2026年5月17日

2026年5月 大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」昼の部 観劇記 〜【特別編】大阪観劇ツアー〜

2026年5月 大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」昼の部 観劇記 〜【特別編】大阪観劇ツアー〜

2026年5月13日、大阪松竹座のさよなら公演となる「御名残五月大歌舞伎」昼の部を、東京から遠征して観劇してまいりました🎭

今回は、夜行バスでの大阪入りから、道頓堀散策、大阪松竹座での観劇、そして『曽根崎心中』ゆかりの「お初天神」参拝まで、ミナミ自身のネタ漫画とともにお届けする特別版「大阪観劇ツアー」です。

最初で最後になるかもしれない大阪松竹座観劇の記録、どうぞ最後までごゆっくりお付き合いください🍵


今回の公演の詳細については「歌舞伎美人」をご確認ください👇
➡️ 令和8年5月大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」

東京から夜行バスで、いざ大阪へ出発!

バスターミナル東京八重洲の地下Bに到着したLimonの高速バス
バスターミナル東京八重洲の地下Bに到着したLimonの高速バス

最初で最後?になるかもしれない大阪遠征は、夜行バスでの移動からスタートです🚌

出発地は、東京駅八重洲口にあるバスターミナル東京八重洲の地下B。丸の内は高層ビルが立ち並び、まさに都心!普段は多摩地域をうろうろしている身としては、東京駅周辺に来るだけで圧倒されますね〜。所詮は東京に住んでいるだけの九州の田舎モンですから😅

まあ、それはいいとして、今回乗るのは、レモンカラーが目に眩しいLimonの夜行バス。3列シートなので隣に人が座ることもなく、リクライニングも全開で倒して問題なし!トイレもあり、ブランケットも装備。さらに表裏どちらにも挿せるUSB電源付きと、まさに至れり尽くせりです。

日付が13日に変わった24時5分、いよいよ東京を出発しました。

なかなか快適な座席とはいえ、やはり椅子である以上、ベッドのように熟睡できるものではありません。途中で何度も目が覚めながら、定刻通りの7時50分ごろ、ようやく大阪・なんばパークス前へと到着です☀️

道頓堀に到着。九州生まれの東京もん、朝から大阪に圧倒される

道頓堀の大阪松竹座前の賑わい
道頓堀の大阪松竹座前の賑わい

到着後、徒歩で約900m離れた大阪松竹座のある道頓堀へ向かいます。

アーケード街もまだ朝が早いので、多くの店は閉まっており、人もまばらです。

そして大阪松竹座の前へ……。歌舞伎座とは違う、“道頓堀の凱旋門”と呼ばれたという西洋風の劇場外観に、しばし見入ります。

歌舞伎座が東銀座の大通りにどっしり構えている劇場だとすれば、大阪松竹座は、まさに道頓堀の賑わいの中にふっと現れる劇場という印象です。

大正12年にこの道頓堀の地に生まれ、平成9年に新築されたのだから……え?まだ30年くらいってこと?それで老朽化って、ちょっと早くないですかね?

昭和25年に建てられた第四期歌舞伎座は60年使われましたが、その半分で終了とは……きっといろいろな事情があるのでしょう。

開演の11時まではまだ時間があるので、道頓堀を散策です。

テレビでよく見る「かに道楽」の巨大なカニ、東京ではなかなか見られない派手な立体看板、戎橋から見えるグリコの電光看板。そして、いたるところにあるたこ焼き屋……。

「これぞ大阪っ!」って感じですね🐙

さらに、朝から着物姿のお姉様方が生ビールを所望しておられる姿も目撃。さすが大阪。お上品な感じの東京人とは違って、朝っぱらから人生を楽しむ姿勢が違います(笑)

というところで、いよいよ最初で最後?の大阪松竹座へGO!🎭✨




大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」を観劇

ベルナール・ビュッフェによる『暫』の鎌倉権五郎
ベルナール・ビュッフェによる『暫』の鎌倉権五郎

いよいよ今回の目的である、大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」昼の部を観劇です🎭

まず劇場に入って印象的だったのは、1階、2階のロビー部分の奥行きの広さです。大阪松竹座は客席が3階以上に配置されているため、下層階には客席がなく、その分ロビー空間がゆったりと取られているようです。

