「景清」歌舞伎十八番のあらすじ紹介!戦い続けた男は伝説になった

「景清」歌舞伎十八番のあらすじ紹介!戦い続けた男は伝説になった

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歌舞伎の演目「景清かげきよ」とは、能や人形浄瑠璃としても上演され、市川團十郎いちかわだんじゅうろう家のお家芸である歌舞伎十八番の一つとして知られています。

また、景清をモデルとしたテレビゲーム「源平討魔伝げんぺいとうまでん」が作られたり、「バーチャロン」というテレビゲームでは架空のロボットに景清の名がつけれらてプラモデルまで発売されています。

この記事では、歌舞伎の演目「景清」とはどういうものなのか、そして現代にも通じる「景清」の魅力とは何なのかについて解説していきます。

悪七兵衛景清とは平家最強で最後の猛将

剛勇で鳴らした武将「悪七兵衛景清」
景清とは、平安時代から鎌倉時代にかけて平家に使えた武将・藤原景清ふじわらのかげきよのことです。平景清たいらのかげきよと呼ばれることも多いですが、他に悪七兵衛景清あくしちびょうえかげきよという異名を持ちます。ここで言う「」とは悪人という意味ではなく勇猛さ、力強さを表しています。

景清は、平安時代の末期に源氏と平家が激しく争った源平合戦で平家方として活躍した武将です。とくに有名なのは、那須与一が扇の的を弓で射落としたことで有名な「屋島の合戦」における「錣引きしころびき」と呼ばれるエピソードです。

源氏方の那須与一が扇の的を射落とした後、その技に感動した平家の老武者が舞を踊るのを源義経が射殺させてしまいます。これに怒った平家方の景清と源氏方の美尾屋十郎みおのやじゅうろうが一騎打ちをするのですが、刀を折られ逃げようとする美尾屋のしころ(兜の後の首筋をおおう部分)を、景清が素手で引きちぎり、「遠からむ者は音にも聞け、近くば目にも見給え。これこそ京童の呼ぶなる上総の悪七兵衛景清」(意訳:遠くにいる者は聞け、近くにいるなら見ろ、俺が京都の子どもまでそう呼ぶほど名のしれた上総の豪傑・景清だ!)と叫んだという、なんとも豪快なエピソードです。

しかし、景清の奮戦にも関わらず、平家方はだんだんと追い詰められていき、最後は「壇ノ浦の戦い」で敗れて滅亡してしまいます。その後景清も捕らえられ、一説には鎌倉幕府御家人の八田知家に預けられた後、絶食して死んだとも言われています。

景清の伝説は日本各地に残されていますが、中でも清水寺の伝承は有名です。源頼朝を討とうとして捕えられた後、「源氏の世は見られぬ」と言って自分の両目を抉り出して、その目玉を清水寺に奉納したというものです。落語の「景清」はこの伝説をもとにして作られています。

景清の生涯にははっきりしないことが多く、実体は謎の人物です。そのせいか、各地に様々な伝承が残されており、後の歴史においても数々の創作を生み出すことにつながっているようです。

能狂言や人形浄瑠璃、歌舞伎、落語にもなった人気の秘密

古典芸能において景清が登場する作品は「景清物かげきよもの」と呼ばれ、一大ジャンルとして確立されています。歌舞伎だけでなく、能、謡曲、人形浄瑠璃、落語にもなっており、江戸の庶民にいかに愛されていたのかがよくわかるのではないでしょうか。

現在、歌舞伎の演目で「景清」と呼ばれているのは、本外題(正式名称)「菊重栄景清きくがさねさかえのかげきよ」というタイトルで、元文4年(1739)江戸の市村座で二代目市川團十郎によって初めて上演されたものです。別名「牢破りの景清」と呼ばれます。

その後、五代目團十郎が演じたやり方が基本になり、七代目團十郎によって「歌舞伎十八番の内景清」として上演されるようになりました。

ストーリーよりも最後に景清が大暴れする荒々しい荒事の演技が江戸時代の観客に受けたのと、平家の敵である源頼朝を狙い続けたことが、「たった一人で巨大な権力に立ち向かう孤高のヒーロー」というイメージを作り上げ、そのことが庶民の中での景清に対する人気や憧れにつながっています。

景清のあらすじ

景清が源平合戦で活躍した屋島

景清が源平合戦で活躍した屋島

時は平安時代末期。剛勇無双でならした平家の武将・悪七兵衛景清は、壇ノ浦の戦いで平家が破れて滅亡してからも、たった一人で源氏の大将である源頼朝の命を狙っていました。

