【歌舞伎】秀山祭(しゅうざんさい)とは?名優・中村吉右衛門を偲ぶ舞台を解説!
🎭 「秀山祭(しゅうざんさい)」とは、毎年9月に歌舞伎座で開催される特別な公演の名称です。
しかし、名前を聞いても、
🤔「何かのお祭なの?」
🧐「誰か歌舞伎役者のゆかりの公演?」
…とよくわかってない方も多いのではないでしょうか。
📖 この記事では、そんな秀山祭とは何か?を歌舞伎初心者にもわかりやすく解説。
はじまりの背景や由来、そして現在の上演スタイルまで、丁寧にご紹介していきます。
目 次
🎌 秀山祭とは初代と二代目の中村吉右衛門を顕彰するお祭り
秀山祭とは、戦後の歌舞伎界を牽引した名優である初代・中村吉右衛門(屋号・播磨屋)の残した偉大な功績を顕彰し、その卓越した芸を後世の役者たちへと受け継いでいくために設けられた歌舞伎の興行です。
この興行は、初代の生誕120年🎂を記念し、平成18年(2006)から始まりました。
“秀山”という名称は、初代吉右衛門が俳句を詠む際に使用した俳号🖋️に由来します。
そして、この秀山祭の実現に尽力したのが、初代の養子である二代目・中村吉右衛門(播磨屋)でした。
秀山祭の名がつく興行では、初代の当たり役🎭と言われる舞台が上演されてきましたが、令和3年(2021)に二代目が逝去🕊️してからは、二代目の芸を顕彰して受け継ぐというものにもなっています。
歌舞伎の興行では、”亡くなった名優の追善興行”というのはよく行われています。しかし、毎年決まった月に「○○祭」と題して行われるのは9月の秀山祭と、5月の「團菊祭」ぐらいしかありません。
團菊祭は九代目・市川團十郎と五代目・尾上菊五郎という歌舞伎界でも屈指の歴史と格式を誇る名門中の名門の二人の名優を顕彰するものですが、特別名門の家柄でもなく歴史も浅い初代・中村吉右衛門という一人の役者を顕彰するために始まった秀山祭というのは異例であり、それだけ初代・吉右衛門の歌舞伎界に残した功績が大きかったということでしょう。
ではここからは、秀山祭の名に冠される二人の名優——初代と二代目の中村吉右衛門が、どのような存在だったのかをご紹介します。
彼らを知ることで、秀山祭の意味もぐっと深まるはずです。
初代・中村吉右衛門

初代・中村吉右衛門(歌舞伎座より)
初代・中村吉右衛門(本名:波野辰次郎)は、明治19年(1886)3月24日、三代目・中村歌六の子として生まれました。弟に三代目・中村時蔵と十七代目・中村勘三郎がいます👬
10歳のとき、市村座「越後騒動」の仙千代役で初舞台を踏み、初代・中村吉右衛門🎭を名乗ります。その後、浅草座の子供歌舞伎で抜群の才能を発揮し、14歳にして座頭を勤めるまでになります✨
明治35年(1902)には歌舞伎座の座付き役者となり、“劇聖”と称された九代目・市川團十郎の指導を受け、明治38年(1905)には名題に昇進。同じく團十郎の指導を受けた六代目・尾上菊五郎と並び称され、「菊吉」と称される人気花形役者となりました🌸🌸
初代は、幼い頃から天才的な演技で評判を集めた俳優で、舞台上では役に入り込み、熱演🔥を見せるタイプ。卓越した台詞術を駆使し、時代物・世話物のいずれも得意とし、多くの当たり役を残します🎙️
得意とする芸をまとめた「秀山十種」を選定し、特に「二条城の清正🏯」など清正が登場する作品を得意としたことから、“清正役者”との異名も。
また、吉右衛門劇団と呼ばれる一座を率い、ライバルの六代目・菊五郎亡き後は歌舞伎界の第一人者として活躍。“吉右衛門”という名跡は母方の祖父の名前から取られたものでしたが、これを一代で大名跡に育て上げたのです🏆
家庭面では男子に恵まれず跡継ぎがいませんでしたが、一人娘の正子が二代目・松本純蔵(のちの初代・松本白鸚)に嫁ぐ際、「男の子を二人産み、その一人に吉右衛門の名を継がせる🤝」と約束。実際に生まれた次男・久信(後の二代目・中村吉右衛門)を養子👶に迎えます。
昭和29年(1954)7月、歌舞伎座「熊谷陣屋」で熊谷直実を演じたのが最後の舞台となり、同年9月に68歳でこの世を去ります。このとき養子として迎えた久信はすでに中村萬之助を名乗って舞台に立っていましたが、まだわずか10歳でした。
初代吉右衛門が得意芸を集めて定めた「秀山十種🎭」ですが、実際は6演目しか選ばれていません。「二条城の清正🏯」「蔚山城の清正🛡️」「熊本城の清正⚔️」「弥作の鎌腹🔪」「清正誠忠録📜」「松浦の太鼓🥁」の6演目がそれですが、4演目は加藤清正が登場するもので、”清正役者”との異名は伊達ではないことを伺わせます。近年は「松浦の太鼓🥁」「二条城の清正🏯」が多く上演されています。
