中村梅玉の家系図紹介!女帝・中村歌右衛門の養子は品のある色若衆
四代目中村梅玉は、歌舞伎界の重鎮として現在活躍している高砂屋を屋号とする役者です。
昭和の女形として絶大な人気を誇って「女帝」と呼ばれた六代目中村歌右衛門の養子であり、養父から受け継いだ品格と行儀の良い芸風は現代の歌舞伎では特筆すべき存在であり、2022年には人間国宝にも認定されました。
この記事では中村梅玉の家系図から、その経歴や新たに養子に迎えた中村莟玉などの家族について、そして公演情報なども初心者の方にもわかりやすく紹介していきます。
目 次
中村梅玉の家系図紹介
四代目中村梅玉を中心とした家系図は以下のようになっています。
三代目中村梅玉の養子・五代目福助(高砂屋)が亡くなると、高砂屋の家系が途絶えてしまいました。それまでは「中村福助」という名跡は東西(成駒屋・高砂屋)に2つ存在していましたが、高砂屋福助の遺族が名跡を成駒屋に返上することで、「福助」は成駒屋に統一されました。
平成4年(1992年)に現在の四代目中村梅玉が襲名とともに屋号の高砂屋も継ぐことになり、中村梅玉という名跡と高砂屋の屋号が復活することになったのです。
ちなみに「梅玉」という名跡は、三代目中村歌右衛門の俳名(俳句を詠むときの名前)が由来となっています。
歌舞伎一筋に生きる!中村梅玉のプロフィール
現在、歌舞伎の舞台で活躍している四代目中村梅玉のプロフィールは以下のようになります。
生年月日 |
---|
昭和21年(1946年)8月2日 |
本名 |
河村 順之 |
屋号 |
高砂屋 |
家紋(定紋) |
祇園銀杏、祇園守 |
初舞台 |
昭和31年(1956年)1月 歌舞伎座「蜘蛛の拍子舞」福才役 二代目加賀屋福之助を名のり初舞台 |
襲名歴 |
昭和42年(1965年)4・5月 中村福助(八代目) 平成4年(1992年)4月 中村梅玉(四代目) |
受賞歴 |
昭和47年(1972) 伝統歌舞伎保存会会員 平成元年(1989) 芸術院賞 平成19年(2007) 紫綬褒章 平成25年(2013) 日本芸術院会員 令和4年(2022) 重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝) |
主な役 |
「絵本太功記」 十次郎 「吉野川」 久我之助 「桐一葉」 木村長門守 「大經師昔暦」 手代茂兵衛 「金閣寺」 此下東吉 「伊勢音頭恋寝刃」 福岡貢 「義朝七騎落ち」 朝長 「鳥辺山心中」 菊地半九郎 「紙子仕立両面鑑」 萬屋助六 「ひらかな盛衰記」 梶原源太景季 「二条城の清正」 秀頼 「二月堂」 良弁大僧正 「頼朝の死」 頼家 「鈴ヶ森」 白井権八 「勧進帳」 富樫 「切られ与三」 与三郎 「伽羅先代萩」 八汐 新作歌舞伎「NARUTO -ナルト-」 うちはマダラ |
昭和の女形として活躍した六代目中村歌右衛門には子供がいなかったので、妻・つる子の兄の二人の息子・順之(9歳)と豊秀(8歳)を養子にもらいました。
この順之少年が後の四代目中村梅玉であり、弟が後の二代目中村魁春になります。
順之は、最初は二代目加賀屋福之助を名乗り、20歳のときに八代目中村福助(成駒屋)を襲名します。平成4年、45歳のときに養父・六代目歌右衛門の意向もあって、関西歌舞伎の大名跡でありながら40年以上途絶えていた中村梅玉を襲名することになります。
六代目歌右衛門は昭和の立女形として絶大な人気を誇り、人間国宝にも認定され、日本俳優協会の会長職を長く務めるなど歌舞伎界の「女帝」と呼ばれるほどの偉大な存在でした。
梅玉はこの偉大な養父とともに歌舞伎座の舞台に立ち続けますが、当初は前髪立ちの若衆役を多く務めており、今でも生涯の得意芸となっています。
福助を襲名した頃の昭和42年は、歌舞伎界では「三之介ブーム」(市川新之助、尾上菊之助、尾上辰之助)が巻き起こっていましたが、梅玉はそういうブームとは離れて、養父のもとで歌舞伎の舞台一筋に打ち込む日々を過ごします。
年とともに若衆以外の役も増えていき、若い頃は想像しにくかった「勧進帳」の富樫のような立役や、「切られ与三」の与三郎といった色悪と言われる二枚目の悪人役などもこなすようになり、「伽羅先代萩」の八汐などを初役で務めるなどますます芸域を広げています。
養父の教えを守って技で魅せるより品のある行儀のよい舞台を務めてきた梅玉ですが、年齢を重ねるに従い本来得意としていた色若衆の演技にも、「女でも男でもない」という風情を醸し出せるような円熟味を増していき、歌舞伎の芝居において重要なキーパーソンの位置を占めるようになっています。
近年は国立劇場での年末の舞台を任されており、新型コロナウイルスでの休演開けの最初の舞台となる、国立劇場「令和2年10月歌舞伎公演」も、尾上菊五郎とともに梅玉が中心となって行われています。
令和元年11月には、部屋子であった中村梅丸を養子に迎えて初代中村莟玉を名のらせました。襲名披露公演の「鬼一法眼三略巻」では親子で息のあった演技を披露しています。
令和4年(2022)には歌舞伎立役として重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に各個認定されました。すでに70歳をこえて老齢の域に達した梅玉ですが、歌舞伎界の重鎮としてその品格のある芝居は後輩たちの貴重な手本であり、念願の後継者も迎えたことで舞台での味わいにさらに深みが増しています。
中村梅玉の家族は?