しかし、ついに頼朝の追手に捕らえられてしまい、鎌倉問注所にある堅固な土牢の中に閉じ込められてしまいます。

頼朝の家来である岩永左衛門秩父(畠山)重忠は、武勇で名高い景清を源氏の味方にするため、また平家の家宝である「青山の琵琶」「青葉の笛」を手にいれるために景清の説得を試みますが、景清は決して首を縦に振りません。それどころか、敵からの施しは受けぬとばかりに水も食べ物も一切口にしないのです。

このままでは埒が明かないと思った源氏方は、景清の妻・阿古屋あこやと娘の人丸ひとまるを呼び寄せ、琴と胡弓を弾かせて、その音色の乱れで宝の在り処を知っているのかどうか見極めようとします。

二人の演奏を聞いた秩父は、本当に宝の在り処を知らないのだと納得しますが、岩永は「これでは手ぬるい」と二人をさらに責めようとします。

これにはついに景清も怒りを爆発させ、怪力で牢を破壊して柱を引っこ抜き、鬼神のごとき強さで兵士たちを蹴散らすのです。

阿古屋と人丸を逃した景清を岩永は追いかけようとしますが、秩父は「三度までは見逃せ」と頼朝から言われているからと岩永を押し留め、景清と戦場での再会を約束して別れるのでした。



その他の「景清物」の演目紹介

景清がえぐった両目を奉納したという伝承がある清水寺

景清がえぐった両目を奉納したという伝承がある清水寺

歌舞伎の演目には景清に関するものがいくつかあり、それらを「景清物」と呼んでいます。ここでは「牢破りの景清」以外のものを4つ紹介します。

解脱(げだつ)

解脱」は、宝暦10年(1760)に四代目市川團十郎が初演し、歌舞伎十八番の一つに数えられている演目で、正式には「鐘入解脱衣かねいりげだつのきぬ」と言います。

嫉妬に狂って男を追いかける人丸姫ひとまるひめが、寺の釣鐘の中に入ると、そこに景清の魂が娘の姿を借りて現れ、恨みと迷いの舞を見せることで生死の苦しみから解放され、景清の姿になって消えるという内容だと言われていますが、詳しい脚本は残されていません。

大正3年(1914)に二代目市川左團次が復活上演したものと、昭和7年(1932年)に十代目市川團十郎が復活させたものがあります。

鎌髭(かまひげ)

鎌髭」は、安永3年(1774)に四代目市川團十郎が初演し、これも歌舞伎十八番の一つに数えられています。原題は「御誂染曾我雛型おあつらえぞめそがのひながた」。

景清の命を狙う四郎兵衛(実は三保谷四郎みほのやしろう)は鍛冶屋に化けて、修行者に扮した景清の首を髭剃りひげそりと偽って鎌でかき切ろうとします。しかし、景清は不死身のために切れないという内容だそうです。

明治43年(1910)に、二代目市川段四郎と二代目市川猿之助によって復活上演されました。

ちなみに三保谷四郎とは、屋島の合戦のとき景清に兜のしころを引きちぎられるという屈辱を味わった美尾屋十郎のことです。そのときの様子を元にした、「錣引しころびき」というタイトルの歌舞伎演目もあり、平成29年(2017)三代目市川右團次の襲名披露公演で上演されています。

関羽(かんう)

関羽」とは、正式には「閏月仁景清うるうづきににんかげきよ」といい、元文2年(1737年)に二代目市川團十郎によって初演されました。これも歌舞伎十八番の演目になっています。

源頼朝の異母弟である三河守範頼みかわのかみのりよりが皇位をうかがっていると覚った景清が、三国志に登場する武将・張飛ちょうひの姿で範頼の館へ忍び込むと、そこに張飛の兄貴分である関羽に扮した、頼朝の忠臣・畠山重忠はたけやましげただが馬に乗って登場し、二人が協力して範頼の皇位簒奪を阻むために大活躍するというストーリーです。

関羽とは「三国志」で人気のある長いひげが特徴の武将ですが、舞台でも、大髭、唐装束からしょうぞくで、青竜刀せいりゅうとうを振り回す荒事芸が特徴的な演目だったようです。昭和60年(1985)、二代目尾上松緑が復活上演しています。

阿古屋(あこや)

阿古屋とは京都五条坂の遊女で景清の愛人の名前です。演目の正式名称は「壇浦兜軍記だんのうらかぶとぐんき」と言います。近松門左衛門作の人形浄瑠璃「出世景清」が元になっている作品です。

