市川猿之助語録!半沢直樹だけじゃない、歌舞伎の異端児は名言の宝庫

半沢直樹だけじゃない、歌舞伎の異端児は名言の宝庫

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>>市川猿之助被告に執行猶予判決 両親の自殺ほう助罪 東京地裁 ーYahooニュースー

歌舞伎役者・四代目市川猿之助いちかわえんのすけは、2020年最も高視聴率をあげたテレビドラマ「半沢直樹」に出演し、強烈なセリフと顔芸が大きな話題になりました。

ドラマ終了後は、歌舞伎の舞台に出ながらテレビのバラエティー番組にも数多く出演し、毎日のようにお茶の間を賑わせる活躍ぶりを見せています。

2020年は新型コロナウイルスの影響で休演を余儀なくされていた歌舞伎界ですが、猿之助の連日の活躍は、歌舞伎役者の知名度や存在感を高め、新しい歌舞伎ファンが歌舞伎座に足を運ぶきっかけにもなりました。

ところが、猿之助は2023年5月にスキャンダルが暴露されたことで両親とともに自殺未遂を図り、6月には自殺幇助の疑いで逮捕されるという衝撃的な事件を起こしてしまいました。そして11月に執行猶予5年の有罪判決が出ています。

今後の猿之助の舞台への復帰がどうなるかはわかりませんが、この記事では、歌舞伎界の「異端児」「革命児」などと呼ばれる家系・市川猿之助家の四代目・市川猿之助の半沢直樹での名セリフや、名前がまだ亀治郎時代のときの言葉、猿之助襲名の名言などを紹介していきます。

半沢直樹で注目された歌舞伎役者・市川猿之助とは?

四代目・市川猿之助は、本名は喜熨斗孝彦きのしたかひこといい、屋号は澤瀉屋おもだかや。昭和50年(1975年)に三代目市川猿之助の弟である市川段四郎の息子として生まれます。市川中車(香川照之)は10歳年上の従兄弟になります。

歌舞伎界では「異端児」「革命児」などと言われる市川猿之助一門に生まれ、曉星学園から慶応大学へ進学するという歌舞伎役者としては珍しい高学歴の持ち主です。

歌舞伎の家に生まれた子供らしく、4歳で初お目見得を果たすと、7歳のとき二代目・市川亀治郎いちかわかめじろうを襲名して初舞台を踏みます。

その後も着実に歌舞伎役者としてのキャリアを積みながら、NHKの大河ドラマ「風林火山」で準主役の武田信玄を務めるなど、人気歌舞伎役者の仲間入りを果たしました。

2012年に四代目・市川猿之助を襲名すると、2014年にはスーパー歌舞伎II(セカンド)で超人気漫画「ワンピース」を歌舞伎化するなど、歌舞伎界に革命を起こし続けています。

順風満帆に見える猿之助の歌舞伎人生ですが、舞台では役者生命が危ぶまれるほどの大怪我をしたこともあり、決して平坦な道のりではなかったようです。

そんな猿之助がこれまでに残した名言や名セリフだけでなく、面白い話や迷言?などを以下に紹介していきます。

また、歌舞伎の革命児・市川猿之助家について詳しくは下記の記事を御覧ください。

日本中を席巻した「半沢直樹」での名セリフ!

2020年のテレビドラマで最高視聴率を叩き出した「半沢直樹」ですが、人気歌舞伎役者が4人(香川照之、片岡愛之助、市川猿之助、尾上松也)出演し、強烈なセリフ顔芸を披露したことも大きな話題になりました。

中でも、主人公・半沢の新たな敵として登場した伊佐山部長を演じた市川猿之助のセリフと演技は大きな注目を集め、他の役者の演技にも影響を与えたと言われています。

そんな伊佐山部長の強烈なインパクトを残したセリフを紹介します。

2013年に放送された前作では「やられたらやり返す・・倍返しだ!(半沢)」の名セリフで一世を風靡したドラマの、7年ぶりの続編ということで注目された第一話の冒頭から、猿之助扮する伊佐山部長がいきなり登場し、前作で上司の大和田(香川照之)に土下座をさせた半沢(堺雅人)への強烈な恨みを語りだします。

