歌舞伎「切られ与三」のあらすじ解説!名セリフ「しがねえ恋の情けが仇」とは?

歌舞伎「切られ与三」のあらすじ解説!名セリフ「しがねえ恋の情が仇」とは?」

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歌舞伎の演目「切られ与三きられよさ」とは、正式には「与話情浮名横櫛よわなさけうきなのよこぐし」言う、歌舞伎世話物の名作で、昭和歌謡の名曲「お富さん」の歌詞の元ネタとしても有名です。

ここでは、歌舞伎の「切られ与三」のあらすじや芝居中に語られる名セリフ、舞台になった源氏店の場所や、名曲「お富さん」の元になった理由、これからの公演情報など、初心者の方にもわかりやすく解説しているので、ぜひ観劇するときの参考にしてくださいね。

歌舞伎演目「切られ与三」とは?

八月花形歌舞伎「与話情浮名横櫛 源氏店」

歌舞伎の演目、切られ与三は本外題(正式名称)を「与話情浮名横櫛よわなさけうきなのよこぐし」と言い、歌舞伎世話物の人気の演目です。

幕末に実在した長唄師匠・芳村伊三郎よしむらいさぶろうの逸話をモデルにした講談を元に、三代目瀬川如皐せがわじょこうによって書かれました。

単独の芝居としての初演は嘉永6年(1853年)3月の江戸中村座です。与三郎を八代目市川團十郎、お富を四代目尾上菊五郎(当時・梅幸)が演じて好評でしたが、その直後に主演の八代目團十郎が謎の自殺を遂げてしまってからは、ほとんど上演されていませんでした。

しかし大正期に入ってから、与三郎を十五代目市村羽左衛門、お富を六代目尾上梅幸、蝙蝠安を四代目尾上松助が演じたのが大ブームになり、それから何度も上演される人気演目になり現代にも続いています。

もともとは九幕三十場という長編演目でしたが、今日では二幕目の「木更津海岸見染の場きさらづかいがんみそめのば」と四幕目の「源氏店妾宅の場げんじだなしょうたくのば」だけが演じられることがほとんどです。

ちなみに、与三郎とお富の立場を入れ替えた書き換え狂言「処女翫浮名横櫛むすめごのみうきなのよこぐし」(切られお富)という演目も存在します。

ここでは個性的で人間味あふれる登場人物達と、驚きの展開を見せるあらすじを紹介します。

「切られ与三」の主な登場人物

与三郎よさぶろう
元山町の小間物屋伊豆屋の跡取りとなるはずの養子。伊豆屋に実子となる弟が生まれたため、その弟に跡目を譲るために放蕩を始めたので、千葉の木更津にある藍玉屋あいだまやに預けられている。浜辺に遊びに行きそこですれちがったお富に一目惚れする。
お富おとみ
元深川の芸者で、木更津の親分・赤間源左衛門のめかけ。浜辺に遊びに来た与三郎に一目惚れする。
赤間源左衛門あかまげんざえもん
木更津の親分でお富を妾として囲っている。お富の浮気相手・与三郎をめった切りにする。
番頭の藤八とうはち
雨宿りを口実にお富に言い寄ろうとし、化粧でおかしな顔になってしまう滑稽な役。
蝙蝠の安五郎こうもりのやすごろう(蝙蝠安)
落ちぶれた与三郎を誘ってお富へゆすりにくるごろつき。頬に蝙蝠の彫り物がある。和泉屋には親の代から出入りしているので多左衛門には頭が上がらない。
和泉屋多左衛門いずみやたざえもん
江戸の商家・和泉屋の旦那。海でお富を助けて妾として囲っているが、なぜかお富には手を出さない。

「切られ与三」のあらすじ

木更津海岸見染の場きさらづかいがんみそめのば
元深川芸者のお富は、木更津の親分・赤間源左衛門に身請けされて妾となっていました。

あるとき海岸に浜遊びに行くと、そこで伊豆屋の若旦那・与三郎とすれ違い、お互いに一目惚れしてしまいます。

お富は自分の主人である源左衛門が留守の間に与三郎を家に引き込み、二人は逢瀬を楽しみますが、帰ってきた源左衛門に見つかってしまいます。

怒った源左衛門は与三郎を捕らえると、全身をめった切りにし、34箇所もの切り傷を付けた上に俵に詰めて藍玉屋あいだまやに百両で売り飛ばしてしまいます。

お富は逃げて海へ身を投げますが、たまたま通りがかった和泉屋多左衛門の舟に助けられるのです。

源氏店妾宅の場げんじだなしょうたくのば
源氏店の多左衛門の屋敷内
あれから三年が経ち、お富は源氏店の多左衛門の妾宅で囲われていましたが、与三郎への未練を断ち切れずにいました。

あるとき湯から帰ってきたお富は、玄関の前で雨宿りをしている番頭の藤八を見つけ家の中へと招き入れます。

お富が化粧をしている間、藤八はお富を口説こうとしてあれやこれやと策を弄して近づきますが、相手にされずについには白粉を塗りたくられてみっともない顔になってしまいます。