二代目・中村吉右衛門

二代目・中村吉右衛門の追善の肖像(2023年9月歌舞伎座より)
二代目・中村吉右衛門は、昭和19年(1944)5月22日、八代目・松本幸四郎(後の初代・松本白鸚)の次男👶として生まれました。しかし4歳になる前に祖父である初代吉右衛門の養子となり、すぐに中村萬之助を名乗り初舞台🎭を踏みます。
祖父が存命のときは、まわりから「若旦那」と呼ばれてチヤホヤされていましたが、10歳のときに祖父が亡くなると、手のひらを返したように「ただの子役」として扱われるようになってしまいました😢
若いときは役者を続けるかどうか悩む時期もありましたが、実父・初代白鸚の背中に、歌舞伎の家を背負う重さを感じて、歌舞伎役者として生きていくことを決心します💪
昭和41年(1966)10月に二代目・中村吉右衛門を襲名すると、本名も養父と同じ“波野辰次郎”に改名し、名実ともに吉右衛門の名を受け継ぐ覚悟を示しました🧬
初代吉右衛門の芸には「足元にも及ばない」と口癖のように言い続けていましたが、初代にも劣らない卓越した台詞術🎙️とたくみな感情表現の豊かさ、そして舞台ぶりの大きさで観客を魅了していきます👏
数々の当たり役を持ちますが、代表的な例として「熊谷陣屋」の熊谷直実、「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、「忠臣蔵」の大星由良之助、「俊寛」の俊寛などがあり、平成23年(2011)には人間国宝🏅にも選ばれるなど、不動の歌舞伎立役としての地位を確立していきます。
後進の指導にも熱心でしたが、子どもたちに歌舞伎を伝えるために全国の小学校🏫を回ったり、古い芝居小屋である金丸座の復活のために「こんぴら歌舞伎」を開催するなど、歌舞伎を広める活動にも尽力しました。
また、”松貫四”の名で歌舞伎の脚本📝を書いたり、舞台の合間には趣味の絵👨🎨を描いたりするなど、役者以外でも多才な面を見せていました✨
初代と同じように跡継ぎの男の子には恵まれませんでしたが、四女の瓔子が五代目・尾上菊之助(現・八代目菊五郎)と結婚し、生まれた孫・和史(現・尾上菊之助)を溺愛し、舞台での共演も果たします。
まだまだ活躍が期待されていましたが、令和3年(2021)3月、歌舞伎座「楼門五三桐」の石川五右衛門で出演中に倒れ、家族や関係者に支えられながら闘病生活🏥を続けましたが、同年11月に帰らぬ人となりました。
📘 二代目・中村吉右衛門についてさらに詳しくは、以下の記事をご覧ください👇🧑🎓
📜 秀山祭の歴史
秀山祭が始まったのは、平成18年(2006)9月の歌舞伎座公演からですが、そこに至るまでには、二代目・中村吉右衛門による知られざる苦労がありました。
🗓 二代目吉右衛門は、平成15年(2003)9月の歌舞伎座にて、初代吉右衛門の五十回忌追善公演を行ったのち、「初代の芸をいかにして後世に継承するか」を本格的に考えるようになります。
まずは、初代のように「吉右衛門劇団🎪」を持ち、その中で芸を継承することを構想しますが、これは残念ながら思うように進まなかったようです。
そこで次に、劇団を作る前段階として一つの興行を立ち上げることを発案。これに「秀山祭」という名を冠し、歌舞伎座での公演実現に至ります。
📣 第一回・秀山祭を前に、二代目は次のようなコメントを残しています:
📖初代は忘れ去られるような役者ではありません。天才ですから、彼のやったようにはなかなかいきませんが、演出や舞台に対する姿勢を受け継ぐグループや場を作りたいと考えました。…(中略)…僕は初代の芸を受け継ぎますが、他の方たちに企画があれば、どんどん取り入れ、十年、二十年と続けたいですね。
✨ その言葉通り、秀山祭は回を重ね、2025年9月の歌舞伎座公演で 16回目の開催(※中断の年もあり)となります。
これからも、初代と二代目の吉右衛門の名と芸が、この秀山祭とともに受け継がれていくことを願うばかりです。
🎭 秀山祭の開催履歴
| 開催年月 | 内容 |
|---|---|
| 2006年9月 | 🎉 秀山祭九月大歌舞伎 🎂 初代中村吉右衛門生誕百二十年 📍(歌舞伎座) |