「半沢だけはぜってー許さねー、世界の果てまで追い落としてやる・・」<span class="su-quote-cite">半沢直樹 第一話</span>

いきなり憎しみを全開にしたライバルの半沢潰しの宣言が炸裂し、ドラマの最初から緊張感あふれるスタートとなりました。

ドラマの序盤では、銀行の子会社である半沢たちが進めようとした買収案件を、銀行側の伊佐山が横取りしようとしますが、その買収計画が半沢によって潰されます。そのことに怒った伊佐山はすべての責任を半沢に被せようとします。

「東京中央銀行が総力をあげてこの買収に力を注いでたんだ。それを、お前が邪魔立てした。くだらん逆恨みのせいでな」
「セントラルが抱えている銀行からの案件は全部引き上げさせてもらおう。そして、今後、二度と、仕事を与えることはない。二度とだ!」
「お前一人の処分で償いきれるもんじゃない、自分がどんなに馬鹿なことをしでかしたのか。その身をもって思い知るが良い」
「黙ってないで、頭の一つも下げたらどうなんだ?」
「聞いてんのか」
「〇〇〇」(口パク)
「聞こえない?」
詫びろ〜、詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ、詫びろ半沢ぁぁぁ〜
<span class="su-quote-cite">半沢直樹 第二話</span>

最初に口パクで何を言ったかわからないところに、声のトーンを徐々に上げながら最語に強烈な絶叫を浴びせるという演技は視聴者に大きなインパクトを残し、詫びろ」という言葉が猿之助の代名詞にもなりました。

猿之助は、最初の「詫びろ」を口パクで言ったのは、歌舞伎の演技を先輩から指導されるときに、かつらが邪魔で何を言われてるのか聞こえないことが怖かったことから思いついたそうです。

また、この同じ言葉を繰り返して強調する言い方は歌舞伎特有の言い回しであり、特に猿之助の叔父・市川猿翁(三代目猿之助)がお客さんが拍手するまで同じセリフを繰り返していたことに影響を受けたと、出演したテレビのバラティー番組で述べています。

「倍返し」で有名な半沢直樹で大ブレイクした猿之助

ドラマはその後、半沢サイドからの反撃に合い伊佐山は一時は逆転を許しそうになりますが、決定的な500億円の追加融資を決めて買収を確実にします。その後、半沢に勝ち誇って電話したセリフが以下になります。

「俺だよ、お前も耳が早えなぁ〜追加融資のこと知ってるとは。」
「(500億円の追加融資が)決まったよ。あの三笠さんが頭を下げて、大和田さんがこちらについた。半沢ぁ〜ざまぁ〜〜みろ〜〜、お前の負けぇ〜〜
<span class="su-quote-cite">半沢直樹 第三話</span>

決定的な資金力の差をいやというほど半沢に思い知らせるセリフは、伊佐山の悪人ぶりを強調し、否応なしにドラマの緊張感を高めました。

しかし、伊佐山の悪どさを更に思い知ることになるのが、大会議室で元の上司である大和田を裏切ったときのセリフです。

「私が大和田さんに誠心誠意尽くしたのは、いずれ頭取になられるお方だと信じていたからですよ。それが、つまらん不正がバレて、ここで・・ここで半沢に土下座をして・・あんたのせいだ、あんたがした土下座のせいだ。くだらん土下座のせいだ、つまらん土下座のせいだ、土下座土下座がすべてを潰したんだ!土下座のせいでどれだけ泥水を飲まされたか、ここまで来たのはねぇ、あんたなんかのおかげじゃないよ。全部私の力だ!明日の役員会議は、頭取まで大和田さんがしっかり根回しをしてくれました。“準備は念入りに、仕留めるのは一瞬で”・・ですよ。おかげで買収成功、間違いなしだぁ〜ハハハハハ〜ありがとうございましたぁ〜
<span class="su-quote-cite">半沢直樹 第三話</span>