この演目は、鎌倉方の役人たちが景清の居場所を探すために、阿古屋に三種の楽器(琴、三味線、胡弓)を弾かせてその音色の乱れで景清の隠れ場所を聞き出そうとするお話です。

前述の「牢破りの景清」と同じように、阿古屋、岩永左衛門、畠山(秩父)重忠が登場しますが、景清本人は登場しません。豪快な荒事を見せるための芝居ではなく、阿古屋を演じる女形が三種の楽器を演奏しながら、景清を恋い慕う情感を表現することが重要なポイントとなっています。

阿古屋を演じるのは女形にとって屈指の難役と言われています。近年は坂東玉三郎ばんどうたまさぶろうしか演じていませんでしたが、平成30年(2018)、令和元年(2019)には中村梅枝中村児太郎が玉三郎の指導の元で演じています。

バーチャロンやゲームで現代に蘇る景清

平家滅亡後も一人で戦い続けたと言われる景清は、巨大な敵や権力に立ち向かう孤高のヒーローの象徴として、古典芸能で様々に脚色されて登場してきました。

昔ほどではないですが、現代でも「景清」をモデルにした作品が作られています。

1986年に発売されゲームセンターや家庭用ゲーム機などで人気を博したテレビゲーム「源平討魔伝げんぺいとうまでん」では、景清が主人公として登場し、弁慶や義経などの敵と戦いながら、最後は鎌倉の頼朝を倒すという内容でした。

1995年から続く「電脳戦機バーチャロン」というテレビゲームは、「バーチャロイド」と呼ばれる巨大ロボットが、3Dの仮想空間内で激しい戦いを繰り広げるアクション・シューティングゲームです。このゲームに登場するロボットに「景清」の名前を持つ機体が登場します。

バーチャロンの景清プラモデルも発売されています。

このロボットは、かつて日本に実在した「悪七兵衛景清」のパワーをコンピューターにインストールしたもので、操縦者は景清のような剛勇無双な力を得ることができる・・・というものらしいです。

古典劇の景清とはあまり関係ない話ですが、影を持ちながらも力強く戦う男のイメージとして、景清はこれからもいろんなところに登場するかもしれませんね。



景清は市川團十郎襲名公演で上演される?

歌舞伎座
景清」は市川團十郎家のお家芸・歌舞伎十八番の一つに数えられていますが、近年ではそれほど多く上演されてはいません。その理由としては七代目團十郎が江戸追放処分を受けたときに上演した演目が「景清」だったので、九代目團十郎が「縁起が悪い」と言って嫌ったことだとか。

本来2020年5月〜7月に予定されていた「十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演」で景清は上演されることになっていましたが、コロナ禍で2022年11月〜12月に延期されたとき、「景清」は上演内容からは外されてしまいました。三ヶ月公演が二ヶ月に短縮されたことが大きな原因ですが、やはり縁起を担いだのかもしれません。

また、襲名披露が延期されていた2020年8月に放送された24時間テレビ(日テレ)の中で、市川海老蔵(現・團十郎)によって一夜限りのスペシャル版の「景清」が演じられました。「日本六十余州津々浦々まで、活気、にぎわい、取り戻してみせようぞ」という言葉に、新型コロナウイルスの影響で暗い雰囲気が漂う日本の状況を打ち破り、人々に力を与えたいという願いが込められていました。

「景清」の上演予定

「景清」が登場する歌舞伎の演目の上演予定を紹介します。

2023年12月 京都南座

2023年12月の京都南座「吉例顔見世興行」は十三代目市川團十郎白猿の襲名披露公演となり、「景清」も上演されます。

まとめ:現代でも景清は闘い続ける!?

歌舞伎十八番の演目の一つ、景清の内容や関連する作品について紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

藤原景清(平景清)は実在の平家の武将で、その剛勇さから悪七兵衛景清と呼ばれるほどでした。その生涯には謎の部分が多く、各地で数々の伝承を残し、歌舞伎だけでなく、能、人形浄瑠璃、落語などにも登場するほど高い人気を誇っています。

歌舞伎だけでも「景清物」と呼ばれる景清に関連する演目として、解脱鎌髭関羽阿古屋など複数存在します。

景清は現代でも源平討魔伝バーチャロンなどのテレビゲームのキャラクターとして登場するほどですが、忠義のために一人でも戦い続ける強い男の象徴として、また妻や娘に対する深い愛情を持つ人物として、人々の心に魅力的なものとして映っているのかもしれません。ぜひとも機会があれば歌舞伎の舞台で観劇してみてくださいね。

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