞伎が大好きといってもそのうち飽きてしまうのではないか」と思っていましたが、とりあえずは見習いとして面倒を見ることにします。
ところが、梅玉の予想に反して琢磨少年は毎週土日には必ず歌舞伎座に通ってきて、飽きるどころかいつも楽しそうにお手伝いをしているのです。
これほど歌舞伎が好きなら本格的に歌舞伎役者の道へ進ませようと考えた梅玉は、平成17年(2005)1月の国立劇場「御ひいき勧進帳」で自らが務める富樫の小姓役で初舞台を踏ませると、翌年には正式に部屋子として迎え入れ、六代目中村歌右衛門五年祭に合わせて中村梅丸を名のらせます。
これが2つ目の大きな転機になって、歌舞伎役者にとって必要な基本的な稽古に通うことになり、本格的に歌舞伎役者になるための修行が始まりました。
中村梅丸となってからは、子役時代を経て若手女形として多くの舞台で様々な役をこなしていきます。
若手の登竜門とも言える「新春浅草歌舞伎」には平成25年(2013)から平成31年(2019)まで7年連続で出演します。平成30年(2018)に新作歌舞伎「NARUTO -ナルト-」に春野サクラ役で出演して美少女ぶりを発揮すると、翌年には師匠の中村梅玉が敵役のうちはマダラ役で共演しました。
小柄でかわいらしい容姿から、“まるる”の愛称でファンだけでなく歌舞伎の先輩役者からも可愛がられながら、中村梅丸として着実に成長していくのです。
中村梅玉の養子となり中村莟玉を襲名
平成27年(2015)には高校を卒業してからの進路をどうするのか悩みますが、師匠である梅玉から「行けるなら行ってごらん」と言われ、歌舞伎役者をやりながら大学を受験してどうにか合格します。
平成29年(2017)には歌舞伎役者の昇進試験とも言える、名題(なだい)試験に合格して名題適任証を取得します。
そして、令和元年(2019)には3つ目の大きな転機が訪れます。
これまで師匠・中村梅玉の部屋子という立場でしたが、正式に養子となり「初代中村莟玉」を襲名することになったのです。
歌舞伎の世界では養子を取ることは珍しくはありませんが、一般家庭出身の子供が養子になる例は他には片岡秀太郎の養子になった片岡愛之助ぐらいで、あまり例がないと言えます。
最初に「莟玉」を襲名すると聞いたときは、「梅丸」のほうが自分に合っていると感じていたことと、昭和の名女形で人間国宝だった六代目中村歌右衛門の自主公演「莟会」から取られたという名前の重さにプレッシャーを感じて嫌がりますが、師匠・梅玉いわく、「強引に継がせた」とか。
ともあれ、中村莟玉として新たなスタートを切ることになり、襲名披露公演では、「鬼一法眼三略巻」 で師匠であり養父となった梅玉が得意としていた「奴虎蔵実は源牛若丸」を演じます。
翌月には京都南座で上演された「釣女」に中村隼人の相手役の女形・上臈で出演。年が明けた令和2年(2020)からは、1月の新橋演舞場の「鈴ヶ森」で市川海老蔵(現・團十郎)演じる幡随院長兵衛を相手に、これまた養父・梅玉の当たり役・白井権八を演じ、2月には歌舞伎座の「菅原伝授手習鑑 〜筆法伝授〜」で女形・腰元勝野を演じるなど、襲名後のご祝儀もあって次々と大役を演じていきます。
3月以降は新型コロナウイルス感染拡大防止のため歌舞伎の公演自体が中止されてしまいましたが、再開されてからは「寿曽我対面」に出演し、これまであまりやってこなかった男性の立役である八幡三郎を演じ、松本幸四郎の新作歌舞伎「幸希芝居遊」にも出演、「義経千本桜 〜川連法眼館〜」では女形・静御前など、様々な役柄を演じています。