そして去り際にトドメの一言、

土下座野郎
<span class="su-quote-cite">半沢直樹 第三話</span>

尊敬していた上司の大和田をも自分の出世のためには利用するだけ利用してあっさりと切り捨てるという、伊佐山の悪人ぶりがもっとも際立った瞬間です。

実際にドラマを見ていると、現実の香川照之と猿之助の関係は大丈夫なのか?と心配になるほど迫真の演技でした。

他にも伊佐山部長のセリフには、

「おめえが口出しすることじゃね〜〜(怒)」
「クズは、何をさせてもクズだ!」
「またうちの案件を恵んでやるよ、異動までの少ない時間をせいぜいがんばりたまえ」

などなど・・・とにかく口の悪いセリフのオンパレードでした。

結局、最後は半沢に敗れて自身が出向という「倍返し」を喰らってしまう伊佐山でしたが、主人公・半沢の最強の敵役として強烈なインパクトを与えたことは、歌舞伎役者の存在感を存分に発揮して、ドラマの大ヒットにもつながりました。

市川猿之助が伊佐山部長を怪演したドラマ「半沢直樹」は動画配信サービスParaviで無料で見ることができます。詳しくは以下の記事を御覧ください。




猿之助の原点・市川亀治郎時代の言葉

猿之助は七歳で市川亀治郎を襲名し、その名で29年間を過ごしてきました。現在の歌舞伎役者としての猿之助を見る前に、亀治郎時代にどのような思いで過ごしてきたのかを知ることができる著書が、「カメ流」です。

亀治郎はいったいどのような人間だったのかを、この著書から本人の言葉を一部引用して紹介します。

まだ子供時代に歌舞伎座の舞台に初めて立ったときの様子を以下のように語っています。

「歌舞伎座の舞台に初めて立ち、大きな拍手を浴びたこと。あれはとっても気持ちが良かった。・・・緊張するどころか、演じることがとにかく楽しかった。悲しいシーンをオーバーに演じるとそれだけ拍手は大きくなる。僕はその確かな手応えを感じ、日によって演じ分けることでお客様の反応を読み取るのが好きだった。」
<span class="su-quote-cite">カメ流 P22~23</span>

子役時代から演じ分けることでお客様の反応の違いを見ていたとは、ちょっと驚きですね。本人は計算していたのではなく純粋に舞台を楽しんでいただけとも言っているので、やはり生まれつきの役者ということなのでしょうか。

そして、どんな子供だったかを表すエピソードとして以下のような内容があります。

「そもそも僕は人から束縛されるのも、人と同じことをするのも嫌いだった。だから団体行動は大の苦手。・・・『やりなさい』と言われることは絶対にやらない“あまのじゃく”的性格は今も変わらない。定型を嫌い、常に人と違うことがしたいという欲求は抑えることができない。」
<span class="su-quote-cite">カメ流 P23~24</span>

やはり、歌舞伎界の革命児・異端児と呼ばれる家系に生まれたから、子供のときから他人とちがう生き方を選ぶのでしょうか。

猿之助自身が自己分析した内容にもはっきりとそれは現れています。

「人と一緒のところはないと思うから、奇人。個性があるということで、変人。情に厚いが、妙に冷徹。根気強いけれど、熱しやすく冷めやすい。ロマンチストで、現実的。せっかちだけど、のんびりやさん。すごく几帳面に整理整頓するけれど、埃ががぶっていても平気なずぼら。幼稚園児並みの子供っぽさがあるけれど、物事を冷徹に見つめる世捨人みたいなところもある。日によって、物事によって違う人間性が顔を出す。変幻自在で、多様性がある。」
<span class="su-quote-cite">カメ流 P100</span>