そしてロビーには、ベルナール・ビュッフェによる『』の鎌倉権五郎の絵が展示されていました。日本人画家の手によるものではなく西洋人画家による作品というのが、いかにも西洋風外観の大阪松竹座らしい取り合わせに感じられます。

一方、3階以上の客席フロアへ上がると、各階の廊下の狭さには少し驚きました。収容人数が同じくらいの新橋演舞場や浅草公会堂と比べても、かなり狭く感じます。

これは構造上の問題というより、劇場そのものの面積の違いなのでしょう。道頓堀のど真ん中という立地を考えれば仕方ないのかもしれませんが、休憩時間などに人が集中すると、なかなか身動きが取りづらそうです。

また、エスカレーターはありますが、松竹のサイトで見取り図を確認してもエレベーターの記載は見当たりませんでした。新橋演舞場も同様ですが、車椅子席が1階に限られることを考えると、なくてもいいってことなのかな?

今回の席は、下手側3階の張り出し席。舞台の下手側が見えにくくなる席ではありますが、歌舞伎座や新橋演舞場の同じような席と違い、花道がわずかに見えたのは救いでした😅

三階席左(下手側)の張り出しからも、わずかに花道が見える
三階席左(下手側)の張り出しからも、わずかに花道が見える

客席はほぼ満席。さすが「御名残」の名を冠した公演というべきでしょうか。

ただ、歌舞伎座ではちらほら見かける若い人の姿が、ここではほとんど見かけませんでした。また、外国人らしき観客も見当たらず、客席全体としてはかなり年齢層が高めに感じられます。

もちろん、平日でもあり、私が観た回がそうだっただけかもしれませんが、同じ歌舞伎公演でも、歌舞伎座とは違うのかなという感じです。

そんなことを思いながら、いよいよ「御名残五月大歌舞伎」昼の部の幕開きです✨

『寿式三番叟』ー 祝いの舞ににじむ、松竹座への惜別 ー

『寿式三番叟』の絵看板
『寿式三番叟』の絵看板

最初に上演されたのは、舞踊演目『寿式三番叟』です。

『三番叟』といえば、祝い事の場で演じられることの多い、おめでたい演目。

昨年5月の歌舞伎座では、五人の三番叟が登場し、まるでゴレンジャーのような華やかさで、菊五郎襲名に花を添えていたのが印象的でした。

しかし今回は「さよなら公演」ということもあってか、同じ『三番叟』でも、華やかなお祝いというより、本来の儀式的な雰囲気が強く漂っていたように感じます。

“翁”を勤める中村又五郎は言うに及ばず、普段は華やかで色気のある女形として舞台を彩る中村米吉の“千歳”も、どこか緊張感を帯びた、厳かな佇まいでした。

そして中村歌昇中村虎之介の“三番叟”。黒の衣裳で舞う二人の姿は、まるで大阪松竹座が静かに幕を下ろしていくことを象徴しているようにも見えます。

お祝いの舞でありながら、そこにあったのは、使命を終えようとする劇場への感謝と惜別の思い。

華やかに盛り上げるというより、静かに手を合わせたくなるような、しみじみとした幕開きでした。

『義賢最期』ー 松竹座の“最期”に重なる、愛之助の奮戦 ー

『義賢最期』の絵看板
『義賢最期』の絵看板

さて、お次は時代物の名作『義賢最期』です。

木曽先生義賢きそせんじょうよしかた”を勤めるのは片岡愛之助。大阪愛にあふれる愛之助が、叔父にあたる片岡仁左衛門が復活上演させた名作で、大阪松竹座のまさに“最期”を飾ることになります。

この取り合わせだけでも、なかなか胸にくるものがありますね。

そんな愛之助の義賢が、中村隼人扮する“折平おりへい”と対峙する場面は、序盤から鬼気迫る空気。

源氏の再興を願い、折平と“待宵姫まつよいひめ”(中村壱太郎)、そして“九郎助くろすけ”(片岡松之助)や“葵御前あおいごぜん”(片岡孝太郎)を逃がし、義賢は一人、最期まで奮戦します。