令和3年(2021)8月には尾上松也の自主公演「挑む」で新作歌舞伎「赤胴鈴之助」、令和4年(2022)10月にはリングシリーズ“貞子”とコラボした「日本怪談歌舞伎」、令和5年(2023)7月には大人気ゲームを原作とした「刀剣乱舞」に出演するなど新作歌舞伎に次々と出演しながら、令和5年(2023)9月には伝統的な芝居小屋で行われる「永楽館歌舞伎」に出演するなど新作だけでなく古典的な歌舞伎にも挑戦し続けています。
かつては嫌がった「莟玉」という名も、今では「自分のなかで切り換わる意味では良いきっかけだと思います。」と本人は述べており、それは実際に舞台での様々な役に挑戦していることからも伺えます。
子供の時から歌舞伎を楽しいという思いでやってきた中村莟玉ですが、そう思える環境を作ってくれた師匠であり養父の中村梅玉や、高砂屋一門の先輩たちへの感謝の思いは決して忘れていません。
これからも、師匠の教えである、「役者は舞台が行儀よく勤められないといけない」、「歌舞伎座の舞台の大きさに合った舞台姿になる役者を目指しなさい」ということを守って、真っ直ぐに成長していく中村莟玉の歌舞伎がとても楽しみですね。
師匠で養父の中村梅玉については以下の記事を御覧ください。
莟玉が出演した新作歌舞伎「刀剣乱舞」については以下の記事を御覧ください。
かわいいだけじゃない!歌舞伎の実力は?
梅丸時代から“まるる”の愛称通りにかわいらしい容姿と爽やかな笑顔が印象的で、女形のイメージが強い中村莟玉ですが、本人は師匠の中村梅玉が得意としていた若衆の役を演じたい思いが強いようです。
目の前でずっと見ていた中村梅玉の風情や佇まいへのあこがれをもっとも感じたのが、「鬼一法眼三略巻」 奴虎蔵実は源牛若丸の役で、奇しくもこの役で襲名披露公演を行うことになり、師匠の演じる智恵内とともに見事に演じました。
女形としても大役を務めるようになっており、今後は立役と女形の両方を演じる「兼ねる役者」として期待されますが、女形としての演技は師匠・梅玉からは、「お前には女形としての細やかさがまったくない」と言われるなど厳しい意見もあるようです。
師匠からは他にも、「覚えが悪い」とも言われていますが、それが逆にいいところで、「教えたことに毎日のように食いついてくる」と歌舞伎の稽古に対する姿勢は評価されています。
師匠であり養父の梅玉としては、養子として迎えたからには必ず一人前の歌舞伎役者にしなければならないと厳しく指導しているようですね。
莟玉自身は自分のニン(役者が持つ性格や雰囲気、演技の仕方、芸風のこと)にあった役でないと駄目だけど、やりたいという思いをはっきり伝える必要もあると考えており、若衆の立役は養父の梅玉に、女形は叔父に当たる中村魁春に学びながら、両方に挑戦していきたいそうです。
六代目中村歌右衛門から受け継がれている「行儀良い舞台」を務めることを大切にしながら、歌舞伎座の舞台に合った大きな役者になるために、のびのびと楽しく舞台を務める高砂屋・中村莟玉が、これからさらに成長していく姿がとても楽しみですね。
中村莟玉のインスタや公式サイトにも注目
今どきの歌舞伎役者らしく、中村莟玉の公式インスタグラムも開設されています。舞台裏での素顔や、子供時代の貴重な写真も見られますよ。
また、日本俳優協会が主催する公式Youtubeチャンネル「歌舞伎ましょう」では、普段なかなか見られない舞台の小道具を紹介する動画に中村莟玉が出演しています。全部で三回の動画になっていますので、ぜひ公式チャンネルを御覧ください。Part1を以下に紹介させていただきます。
2022年4月からは、NHK FMラジオ「KABUKI TUNE(カブキチューン)」で尾上右近からパーソナリティを引き継ぎ、ラジオでも中村莟玉の新たな魅力を発信しています。