しかし、人と違う生き方を目指して人にどう思われようと構わないと言いながらも、“人とのつながり”をとても大切にしていることも伺えます。

「役者としての経験はもちろんだが、それよりも自分の人生を豊かなものにしたかった。この願い通り、僕は『風林火山』でかけがえのない『仲間』を得ることができた」
<span class="su-quote-cite">カメ流 P78</span>

大河ドラマ「風林火山」で出会った仲間たちや、他にも福山雅治、香川照之、大叔母の貞子、三谷幸喜、蜷川幸雄、囃子方の田中三兄弟、薬師寺の管主・高田好胤師などなど・・・多くの人との出会いで感じたことや得たものが書かれています。

中でもスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の作者であり、哲学者の梅原猛は「僕にとってメンター的な存在である」とまで言い切るほど、猿之助の人生に大きな影響を与えているようです。

さらに詳しい内容は、ぜひ実際の本を手にとっていただきたいですが、最後に「カメ流」とは何かについて亀治郎としての言葉を紹介します。

「昨日の失敗は悔いず、まだ見ぬ将来の不安を憂えず、今、生きているこの瞬間に一番輝いている自分でありたい。それが “カメ流”
<span class="su-quote-cite">カメ流 P191</span>

四代目・市川猿之助襲名での名言

平成24年(2012年)に亀治郎は、叔父の二代目・市川猿翁、従兄弟の九代目・市川中車(香川照之)とその息子の五代目・市川團子の四人の同時襲名披露で、四代目・市川猿之助となりました。

愛着のあった「亀治郎」から、偉大な叔父から託された「猿之助」という名跡へ変わるということには様々な思いがあったようです。

その思いは襲名披露における“口上”の中に凝縮されているので、以下に四代目・猿之助の襲名披露の口上を紹介します。

「長年、名乗って参りました二代目市川亀治郎を改めまして、伯父の名跡、また、澤瀉屋代々の名跡でもあります市川猿之助を、四代目として襲名いたすことと相成りましてござりまする。
正直申しまして、亀治郎という名にまだまだ愛着がございますが、私が尊敬する梅原猛先生から、お言葉を頂戴いたしました。
『フリードリヒ・ニューチェという大哲学者があって、運命愛という言葉がある。外側から降りかかった運命をさぞ自分が欲したかのよう愛する、これが運命愛で、君はその運命愛に従ってこれから生きなくちゃいかん』
今まで色々なインタビューで、寂しさ六分、嬉しさ二分、などと申しましたが、今日この日猿之助を襲名いたしまして、嬉しさ100%でございます。
一門と手を携え、ますます歌舞伎をもり立てたいと考えております。
私、この歌舞伎のために命を棄てる覚悟でございます。
<span class="su-quote-cite">2012年6月大歌舞伎初日の昼の部にて</span>

襲名披露の口上に、尊敬する梅原猛の言葉を紹介しながら、猿之助襲名を自らの“運命”として受け入れ、“歌舞伎のために命を棄てる覚悟”とまで言い切っています。

周りの目を気にせずに、自分のやりたいことをやってきた猿之助がここまで言い切るというのは、生半可な覚悟ではないということが伺えますね。

そして、歌舞伎においてはしばしば語られる「“襲名”とは何か?」ということについても、この四代目を襲名のときに改めて考えさせられ、福山雅治にデザインしてもらった三代の隈取を重ねた祝い幕に大きな示唆を与えられたとして以下のように述べています。

「代を重ねることによってその名に厚みが増していく。そして今まで見たことのない役者像が浮かび上がる。そうやって代々が命をかけ、その名に血を注ぎ込んできたのだと。」
<span class="su-quote-cite">僕は亀治郎でした P51</span>