そこへごろつきの蝙蝠の安五郎(蝙蝠安)と、体中に傷跡のある男の二人連れがやってきて、お富から金をゆすろうとするのです。

しぶるお富からなんとか一分の金をせしめることに成功した蝙蝠安が帰ろうとすると、連れの男が「百両でも帰らねえ」と言い張ります。この男こそ、三年前に死んだと思われていた与三郎こと「切られ与三郎」だったのです。

驚くお富に対して与三郎が「しがねえ恋の情が仇・・・」と、自分を見捨てた恨みを滔々と述べると、お富は自分も後を追うつもりで海に身を投げたが助けられたこと、与三郎のことを一日も忘れたことはないと嘆くのです。

事情を知った蝙蝠安も、それなら一分じゃ帰れねえと居直りますが、そこへ帰ってきた主人・多左衛門に説教されるとすっかりしおらしくなってしまいました。

多左衛門に与三郎との関係を聞かれたお富は、とっさに兄だと言い張りますが、すべてを察した多左衛門は与三郎に金を与えて正業について出直すように言い、与三郎がいなくなってからお富に守袋を渡して出かけます。

守袋には多左衛門がお富の本当の兄だったことが記されており、それを見たお富と戻ってきた与三郎は抱き合って再会を喜ぶのでした。

「切られ与三」の見どころ

木更津海岸での見染の場では、やはり美男美女の組み合わせが芝居を引き立てます。初演時の八代目市川團十郎四代目尾上菊五郎の濃厚な色模様に始まり、最高の名舞台と名高い十五代目市村羽左衛門六代目尾上梅幸、孝玉コンビで一斉を風靡した片岡仁左衛門坂東玉三郎など、当代一の美男美女の組み合わせで見たい演目です。

また、お富が花道を帰っていくときに振り返って「本当にいい景色だねぇ」とうっとりするのは、景色だけでなく与三郎のことを言っており、それを見送る与三郎が魂が抜けたように立ちすくんで、着ていた羽織が脱げ落ちてしまうのにも気が付かない「羽織落としの場面」は、二人の出会いの鮮烈さを表しています。

源氏店の場面では、ごろつきに転落した与三郎ですが、なんとも落ち着かない様子に若旦那時代の品格とワルになり切れない優柔不断さを垣間見ることができます。

名セリフ「しがねえ恋の情が仇」とお富を責める中にも、やはり惚れているからこそのセリフであることがにじみ出るように演じるのが、与三郎役者の大きな見せ所です。



名セリフ「しがねえ恋の情けが仇」とは?

黒塀の源氏店のイメージ

切られ与三で与三郎がお富と再会したときに言う「しがねえ恋の情があだ・・」で始まるセリフは、歌舞伎の名セリフとして有名です。そのセリフと現代語の意訳を以下に紹介します。

しがねえ恋の情があだ、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年越し、江戸の親には勘当うけ、よんどころなく鎌倉の、谷七郷やつしちごうは喰い詰めても、面へ受けたる看板の、疵がもっけの幸いに、切られ与三よそうと異名を取り、押借りおしがり強請ゆすりも習おうより、慣れた時代の源氏店、そのしらばけか黒塀に、格子造りの囲いもの、死んだと思ったお富とは、お釈迦様でも気がつくめえ。
【現代語意訳】
取るに足りない一時の恋愛感情がアダになって命を落としかけたものの、なんとか一命を取り留めることができた木更津での出来事から、三年の月日が経った。江戸の本家の両親からは縁を切られてしまい、頼るあてもなくなって鎌倉中をさまよい暮らしが立たなくなってしまった。ところが思いがけない幸いに顔に受けた疵のおかげで「切られ与三」というあだ名で、無理やり金を借りたり強請ったりすることにも慣れてしまった。そんなときに訪れた源氏店で、洒落た格子窓のある黒い板塀の内で白粉を塗ってしらばっくれる女が、死んだと思っていたお富だとは、お釈迦様でも気づかないだろうなぁ。

コクーン歌舞伎の「切られ与三」

平成6年(1994年)に十八代目中村勘三郎によって若者の町渋谷で始められたコクーン歌舞伎は、現代演劇の演出家・串田和美による新解釈と斬新な演出が特徴です。勘三郎亡き後も、その精神は二人の息子・中村勘九郎、中村七之助兄弟に受け継がれています。

そのコクーン歌舞伎の第16弾として、「切られ与三」が2018年5月に渋谷Bunkamuraのシアターコクーンで上演されました。従来の歌舞伎では「源氏店」で終わることがほとんどですが、その後の夫婦になった与三郎とお富のことも描かれています。

与三郎役には女形としての活躍が目覚ましい中村七之助、お富にコクーン歌舞伎初出演の中村梅枝という配役の意外性と、串田和美だけでなく、歌舞伎演目に現代的な感覚や手法を取り入れて注目される「木ノ下歌舞伎」の木ノ下裕一が演出に加わり、新たな「切られ与三」の世界が生み出されました。

今後、再演されることがあれば、ぜひ観劇しておきたい作品ですね。



源氏店(げんじだな)の場所はどこ?