その姿が、どこか大阪松竹座の灯を消すまいと、最後まで踏ん張っているようにも見えてきます。

いや、これはもう、こちらの勝手な感傷なのですが……でも「御名残五月大歌舞伎」でこの演目を観ていると、どうしてもそう重ねてしまいますね🎭

立廻りでの注目は、やはりこの演目最大の見せ場である「戸板倒し」です。

以前、歌舞伎座で松本幸四郎が義賢を勤めた舞台を観たとき、着地の際にバランスを崩して倒れていたのを、私は今でもはっきり覚えています。

もちろん、それだけ難しい大技ということなのでしょう。

では、愛之助の戸板倒しはどうか……。

戸板に乗った義賢が持ち上げられた瞬間、客席からは早くも歓声が湧きます。

そして、支える捕手が一人になり、戸板がゆっくりと左へ倒れていき……。

よし、着地成功!

客席からも盛大な拍手が起こります👏✨

やっぱり、こうじゃないといけませんよね!

愛之助と幸四郎はほぼ同い年であり、昨年(2025)は二人とも「歌舞伎三大名作」で仁左衛門とのダブルキャストを勤めています。いわば、仁左衛門の芸の継承を託されている立場ですから、今後も何かと比較してみたくなりますね。

しかし、奮戦むなしく、義賢は「仏倒れ」で前のめりに倒れ、息絶えます。

源氏の未来を託し、自らはここで命を終える義賢。

その姿は、今は一度幕を下ろすとしても、いつかまた上方の歌舞伎劇場が復活してほしい――そんな願いを託すようにも見えます。

大阪松竹座の“最期”に『義賢最期』。

演目名の重みまで含めて、今回の「御名残五月大歌舞伎」にふさわしい一幕でした。

『鰯売戀曳網』ー 「鰯かうえい〜」の声に、また会える日を願って ー

『鰯売戀曳網』の絵看板
『鰯売戀曳網』の絵看板

昼の部最後は、中村屋得意の『鰯売戀曳網』です。

猿源氏さるげんじ”の中村勘九郎と、“蛍火ほたるび”の中村七之助のコンビについては、もはや今さら言うまでもありません。

そこに中村鴈治郎中村扇雀の兄弟が加わり、舞台全体に実にいい味を出していました。

たしか昔見たテレビで、中村屋の二人が子どものころ、この鴈治郎・扇雀兄弟に変なあだ名を付けて呼んでいたことを暴露していた記憶があります。

まあ、そんなことを言えるくらい、昔からの信頼関係があるということでしょうか。歌舞伎界、子どものころからの距離感が近すぎる問題です(笑)

そして今回、特に見ごたえがあったのが、傾城として登場する中村壱太郎中村米吉です。

前の演目にも出演していた二人が、今度は艶っぽい傾城として登場し、華やかな廓の雰囲気を一気に立ち上げます。

廓で一番の傾城“蛍火”を探しに来た猿源氏に向かって、「蛍火は私よ」「いや、私が蛍火よ」とからかう場面も、この二人の美しさがあってこそのリアリティー。

そりゃ猿源氏も、どれが本物の蛍火かわからなくなりますよね。こちらも客席で「全員きれいだから、もう全員蛍火でいいのでは?」という気分になってきます😅

そうそう、中村虎之介もここでは可愛らしく、華やかな場面に軽やかさを添えていました。

物語は、猿源氏と蛍火の二人が、お互いの勘違いを乗り越え、見事に結ばれて大団円。

笑いがあり、華やかさがあり、最後にはほっこりとした幸福感が残る、まさに昼の部の締めくくりにふさわしい一幕でした🎭✨

いつか新たな劇場ができたときには、きっとまた「鰯かうえい〜」の声が舞台に響き渡るのでしょうね。

そして最後に、ちょっと目を引いたのが中村いてうの“次郎太じろうた”です。

幕切れでかなり目立つ位置にいたので、「まさかこのままセンターで幕になるのか!?」と思いましたが、そこはさすがに中村鴈治郎へポジションを譲っていました。

いや、あの一瞬、次郎太が大阪松竹座のラストを全部持っていくのかと思いましたよ(笑)