襲名というものが、単に名前を受け継ぐだけではなく、代を重ねるごとに変化し発展していくものだと感じさせられるコメントです。襲名というものが、歌舞伎が400年以上様々な試練を乗り越え発展してきた理由の一つなのかもしれませんね。

とは言え、亀治郎から猿之助になっても、やはり自分は自分の道を行くスタンスのようです。

「もちろん、そうは言っても自分は自分。名前が変わったところで根本的なことは何も変わりません。」
<span class="su-quote-cite">僕は亀治郎でした P51</span>

書籍「僕は亀治郎でした」から襲名においての猿之助の言葉を紹介してきましたが、四代目・市川猿之助襲名のすべてが分かる本なので、ぜひご一読いただきたいと思います。




テレビ出演で迷言?連発

猿之助は半沢直樹での大ブレイクをきっかけに、テレビ番組からのオファーが急増し、本人も新型コロナウイルスの影響で休演するなど苦境に陥っていた歌舞伎の宣伝にもなると、連日のようにテレビ番組に出演しています。

クイズ番組では高学歴俳優として鋭い頭のキレを披露していますが、どの番組に出ても「半沢直樹」での名セリフとなった「詫びろ」を言ってくれと求められることから、

「僕の持ちネタですから」「俺はこれでやり続けるから」「半沢直樹への出演が決まった時に、演技よりも何よりも一個ネタ作って各局を回ろうと思って、何言ったら受けるかなと思ったら“詫びろ”が当たった」
<span class="su-quote-cite">行列のできる法律相談所 2020/10/25</span>
「来年までコレ(詫びろ)で食べようと思います」
<span class="su-quote-cite">人生最高レストラン 2020/11/28</span>
コレ(詫びろ)一本で一生食っていこうと思う」
<span class="su-quote-cite">ネプリーグ 2020/11/30</span>

などと、なかば開き直った発言をしています。

従兄弟の香川照之と共演し、「半沢直樹」でのお互いの決め台詞を言い合ったりと仲の良さを見せると、

「香川さんと二人でM-1目指そうかな」
<span class="su-quote-cite">テッパンいただきます 2020/9/29</span>

と言ってみたりもしています。

また、自身が描いたチョコパイの絵を「ゴミ」と酷評されたときには、

「我々の世界はこんな絵でもサインすればポーンと値段上がるから」
<span class="su-quote-cite">プレバト 2020/10/22</span>

と言って笑いを誘い、他にも、歌舞伎の楽屋挨拶に来た女性タレントに平気でパンツ一丁で挨拶しているということをバラされたときには、

「それはもう常識。歌舞伎は楽屋が男ばっかりじゃないですか、このごろは衣装さんとか女性も多いですけれども、それがセクハラとか言われれば隠しますけど・・・穿いてるからいいじゃん!・・・伝統芸です!
<span class="su-quote-cite">ざわつく金曜日 2020/11/27</span>

と答えて、なかなか常識が通じない人だと突っ込まれています。

以上紹介してきたように、テレビでは破天荒自由奔放なコメントが面白い猿之助ですが、「林先生の初耳学」という番組の中で人生に悩む若者たちを前に講師をやったときは、自らの実体験を元に実に心に響く話をしています。