切られ与三の舞台になっている「源氏店」とは、どこにあるのでしょうか?

実は「源氏店」とは切られ与三の舞台ではない鎌倉にある地名であり、本当の地名は「玄冶店げんやだな」といい、現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目のあたりのことです。

玄冶」とは、徳川家の御典医であった岡本玄冶の名前のことで、江戸時代はその岡本玄冶が幕府から拝領した屋敷跡一帯を指して「玄冶店」と呼ばれていました。

しかし、江戸時代は歌舞伎の芝居の中で、その当時の出来事をそのまま演じることが禁じられていたので、「玄冶げんや」という文字を似た漢字の「玄治げんじ」と置き換え、さらに読みが同じ鎌倉の「源氏店げんじだな」に舞台を代えることでごまかしているのです。

玄冶店があった場所は、現在の都営浅草線・人形町駅そばの交通量の多い大通りに面したところになります。当時の面影はありませんが、以下のような記念碑が建てられています。

玄冶店跡地の石碑

人形町駅前に建つ玄冶店跡地の石碑

昭和の名曲「お富さん」とは?

昭和の名曲として知られる「お富さん」は、昭和29年(1954年)に春日八郎が歌いレコードの販売枚数が125万枚を売上げる大ヒットとなりました。その後も青江三奈や都はるみによってカバー曲が出され、平成に入ってから氷川きよしも歌っています。

歌詞の内容は与三郎のセリフから取られたものですが、作詞を担当した山崎正は、特に歌舞伎に通じていたわけではなく、「復古調の内容」というレコード会社の要望に答えて、戦前は芸能の定番だった歌舞伎の「切られ与三」のセリフをもとに作詞したそうです。

歌詞の中には「粋な黒塀」「見越しの松」「死んだはずだよお富さん」などの芝居の内容に関するものが多く登場しますが、「源氏店」はなぜか「玄冶店」と本来の地名で歌われています。

子供達まで口ずさむほどの大ヒットとなりますが、当時は歌詞の内容が教育上良くないとして問題視されるなど社会現象にまでなりました。

昭和から平成に替わった1989年の紅白歌合戦で春日八郎が「お富さん」を熱唱しましたが、これが春日八郎の最後の「お富さん」となっています。まさに戦後の昭和を代表する歌謡曲だったのですね。

【達人メモ】
「お富さん」を発売したビクターレコードは、二匹目のドジョウを狙って「白浪五人男」をもとにした「弁天小僧」(歌・三浦洸一)をリリースし、それなりにヒットしますが、社会現象になった「お富さん」ほどには流行りませんでした。

「切られ与三」の上演予定・DVD情報

「切られ与三」が上演されている再開された歌舞伎座

新型コロナウイルスの影響で休演が続いていた歌舞伎の公演が、2020年8月の歌舞伎座「八月花形歌舞伎」で感染症対策を取りながら再開しました。「切られ与三」が早速上演されているので、その公演情報をお知らせします。

八月花形歌舞伎 ※公演終了
劇場
歌舞伎座
日時
令和2年(2020年)8月1日〜26日
※休演7日(金)・17日(月)
午後7時~
演目
第四部 与話情浮名横櫛よわなさけうきなのよこぐし 源氏店
配役
【切られ与三郎】松本幸四郎
【妾お富】中村児太郎
【番頭藤八】片岡亀蔵
【和泉屋多左衛門】市川中車
【蝙蝠の安五郎】坂東彌十郎

新型コロナウイルス感染対策のため、芝居の中でも微妙なソーシャルディスタンスを保ちながら笑いを誘う演出にも注目です。

さらに詳しくは公式サイト「歌舞伎美人」の公演情報を御覧ください。
>>八月花形歌舞伎公演情報

昭和38年1月歌舞伎座で上演された貴重な映像を収録したDVDも発売されています。配役は、与三郎・十一代目市川團十郎、お富・六代目中村歌右衛門、蝙蝠安・十七代目中村勘三郎、和泉屋多左衛門・二代目市川猿之助(初世猿翁)という豪華な顔ぶれは必見です。

今の御時世は中々舞台を見に行きにくくなってきたので、自宅でゆっくり鑑賞したい方にオススメです。


歌舞伎名作撰 与話情浮名横櫛 ~木更津海岸見染の場~ ~源氏店の場~ [DVD]

まとめ:「切られ与三」は歌舞伎世話物の名作

歌舞伎世話物の名作「与話情浮名横櫛(切られ与三)」は、昭和歌謡の名曲「お富さん」の元ネタになるほど、かつては日本人皆が知っている有名な演目でした。

もともと九幕三十場という長編演目も、近年は与三郎お富が出会う「木更津海岸見染の場」と、「しがねえ恋の情が仇」からはじまる名セリフが有名な「源氏店妾宅の場」だけが上演されています。

コクーン歌舞伎での新しい演出がされたり、新型コロナウイルス感染対策で休演していた歌舞伎座の再開演目として、キャストを減らして上演されるなど、新しい試みもなされています。

DVDでは昭和の名優たちの映像も見ることができる歌舞伎名作「切られ与三」を、ぜひ一度観劇してみてくださいね。

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