| 2007年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2008年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2010年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(新橋演舞場) |
| 2011年9月 | ✨ 秀山祭九月大歌舞伎 🏈 三代目・中村又五郎襲名披露 🌟 四代目・中村歌昇襲名披露 📍(新橋演舞場) |
| 2012年3月 | 🎭 秀山祭三月大歌舞伎 🏈 三代目・中村又五郎襲名披露 🌟 四代目・中村歌昇襲名披露 📍(京都南座) |
| 2014年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2015年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2016年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2017年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2018年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2019年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 📍(歌舞伎座) |
| 2022年9月 | 🕊️ 秀山祭九月大歌舞伎 🕯️ 二世中村吉右衛門一周忘記追善 📍(歌舞伎座) |
| 2023年9月 | 🕊️ 秀山祭九月大歌舞伎 🕯️ 二世中村吉右衛門三回忘記追善 📍(歌舞伎座) |
| 2024年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 🌈 「二代目播磨屋八十路の夢」勧進帳上演 📍(歌舞伎座) |
| 2025年9月 | 🎭 秀山祭九月大歌舞伎 🏛️「松竹創業130周年」菅原伝授手習鑑通し上演 📍(歌舞伏座) |
※2013年は開催なし。
👀 秀山祭の見どころは?
歌舞伎座の9月の恒例となっている秀山祭ですが、その見どころはなんでしょうか?
もともとは初代・吉右衛門を顕彰し、その芸を受け継ぐということから始まったので、当然、初代が得意とした演目や「秀山十種」を二代目・吉右衛門や他の役者たちがどのように演じるのかが見どころでした。
二代目吉右衛門は、養父である初代吉右衛門について以下のように語っています。
📖初代吉右衛門の舞台に対する姿勢みたいなもの、演劇に対する、お客様に対する考え方というのがございましてね、身びいきではないですけれど、とてもいいことだなあと思うんです。シリアスなものは、本当に徹底的にお客様の心を動かす、感動させる。役者が本当にその役になりきって演じなければならない。」
実際に初代吉右衛門の演技を見ている役者は少なくなっており、映像などもほとんど残っていないため、演技そのものを受け継ぐのは難しくなっていますが、その芸に対する姿勢をとても重要視し、それを受け継いでほしいという思いが伝わってきます。
また、以下のようにも語っています。
📖今度の九月にいたします『引窓』や『寺子屋』といったものは、初代吉右衛門しかやらない時代があったんです。『石切梶原』なんていうのは、それまで絶えていたのを初代が復活させたんです。『俊寛』もそうです。そういうことが忘れられてしまっているのが残念だと思います。
「引窓」「寺子屋」「俊寛」などは現在では人気の演目として何度も上演されていることを考えると、ちょっと驚きです。特に「石切梶原」にいたっては、初代吉右衛門が尊敬して師事した九代目・團十郎が、「梶原は二股武士(※二心を抱く不忠者)だから自分はやらない」と宣言していたほどで、演じるにはかなりの勇気がいったと思われます。
しかし、これらの演目を現在の人気演目へと導いたのは、すべて当たり役として演じた二代目・吉右衛門の功績も大きいと言えるでしょう👏
秀山祭では、初代吉右衛門の芸に対する心得や、それを真摯に受け継いできた二代目吉右衛門の魂を感じられるような芝居が、最大の見どころと言えるのではないでしょうか。
初代が復活させた演目「石切梶原」こと『梶原平三誉石切』と、『双蝶々曲輪日記 引窓』について詳しくは、以下の記事をご覧ください👇
👑 中村吉右衛門の名は誰が受け継ぐのか?