生徒:(コロナウイルスの影響で)夢だった第一志望の就職先が新規採用しなくなったので、第二志望にするか、バイトしながらでも夢を追うべきでしょうか?
猿之助:迷う根拠は?
生徒:大学行って就職するのが今の時代当たり前みたいな・・・
猿之助:それを無視したらどうしたいですか?
生徒:自分のやりたいことをやります。
猿之助:じゃあそれでいいじゃないですか。
生徒:他の人とか社会がどうとか・・
猿之助社会がどうとか人からどう見られるとかはやめたほうがいい。
生徒:誰かに批判されたりとか・・・
猿之助:例えば批判されたとしましょう。批判が嫌だからって、夢をあきらめて就職したらその人達が何かしてくれますか?
生徒:いや、してくれない・・・
猿之助:自分の経験に照らし合わせて言うと、やりたいことをやるとき、人の恩義とかこの人にお世話になったとか、そんなもの一切振り捨てて自分のやりたいことを決断しなきゃならないことは人生一度や二度は絶対ある。「あいつは恩知らずだ」と言われてもいい。 
生徒:そういう体験談は?
猿之助:先代の猿之助(伯父)にかわいがってもらってたけど、そこを飛び出したワケ。嫌だから。なぜかと言うと、ものすごく大きな人だったから、そういう人の元にいると自分が失敗しても全部かばってくれる。自分でいいことやっても全部その人の手柄になっちゃうから、手応えがなかったからそこを飛び出した。肉親でかわいがってもらってたところを飛び出したので、「恩知らず」とか言われた。飛び出るとき「明日から仕事ないから」と言われたけど、「いいです」と言った。保証があって出るとつまらないと思ったから。
生徒:(うなずいて聞いている)
猿之助:人の心とか「どう思われたい」とか、「一億円あげるから僕のことよく思ってて」と言ったって思ってくれないんだから、人の心なんかどうだっていいと思う。どう思われようと自分の信じることをやればね。一回しかない人生だから、死ぬ時に後悔して死んだら化けて出ると思う。

猿之助自身の実体験から語られる生きた言葉に、生徒たちは深く納得しているようでした。

コメディアンのような面白さインテリ俳優としての頭のキレだけでなく、人間としての生き方についても確かな信念を持っている猿之助の語る言葉に目が離せませんね。

市川猿之助が語る「これからの歌舞伎」とは?

2020年3月からの歌舞伎公演自粛期間中はひたすら読書の毎日だったという猿之助ですが、テレビへの出演や松本幸四郎による「図夢歌舞伎」にも登場し、動画配信でオグリの「歓喜の舞」を披露するなど、どんな状況でも何ができるかを模索し続けているようです。

そんな中、歌舞伎専門の雑誌「演劇界」での単独インタビューで、公演自粛という経験を通して未来に何を思うかと聞かれ、

「自分がどうこうというより、次世代の生活そのものやエンターテインメントの在り方というものは確実に変わるだろうと強く思いました。」
<span class="su-quote-cite">演劇界 2020年8・9月号</span>

ということを述べています。

歌舞伎の公演は客席数など縮小しながらも再開し、猿之助も精力的に舞台に出演し続けていますが、感染症対策を徹底する以外は、今の所何か大きな変化を感じさせるものはありません。

しかし、常に人のやらないことを考え、批判を恐れず実行するのが四代目・市川猿之助の生き方なのです。




市川猿之助の歌舞伎出演情報

市川猿之助の歌舞伎出演情報を以下にお知らせします。

2023年2月 博多座

2023年2月の博多座「二月花形歌舞伎」に市川猿之助が一門とともに出演します。

2023年4月 歌舞伎座

2023年4月の歌舞伎座「鳳凰祭四月大歌舞伎」に市川猿之助が昼の部の「新・陰陽師しん・おんみょうじ」に出演します。




まとめ:歌舞伎の異端児・市川猿之助の発言は要チェック!

四代目・市川猿之助は他人にどう見られるかよりも、自らがどう生きたいのかを貫いて生きてきましたが、そんな中でも人との出会いやつながりを大切にしていることが、その語る言葉の端々から感じさせられます。

破天荒で面白おかしいキャラクターかと思えば、知的で文化的な教養人としての側面も併せ持ち、次々と新しいことを生み出し続ける才能には驚くばかりです。

ところが、著書「カメ流」ではこんな記述もあります。

「(インタビューで同じ質問を受ける度に)僕のあまのじゃく的な性格が発揮され、毎回返答を変えることがある。」
<span class="su-quote-cite">カメ流 P30</span>

有罪判決が出てしまった猿之助ですが、またいつの日か復帰して、舞台やテレビでその姿が見たいものですね。

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