観劇後の道頓堀と、お初天神を歩く

通称「お初天神」と呼ばれる「露天神社」
通称「お初天神」と呼ばれる「露天神社」

さて、以上で歌舞伎観劇は終わりました。

夜の部の仁左衛門さんにも未練はありましたが、今回の目的は「最後の大阪松竹座を観ること」。ということで、あとは夜行バスの時間まで、のんびり大阪を歩かせてもらうことにします。

……と言いながら、実は行くところは決まっていました。

それが、上方歌舞伎を代表する演目『曽根崎心中』ゆかりの地、「お初天神」です。

映画『国宝』でも演じられた『曽根崎心中』。その“お初おはつ”と“徳兵衛とくべえ”が祀られているということで、これはやはり行っておかねばなりません。

大阪松竹座から歩くには少し距離があるので、大阪メトロ御堂筋線で梅田駅まで移動。そこから南へ10分ほど歩くと、「曽根崎 お初天神通り」を発見しました。

この通りの先にある露天神社が、通称「お初天神」と呼ばれているようですね。

歌舞伎では、演目にゆかりのある神社へ出演役者が成功祈願に訪れることがありますが、ここも2024年2月の上演前に、尾上右近中村壱太郎がお参りしています。

さて、いざ境内に入ってみると、まず目に飛び込んできたのは、ハートマークの絵馬の数々。

ハートの絵馬があふれかえる「お初天神」境内
ハートの絵馬があふれかえる「お初天神」境内

どうやらここは、“恋人たちの聖地”としても崇められているようです💗

絵馬を少し覗いてみると、「◯◯君に素敵なお嫁さんが見つかりますように」といった願いごともありました。

どうやら推しのアイドルか何かのようですが、今はこういう風に絵馬を使うのかと、おじさん驚きです。

推しの幸せを神に祈る時代。なるほど、信仰の形もアップデートされております😅

ところで、お初と徳兵衛のブロンズ像と記念碑があるはずなのですが……。

……あれ、見つからない?

境内をうろうろ探し回り、ハート絵馬の影に隠れるようにして建っているブロンズ像を、ようやく発見しました。

”お初と徳兵衛”のブロンズ像と記念碑
”お初と徳兵衛”のブロンズ像と記念碑

ブロンズ像はこじんまりとした雰囲気ですが、この神社の規模を考えれば、むしろちょうどいいのかもしれません。

一方、記念碑の方はというと、前に賽銭箱がドカンと置かれていて、ちょっと見えづらい……。

いや、ありがたい場所なのはわかるのですが、もう少しレイアウトを考えた方がいいんじゃないですかね?😅

などと思っていたところ、手水鉢に「奉納 手水一式 三代目 中村鴈治郎」の文字を発見しました。

三代目中村鴈治郎(後の四代目坂田藤十郎)の名が刻まれた手水鉢
三代目中村鴈治郎(後の四代目坂田藤十郎)の名が刻まれた手水鉢

これは、中村壱太郎のおじいさんにあたる、故・四代目 坂田藤十郎のことですね。

「お初が徳兵衛の手を取って先に立ち、花道を走って引っ込む」という、斬新な演出を始めた偉大な役者。

その名前が、こうしてお初天神の境内に刻まれているのを見ると、やはり上方歌舞伎とこの場所のつながりの深さを感じます。

こういうところに、歴史や伝統を大切にする姿勢が表れているのでしょうね。

ところで、家に帰ってから写真を見返していて気がついたのですが、この「お初天神」こと「露天神社」は、菅原道真公が九州へ左遷される途中に立ち寄り、そのときに詠んだ歌が「露天神社」という名前の由来になったそうです。