二代目・中村吉右衛門が亡くなってから、「中村吉右衛門」という大名跡は空位になってしまいました。二代目には息子がいなかったため、今後この名跡がどうなるのかは現時点では不明です。
では、もしこの先、「三代目・中村吉右衛門」が誕生するとしたら、どのような可能性があるのでしょうか?🤔
考えられるのは、以下の2つの家系です:
- 🟢 初代・吉右衛門の血を受け継ぐ「松本幸四郎家(高麗屋)」
- 🔵 二代目・吉右衛門の血を受け継ぐ「尾上菊五郎家(音羽屋)」
松本幸四郎家では、いずれ八代目・市川染五郎が家を継いでいくことになり、その染五郎の元に男の子が何人か生まれて、その子たちが役者になれば、中村吉右衛門を襲名する可能性があるのではないでしょうか。
一方の尾上菊五郎家では、六代目・尾上菊之助が家を継いでいくことになりますが、こちらも将来、菊之助に男の子が生まれ、役者となった場合に中村吉右衛門を襲名する可能性が考えられます。
ただし、いずれもまだ何十年も先の話になるでしょう📅
他にも、吉右衛門と同じ播磨屋の中から三代目吉右衛門を襲名する役者が出てくる可能性も完全には否定できませんが、初代・二代目の中村吉右衛門があまりにも偉大だったため、”三代目”を名乗るにはかなりの実力と覚悟、そして関係者からの理解が求められることも事実です⚔️
このまま誰も襲名しないまま、「止め名」になってしまう可能性もありますが、できれば「秀山祭」を続けるなかで、「三代目・中村吉右衛門」を名乗るにふさわしい役者が出てきてほしいものです🌟
🏯 松本幸四郎家、尾上菊五郎家について詳しくは、以下の記事もあわせてご覧ください👇
📅 秀山祭の開催情報(2025年)
例年9月に歌舞伎座で開催される「秀山祭」。令和7年(2025)の開催情報をお届けします👇
2025年9月 歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」
令和7年(2025)9月に歌舞伎座で行われる秀山祭は、松竹創業130周年記念でもあり、公演内容は”歌舞伎三大名作”の一つ「通し狂言 菅原伝授手習鑑」となります。二代目吉右衛門が得意とした車引や寺子屋の松王丸を甥の松本幸四郎が演じます。
📝 まとめ:秀山祭は二人の吉右衛門を顕彰するお祭り
秀山祭は、初代・中村吉右衛門(秀山)を顕彰するために始まった、歌舞伎座9月恒例の公演です🎭
現在では、二代目・中村吉右衛門の功績も合わせてたたえる場となり、二人の芸や姿勢が今の役者たちに受け継がれています📜
「俊寛」「引窓」「寺子屋」などの演目を通じて、舞台に込められた精神が次の世代へと引き継がれていく。そんな意味でも、秀山祭は特別なお祭りです。
いつの日か「三代目・中村吉右衛門」が現れることを願いつつ、これからも続いてほしい公演のひとつですね🌟
📚 秀山祭に関する参考資料
「秀山祭」の記事に関する内容は、主に以下の資料やウェブサイトを参考にさせていただきました。
【書籍】
「完本 中村吉右衛門」
「中村吉右衛門 舞台に生きる」
「『古典の男たち』 クロワッサンspecial特別編集」
「かぶき手帖(2022,2023)」
「秀山祭九月大歌舞伎 筋書(2022,2023)」
【ウェブサイト】
「歌舞伎オンザウェブ」
「歌舞伎美人」
「歌舞伎用語案内」
「Wikipedia」
【テレビ】
「古典芸能への招待 中村吉右衛門の至芸・熊谷陣屋ほか」(NHK Eテレ 2022年1月30日放送)