四代目中村梅玉は、六代目中村歌右衛門の妻・つる子の兄の子供、すなわち歌右衛門の甥に当たりますが、9歳で歌右衛門の養子となり歌舞伎役者としての人生がスタートします。
ここでは歌舞伎役者・中村梅玉を取り巻く家族の横顔を紹介していきます。
養父である六代目中村歌右衛門は昭和の歌舞伎界で絶大な人気を誇った女形役者であり、あらゆる女形の役をこなして数多くの当たり役を持ちました。
当時としては珍しい自主公演の勉強会「莟会」を主催するなどの実験的な試みを行い、文化勲章や日本芸術院賞の受賞、最年少で日本芸術院会員になり人間国宝にも選ばれるなどの数々の栄誉に輝きます。
歌舞伎俳優のすべてが所属する日本俳優協会の会長職を28年にも渡って務めるなど、名実ともに歌舞伎界の頂点に立つその姿は「女帝」と称せられるほどでした。
そんな偉大な養父のもとで梅玉と共にに歩んだのが、実弟である二代目中村魁春です。兄とは違い、養父と同じ立女形の道を歩み、品格を備えた古風な味わいの演技には、亡き歌右衛門の面影を感じさせます。現代の歌舞伎女形の貴重な第一人者の一人となっています。
梅玉の妻は、作家・武者小路実篤の孫に当たる武者小路有紀子です。バレエダンサーとして牧阿佐美バレエ団で活躍していました。歌舞伎とバレエという違う分野で活躍する二人ですが、舞台に立つ者同士惹かれ合うものがあったのかもしれません。
歌舞伎役者として後を継ぐ子供がいなかった梅玉ですが、令和元年に部屋子(子供の時から師匠の楽屋に入り必要なことを学ぶ見習い)であった中村梅丸を養子として迎え、初代中村莟玉を襲名させます。
莟玉はもともとは歌舞伎の家系ではない一般家庭の出身ですが、歌舞伎好きの母親の影響もあって小さいときから歌舞伎好きな子供として育ちます。
歌舞伎座のロビーで歌舞伎の真似をしていたところを、日本舞踊の師匠・花柳福邑(故人)に声をかけられたことから歌舞伎役者としての道を歩むことになります。
師匠である梅玉の教えでもある品の良さがある演技に定評があり、女形だけでなく「鈴ヶ森」の白井権八のような若衆役も務めるようになっています。本人もいろんな役に挑戦していきたいと意欲を見せているので、今後は女形も立役もこなす「兼ねる役者」としての活躍が期待されます。
色若衆だけじゃない!新作歌舞伎ナルトにも挑戦
四代目中村梅玉は、現代の歌舞伎界の中でも重鎮の一人であり、歌舞伎一筋に生きてきた人生は伝統芸能としての古典歌舞伎のイメージが強くありますが、近年は「伽羅先代萩」の八汐など初役に挑戦するなど、その芸道への探究心は年とともに強くなっているようです。
令和元年(2019)には、人気漫画を原作にした「新作歌舞伎ナルト」に、敵役の“うちはマダラ”として出演しました。初演時は市川猿之助と片岡愛之助が演じた役ですが、漫画原作の新作歌舞伎に歌舞伎界の重鎮が出演することは大きな話題になりました。
“サスケ”役を務めた中村隼人も「梅玉のおじさまに出演をご快諾いただけたことにびっくりしていますし、緊張しています」とコメントしているように、周囲にとっては予想外の出演だったようですが、梅玉本人は平成29年(2017年)11月に以下のようなコメントを残しています。
上記のコメントからもわかるように、梅玉は新作歌舞伎にも決して否定的ではなく、むしろこれからも歌舞伎が生き続けるために時代に合わせたものにしていく必要性を意識しているのです。
令和2年(2020)4月にも新作歌舞伎ナルトの上演が予定され、梅玉も先に出演していた息子の莟玉と共に再び出演することが決まっていましたが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止されてしまいました。
しかし、コロナ禍が明けた令和5年(2023)7月に初演された大人気オンラインゲームを原作にした新作歌舞伎「刀剣乱舞」には、莟玉が刀剣男士の一人“髭切 ”役で出演し、梅玉は古典歌舞伎の雰囲気そのままに“松永弾正”役で共演を果たしています。
今後も意外な演目で中村梅玉の歌舞伎が見られるかもしれませんね。
新作歌舞伎「刀剣乱舞」については以下の記事を御覧ください。
梅玉から莟玉への継承は?