そして2024年からは芸能事務所「ANDSTIR(アンドステア)」に所属することになり、公式サイトもオープンしました。今後はますます活躍の場が広がることを期待されます。
中村莟玉は大のパンダ好きを公言しており、カブキチューンではパンダジャーナリストをゲストに呼んで大いに盛り上がっていました。2022年6月4日放送のTBS「世界ふしぎ発見」では、ミステリーハンターとして日本のパンダをレポートしました、ますますパンダ愛が加熱していきそうです。
中村莟玉の2023年の公約
2023年2月10日放送のFMラジオ「カブキ・チューン」で中村莟玉が2023年の公約を、「ラジオパーソナリティ」「歌舞伎」「プライベート」の3つの分野で発表しました。以下にその3つを紹介します。
【ラジオパーソナリティ】
「尺を守って収録する」
ラジオにとってきちんと収録時間を守るのは大事なことですが、莟玉は収録時間を守るのが苦手だということがわかったので、ストップウォッチで計りながらしっかりやっていきたいそうです。
【歌舞伎】
「養父(梅玉)と共演の機会を増やす」
莟玉は梅玉の養子になってからすぐにコロナ禍が始まり、その影響で養父と共演することが少なくなっていました。しかし、養子になった以上、今まで以上に堂々と養父から芝居を学んでいい立場になったので、もっと共演の機会を増やして多くのことを養父・梅玉から学んでいきたいそうです。
【プライベート】
「断捨離して部屋を片付ける」
莟玉は一人暮らしですが、家に帰ってきたとき部屋が片付いていることがないとか。とにかく物を減らさないと片付かないからまず断捨離することにしたそうです。
来年、この公約が守られたかどうかはラジオで発表するそうですが、果たしてどういう結果になるでしょうか?
中村莟玉の出演情報
中村莟玉を襲名してからは、女形だけでなく立役としても出演する機会が増えてきました。養父・梅玉との共演だけでなく、他の人気役者との共演も楽しみな中村莟玉の出演情報を紹介します。
歌舞伎座 「團菊祭五月大歌舞伎」
2024年5月に歌舞伎座で開催される「團菊祭五月大歌舞伎」に中村莟玉、中村梅玉が出演します。莟玉は初日〜5/4まで休演した中村鷹之資の代役も勤めました。
NHKFMラジオ「カブキチューン」
1976年に「邦楽ジョッキー」として始まり、2018年から「KABUKI TUNE(カブキチューン)」と改められた歌舞伎や古典芸能を紹介するNHKのラジオ番組で、2022年4月から中村莟玉がパーソナリティーを勤めています。
初代の坂東玉三郎から中村児太郎(現・福助)、市川染五郎(現・幸四郎)、市川亀治郎(現・猿之助)、尾上松也、中村壱太郎、中村隼人、尾上右近など人気役者がパーソナリティを勤めてきましたが、中村莟玉がどのように引き継いでいくのか楽しみですね。
まとめ:梅丸改め莟玉の歌舞伎はさらに進化する
中村梅丸から名前を改めて、ますます芸風が広がり出番も増えてくることが予想される高砂屋・中村莟玉について解説してきました。
養父の四代目中村梅玉は、そのまた養父である六代目中村歌右衛門の教えでもある、「行儀の良い舞台」を継承してきた歌舞伎役者であり、養子の莟玉にもその教えはしっかりと受け継がれています。
歌舞伎の家柄ではない一般家庭から、偶然の出会いで中村梅玉の養子となりましたが、それは心から歌舞伎を好きだという素直な心が導いた出会いだったのかもしれません。
養父・梅玉の得意としていた若衆役だけでなく、女形としてもこれからますます活躍が期待される中村莟玉に注目です。