歌舞伎三大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』と、近松門左衛門の『曽根崎心中』。

まったく別の演目のようでいて、こんなところに意外な接点があったのですね〜。

本場のたこ焼きに陥落。東京もん、大阪に懐柔される

予定通り「お初天神」へのお参りを終え、あとは大阪名物のたこ焼きを食べるのみとなりました🐙

大阪松竹座まわりの道頓堀には、たこ焼き屋がズラッと並んでいます。

ただ、外国人観光客であふれかえっており、ちょっと落ち着いて食べられそうにない雰囲気です。

そこで、お初天神通りのあたりにたこ焼き屋がないかと、少し散策してみることにしました。

このあたりは道頓堀に比べると観光客も少なく、まだ夕方の時間帯ということもあって、歩く人もまばらです。

……が、基本的には飲み屋ばかりですね。

さすが大阪。夕方前から、すでに夜の気配が漂っています。

と思っていたところ、たこ焼き屋を発見!

なにわたこ焼き あま福 お初天神店
なにわたこ焼き あま福 お初天神店

若いイケメンのお兄さんが一人でやっている、こじんまりとしたお店です。

4人ほど座れる小さなカウンターがあり、ワンドリンク制とのことなので、グレープフルーツサワーとたこ焼き6個を注文しました。

たこ焼きは、ソースをかけなくても生地自体にしっかり味が染みていて美味しい。

そして、出来立てなのでとにかく熱い!

ハフハフしながらいただきました。

……うまい。

これは、東京もんが大阪に懐柔される味です。

「たこ焼き最高やで〜!」と、うっかり関西弁になりそうなところを必死にこらえながら、夜行バスまでの時間を静かに過ごしたのでした😅

【特別漫画】大阪はほんま◯◯なところやで〜!

というわけで、ここで大阪観劇ツアー特別編のミニ漫画です。

映画『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛を込めて〜』の影響で、大阪の街におびえる東京在住の九州人ミナミ。果たして、無事に道頓堀を生き延びることはできるのでしょうか……?

※スマホで文字が読みづらいときは、画像をピンチ(二本指で拡大)してみてください📱✨

【特別漫画】大阪はほんま◯◯なところやで〜!
[01]『翔んで埼玉』の影響で大阪にビビりまくるミナミ
[2]エスカレーターで無意識に左に立ってしまい東京モンとばれるミナミ
[3]『翔んで埼玉』の嘉祥寺(片岡愛之助)にたこ焼きを食わされるミナミ
[4]たこ焼きの美味しさに感動し、大阪松竹座復活を願いながら喜ぶミナミ
ネタ元:大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」、映画『翔んで埼玉〜琵琶湖より愛を込めて〜
脚本:ミナミ
作画:Saku & Luna(AIアシスタント)

……というわけで、東京在住の九州人ミナミも、たこ焼き一発で無事に大阪へ懐柔されましたとさ(笑)




振り返って――最後に大阪松竹座へ行けてよかった

こうして、夜行バスで東京を出発し、朝の道頓堀を歩き、大阪松竹座で「御名残五月大歌舞伎」を観劇し、最後はお初天神とたこ焼きまで味わうという、なかなか濃い大阪遠征となりました。

正直なところ、日帰りならぬ“夜行バス往復”の強行軍なので、身体はなかなか大変でしたが、思い切って行って正解でした。

歌舞伎座とは違う距離感、道頓堀の賑わいの中にある独特の雰囲気、そして「御名残」という言葉が持つ寂しさ。

大阪松竹座は、東京の劇場とはまた違う、上方歌舞伎の空気をまとった劇場だったのだなと、実際に足を運んでみてこそわかりました。

『義賢最期』で、愛之助の義賢が最後まで奮戦する姿は、大阪松竹座そのものと重なり、『鰯売戀曳網』で響いた「鰯かうえい〜」の声が、最後に明るくあたたかく劇場内に響きわたる中で幕が下りたことで、寂しさだけでなく、「またいつか」という気持ちも残りました。

いつかまた道頓堀に歌舞伎の灯がともる日が来てほしい。そしてそのときには、新幹線でゆったり道頓堀へ向かいたいものですね😅

そんなわけで、今回の大阪松竹座「御名残五月大歌舞伎」観劇記も、これにてコレギリといたしとうございます🎭


※本記事内の写真は、すべて劇場にて撮影許可のあった場面、または私的鑑賞記録として撮影したものです。