歌舞伎の世界、特に有名な役者の家系では自分の息子に跡を継がせることがほとんどです。息子がいなければ養子をもらって跡取りにするということも珍しくなく、四代目中村梅玉も後継者となる息子として部屋子の立場だった中村梅丸を養子にし、初代中村莟玉を名乗らせています。
莟玉の「莟」とは「つぼみ」のことで、これは梅玉の養父である六代目中村歌右衛門が開いていた勉強会の「莟会」から取られたものですが、将来は「梅の花」として開花する、すなわち五代目中村梅玉を襲名することを期待しているのは間違いないでしょう。
とは言え、役者の養子になったからといって、必ずその名跡を継げるというわけではありません。当然ながらその名跡を継ぐにふさわしい実力を持ち、他の幹部役者からも認められる必要があります。
莟玉は改名時点で23歳と若く、まだまだ実力を磨いていく段階ですが、改名後は女形だけでなく、令和2年1月の新橋演舞場での「鈴ヶ森」では、市川海老蔵の「幡随院長兵衛」を相手に養父の得意とした「白井権八」を演じ、同年9月の歌舞伎座「壽曽我対面」では立役として「八幡三郎」を演じるなど、着実に芸域を広げています。
愛らしい顔立ちと爽やかな雰囲気が印象的な莟玉は、平成生まれの若手のホープの一人でもあり、梅玉の後継者として申し分ないように見えます。
ただ、懸念材料としては、梅玉と莟玉は親子という立場ですが年齢的には祖父と孫ぐらいの差があるということでしょうか。
歌舞伎界では父親は師匠でもあり重要な後ろ盾でもありますが、現実問題として、すでに74歳になる梅玉が24歳の莟玉を直接指導できる時間はそう多く残されてはいません。
もちろん、父親を不幸にも早くに亡くしながらもその跡を立派に継承している役者は何人もいますが、そこに至る道は決して平坦ではないのです。
今後、梅玉がどのようにして莟玉にその芸を継承させ、次の「梅玉」として育てていくのかにも注目したいですね。
初代中村莟玉については以下の記事も御覧ください。
中村梅玉の公演情報
中村梅玉と養子の中村莟玉など高砂屋一門の公演情報を以下に紹介します。
歌舞伎座 「團菊祭五月大歌舞伎」
2024年5月に歌舞伎座で開催される「團菊祭五月大歌舞伎」に中村梅玉、中村莟玉が出演します。
「歌舞伎ましょう」の中村梅玉の動画紹介
新型コロナウイルスの影響で歌舞伎の公演も休演が続いていましたが、松竹の公式動画配信チャンネル「歌舞伎ましょう」で、中村梅玉が歌舞伎ファンのために自粛期間中の歌舞伎への思いを語っています。ちなみに動画撮影は息子の中村莟玉です。
まとめ:中村梅玉の品のある芝居を見よう
四代目中村梅玉は、現在の歌舞伎界の重鎮の一人であり、かつて歌舞伎界に女帝として君臨した六代目中村歌右衛門の養子にあたります。
養父から受けついだ品格と行儀の良い演技で色若衆を得意としていましたが、年を取るとともに様々な役柄に芸域を広げていき、新作歌舞伎ナルトにも出演するほどです。
部屋子の中村莟玉を養子として迎えた梅玉のこれからの活躍や、どのように息子に芸を継承していくのかにも注目です。